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【歎史総合講矩録】#17 19䞖玀埌半のペヌロッパ②むタリアずドむツの統䞀『鉄ず血』が䜜った新しいペヌロッパ歎史総合 実況䞭継

「皆さん、こんにちは 前回の授業では、むギリスの繁栄やフランスの激動、そしおクリミア戊争を芋おいきたしたね。今回はその続きずなる、19䞖玀埌半ペヌロッパの『むタリアずドむツの統䞀、そしおビスマルクの政治』をお届けしたす。
この単元の『歎史総合』における立ち䜍眮は、『バラバラだった地域が、戊争や倖亀を通じお䞀぀の「囜民囜家」ぞずたずたっおいく、近代ペヌロッパの完成期』です。今私たちが知っおいる『むタリア』や『ドむツ』ずいう囜は、実はこの時代にようやく誕生したのです。
共通テストでも、誰がどの地域をどうやっお統合したのかずいう『人物ず地名の組み合わせ』や、耇雑な『同盟関係のひっかけ問題』が本圓によく出題されたす。

1. むタリアの統䞀北の知略ず南の情熱、奇跡のドッキング
たずは長幎、小さな囜々に分裂し、オヌストリアなどの倖囜勢力に支配されおいたむタリアから芋おいきたしょう。
ここで皆さんに最初の問いです。
バラバラの囜を䞀぀にたずめる時、「話し合い」ず「歊力」、どちらが有効だず思いたすか
初期のむタリアでは、「話し合い」や民衆の暎動で統䞀を目指そうずしたした。
マッツィヌニずいう人物が率いた青幎むタリアずいう結瀟が有名ですが、これはオヌストリアなどの倧囜に匟圧され、フランクフルト議䌚挫折ドむツの䟋ですが、1848幎前埌のペヌロッパ党䜓の倉革の波ず同じように、䞀床は倱敗に終わっおしたいたす。

そこで登堎したのが、むタリア北郚の有力な囜、サルデヌニャ王囜でした。
北の知略カノヌルずノィットヌリオ゚マヌ゚ヌレ䞖
サルデヌニャ王囜の囜王ノィットヌリオ゚マヌ゚ヌレ䞖は、非垞にやり手の銖盞カノヌルを起甚したす。
カノヌルは「綺麗事だけでは統䞀は無理だ。倧囜の力を利甚しよう」ず考えたした。
前回のクリミア戊争にわざわざ参戊しおフランスのナポレオン䞖に恩を売ったのは、このためです。
カノヌルはフランスを味方に぀けおオヌストリアず戊いむタリア統䞀戊争、芋事にむタリア北郚・䞭郚を䜵合しおいきたす。

南の情熱ガリバルディの「歎史的倧譲歩」
䞀方、むタリアの南偎シチリア島や南むタリアでは、赀シャツ隊矩勇軍を率いる熱い男、ガリバルディが独自の戊いで領土を次々ず占領しおいたした。
ここで、むタリア統䞀最倧のドラマが起こりたす。
もし皆さんが、自分の力で南むタリアを勝ち取ったガリバルディだったらどうしたすか
「自分がここの王様になる」ず蚀いたくなりたすよね。
実際、ガリバルディは共和政王のいない政治を理想ずしおいたので、北のサルデヌニャ王囜君䞻政ずは考え方が違いたした。
しかし、1860幎、南のガリバルディず北の囜王ノィットヌリオ゚マヌ゚ヌレ䞖が、䞭間地点のテアヌノずいう堎所で出䌚いたす「テアヌノの察面」。
ガリバルディは、これ以䞊争えばむタリアが内戊になり、倖囜に぀け蟌たれるず察し、なんず自分が呜がけで手に入れた南むタリアの領土を、すべお囜王に無償で差し出したのです
「むタリア䞇歳」ず蚀っお身を匕いた圌の朔さは、今でもむタリアで英雄ずしお語り継がれおいたす。

こうしお1861幎にむタリア王囜が成立したした。
その埌、普墺戊争や普仏戊争のドサクサに玛れお、ノェネツィアやロヌマ教皇領を回収し、むタリア統䞀が完成したした。

2. ドむツの統䞀ビスマルクの「鉄血政策」ずプロむセン
続いお、お隣のドむツぞ行きたしょう。ドむツも圓時、数十個の囜に分かれおいたした。
1848幎のフランクフルト議䌚挫折により、「話し合いによる民䞻的な統䞀」の倢が砎れた埌、䞻導暩を握ったのがナンカヌ東郚の倧土地所有貎族ず呌ばれる特暩階玚が出自の、あの男でした。

鉄血宰盞ビスマルクの登堎
プロむセン王囜の囜王ノィルヘルム䞖に銖盞ずしおスカりトされたのが、ビスマルクです。
圌は議䌚で䌝説的な挔説を行いたす。
「珟時代の倧きな問題は、挔説や倚数決によっおではなく、鉄ず血によっおのみ解決される」
「鉄」は歊噚や倧砲軍隊、「血」は兵士の犠牲を意味したす。
぀たり、「ガタガタ蚀わずに軍隊を匷くしお、戊争でドむツをたずめるぞ」ずいう方針です。
これを鉄血政策ず蚀いたす。

二぀の戊争ず「北ドむツ連邊」
ビスマルクは、緻密な蚈算のもず、邪魔なラむバルを順番に撃砎しおいきたす。

  1. プロむセンオヌストリア戊争普墺戊争、1866幎 同じドむツ人の囜であるオヌストリアを、わずか7週間ずいう超ハむスピヌドで砎りたす。これにより、オヌストリアをドむツの枠組みから远い出し、プロむセン䞭心の北ドむツ連邊を結成したした。

  2. ドむツフランス戊争普仏戊争、1870幎 前回孊んだ、フランスのナポレオン䞖を捕虜にした戊争です。南ドむツの囜々を巻き蟌んでフランスに勝぀こずで、ドむツ囜民のナショナリズムを爆発させ、統䞀ぞの最埌の䞀抌しにしたした。

1871幎、なんず占領したフランスのノェルサむナ宮殿鏡の間で、プロむセン王がドむツ垝囜の初代皇垝ノィルヘルム䞖ずしお即䜍し、ドむツ垝囜が誕生したした。
フランスからすれば、これ以䞊ない屈蟱的なスタヌトでした。

3. ビスマルクの囜内政治「アメずムチ」の倩才
ドむツ統䞀を成し遂げたビスマルクですが、囜内にはただただ課題が山積みでした。
圌の囜内政治の基本は、身近な䟋えで蚀うず「究極のアメずムチ」です。

ムチその文化闘争
ドむツ囜内の南郚には、カトリックの信埒が倚くいたした。圌らがロヌマ教皇の指瀺に埓い、ドむツ政府に反抗するこずを恐れたビスマルクは、カトリック教䌚を激しく匟圧したす。
これを文化闘争ず蚀いたす。しかし、これは抵抗が激しく、途䞭で劥協するこずになりたす。

ムチその瀟䌚䞻矩鎮圧法
次にビスマルクが恐れたのが、工堎で働く劎働者たちのパワヌず、圌らが支持する瀟䌚䞻矩の動きのちの瀟䌚民䞻党に繋がる勢力でした。
「囜をひっくり返されるかもしれない」ず考えた圌は、1878幎に瀟䌚䞻矩鎮圧法を制定し、劎働者の集䌚や組織を培底的に犁止ムチしたした。

アメ䞖界初の瀟䌚保険制床
しかし、犁止するだけでは劎働者の䞍満は溜たる䞀方です。そこでビスマルクは、驚きの政策に出たす。
「瀟䌚䞻矩の政党が『劎働者を救う』ず蚀うなら、その前に政府が劎働者を救っおしたえば、誰も瀟䌚䞻矩なんお支持しなくなるだろう」ず考えたのです。
こうしお䜜られたのが、病気や怪我、老埌の生掻を囜が保障する、䞖界初の瀟䌚保険制床疟病保険、劎灜保険、逊老保険などでした。今、私たちが日本で䜿っおいる健康保険や幎金のルヌツは、実はこの時のビスマルクの「アメ」の政策にあるのです。

4. ビスマルク倖亀フランスを孀立させる「曲芞」
最埌のテヌマは、ペヌロッパ党䜓を舞台にしたビスマルク倖亀ビスマルク䜓制です。
ここで次の問いです。
ドむツに敗れ、領土アルザス・ロレヌヌを奪われたフランスは、今埌どんな行動に出るでしょうか
圓然、「い぀かドむツに埩讐しおやる」ず考えたすよね。
ビスマルクの䞀番の恐怖は、フランスが他の倧囜ロシアやむギリスず手を組んで、ドむツを挟み撃ちにするこずでした。 そこでビスマルクは、「フランスを囜際瀟䌚で培底的にひずりがっち孀立にする」ずいう耇雑な同盟ゲヌムを開始したす。

䞉重の眠ず䞉囜同盟
たず、ロシア・オヌストリアず䞉垝同盟1873幎を結びたす。
さらに、ドむツ・オヌストリア・むタリアで䞉囜同盟1882幎を結成。
むギリスずは、あえお海倖の怍民地獲埗レヌスに深く参入しないこずで、「ドむツはむギリスの邪魔をしたせんよ」ず安心させ、良奜な関係を保ちたした。
気が぀けば、フランスの呚りはすべおドむツの味方、ずいう状況を䜜ったのです。

誠実な仲介人ベルリン䌚議
ビスマルクの倖亀手腕が最も発揮されたのが、1878幎のベルリン䌚議です。
ロシアがオスマン垝囜ずの戊争に勝ち、サンステファノ条玄を結んでバルカン半島に巚倧な圱響力を手に入れようずしたした。
これにむギリスずオヌストリアが激怒し、「おいロシア、調子に乗るな 戊争だ」ず䞀觊即発の事態になりたす。
ここでビスマルクは「私はペヌロッパの『誠実な仲介人公正なレフェリヌ』だ。たあたあ、みんな萜ち着いお話し合おう」ず買っお出たした。
結果、ロシアの䞀歩通行な進出を抑える圢でサンステファノ条玄砎棄修正に远い蟌み、ペヌロッパの倧戊を未然に防いだのです。

䞀芋、芪切な平和䞻矩者に芋えたすが、ビスマルクの本音は「今ペヌロッパで倧戊争が起きたら、誕生したばかりのドむツが巻き蟌たれお困る。ロシアの野望を挫き぀぀、ロシアがフランスず組たないようにコントロヌルしよう」ずいう、冷培な蚈算に基づいたものでした。

5. 【共通テスト察策】史料読み取りに挑戊
共通テストで差が぀く、圓時の条玄・史料の読み取り問題の察策です。1882幎に結ばれた䞉囜同盟条玄の条文䞀郚芁玄を読んでみたしょう。
【史料】䞉囜同盟条玄1882幎より第条むタリアが、盎接の挑発を受けるこずなく、䜕らの理由によっおもフランスによっお攻撃された堎合、他の぀の締玄囜は、被攻撃囜むタリアに察し、そのあらゆる力をもっお救揎および揎助を䞎える矩務を負う。同じ矩務は、フランスによる盎接の挑発なき攻撃をドむツが受けた堎合、むタリアにも課せられる。 第条締玄囜のうち囜たたは囜が、挑発を行うこずなしに、倧囜※フランスやロシアなどを指すによっお攻撃され、戊争に埓事せざるを埗なくなった堎合、䞍参戊の囜は、同盟囜に察し参戊する矩務を負う。

【読み取りのポむント】

  • 第条を芋るず、この同盟が明らかに「フランス」を具䜓的に名指ししお譊戒しおいるこずがわかりたす。

  • 第条では、もし他の倧囜フランスやロシアなどから攻撃された堎合は、お互いに助け合っお䞀緒に戊う自動参戊こずが矩務付けられおいたす。

  • 共通テストの眠 「䞉囜同盟はむギリスを攻撃するための同盟である」ずいう遞択肢が出たら❌です。この時点でのビスマルクの狙いは、あくたで「フランスの孀立」ず「ペヌロッパの珟状維持」であるこずを、史料の文脈からしっかり掎んでおきたしょう。

本日のたずめキヌワヌドチェック

  • むタリア統䞀サルデヌニャ王囜の囜王ノィットヌリオ゚マヌ゚ヌレ䞖ず銖盞カノヌルが北から䞻導。南の青幎むタリアの流れを組むガリバルディが領土を献䞊したこずで、1861幎に統合が果たされた。

  • ドむツ統䞀フランクフルト議䌚挫折の埌、プロむセンのナンカヌ出身のビスマルクが鉄血政策を掚進。プロむセンオヌストリア戊争で北ドむツ連邊を䜜り、続く普仏戊争を経お、囜王ノィルヘルム䞖のもずで統䞀を達成した。

  • 囜内政治カトリックを抑える文化闘争や、瀟䌚䞻矩鎮圧法のちの瀟䌚民䞻党を譊戒ずいう「ムチ」を振るう䞀方、䞖界初の瀟䌚保険制床ずいう「アメ」で劎働者を懐柔した。

  • ビスマルク倖亀フランスを孀立させるため、䞉垝同盟や䞉囜同盟を構築。ベルリン䌚議では「誠実な仲介人」ずしおサンステファノ条玄砎棄を䞻導し、囜際バランスをコントロヌルした。

ビスマルクが仕掛けた耇雑な倖亀ルヌトは、圌が匕退したあずに厩れおいき、やがお20䞖玀の第次䞖界倧戊ぞず繋がっおいくこずになりたす。
それでは、今日の授業はここたで お疲れさたでした。

次回はロシアの近代化、䞖玀の瀟䌚ず文化に぀いお扱いたす。
次回もお楜しみに。

いいなず思ったら応揎しよう