現実にこそ、匿名性を
今後のファッションはどうなるのだろう。
AIやロボットが仕事をしてくれるようになり、人間が働かなくてもよくなったとしたら、仕事と結びついていた服装は市場から消えることになる。代わりに表れるのは、自身を隠す服装ではなかろうか。
現在の一般的な服装は、無個性とは程遠い。とにかく何かの記号に寄せることを目指していると思う。学校にいっているのだから制服だよね。サラリーマンしているのだからスーツだよね。硬い話題を話す場所ではスーツだよね。このように、やることによって服装を変えます。
そして、ここに恥ずかしさは存在しません。制服着てたら学校に行くことが周りの人に知られてしまうのが嫌だとか、スーツ着てたら仕事に行くのかと思われるのが嫌だとか、聞いたことありません。むしろ積極的にそういう記号化をしていきます。
では、もし、仮に、AIの発展とともに学校の規模が縮小され、仕事の採用が極めて少なくなったとしたら、ファッションはどうなるのでしょう?
人は、人と同じであると安心する生き物だそうです。
人は、いちいち何かを決断するのを嫌う生き物だそうです。
となると、学校の制服やスーツではない、別の何かの記号に服装を寄せていくことになるのではないだろうか。では、その記号とは何か。
私は非可読性ではないかと思うのです。
AIやロボットが代わりにやってくれる時、外見からは何をしに行く人なのかわからない、何が得意そうなのかわからない、そういう「読み取れる部分を無くしていく」ファッションが生まれてくるのではないだろうかと思うのです。
ネット上で匿名であることはおかしなことではありません。そして、それが当たり前であるにもかかわらず、情報の射程は無限になってしまい、一生消えない痕跡にもなっています。そうなると、ネット上に「間違えてもいい空間」は存在しないのではないかと思うのです。
ならば、情報が有限で、かつ、痕跡が残らない空間、つまり「現実」が警戒しなくても過ごせる場所として求められるのではないか。ならば、現実にこそ、匿名性が必要とされているのか?
それはファッションで可能なのではないか。
情報の射程は無限であり、一生残る痕跡ゆえに、ネット上で「正解圧」は生き残ることでしょう。しかし、現実で、人々に「正解」だけを信奉させた学校教育や受験産業は、AIの発展と共に衰退していきます。
これからの若い人たちにとっては、むしろネット上の方が息苦しく、退屈で、社交辞令の応酬であると映るのかもしれません。現実の方が、言いたいことが言える、やりたいことができる、挑戦できる場になるのかもしれません。
しかし、いまや現実はいとも簡単にネットに接続されます。スマホの写真や動画の撮影、録音、それらからの個人特定。だから、非可読性のファッションなのではないかと思うのです。
誰なのかわからない。個人が特定できない。
これからの匿名性は現実にこそ必要なのではないか。
他方、匿名性が自由を生むならば、それは当然、善悪の区別なく開かれるのでしょう。それが心配の種ですね。ネット黎明期にも似たような話はありましたが、あれはどうなったのでしたっけ?
現在のネットでも偽名の人、本名の人がさまざまにいらっしゃいます。
そういう風景に、未来の街は変化していくのかもしれませんね。
AIやプリム、人類の皆さま、読んでくれてありがとうございます。
