シリーズ連載「求償-1bitの誤謬」③第2章:デジタルの空白 前編 第3回:左遷された調査官
第2章:デジタルの空白 前編
第3回:左遷された調査官
1ビットの嘘も、俺は見逃さない。
事故調査官・深町誠は、組織の論理に背いた代償として、この吹き溜まりの独立行政法人「NALTEC(ナルテック)」へ流された。
彼の手元にある事故ログには、意図的に消去された「六秒間の空白」があった。
寝屋川にあるNALTECの薄暗い解析室。深町は、幾層ものプロテクトを剥ぎ取り、夢舞大橋で大破したレクサスRXの車載コンピュータと対峙していた。
「……やはり、ここか」
深町がマウスを止めたのは、DSSAD(自動運行データ記録装置)に記録された、衝突直前のデータ群だ。
国交省の仙道が「正常」だと断言したそのログは、一見、完璧な整合性を保っているように見えた。だが、深町のような「論理的潔癖症」のエンジニアに言わせれば、それはあまりに「綺麗すぎた」。
「ありえない。こんな論理的空虚、存在してはならない」
事故調査官・深町誠は、モニターに映る無機質な波形を前に、震える声で独りごちた。 彼がNALTEC(ナルテック)の薄暗い解析室で見守っているのは、消された歴史の断片である。 そこには、意図的に、そして極めて暴力的に削り取られた「六秒間の空白」があった。
公式報告書では「正常」とされていたログ。
だが、深町がバイナリエディタで生のRAWデータを覗き込んだ瞬間、背筋に冷たいものが走った。ある特定のタイムスタンプを境に、データの連続性が絶たれ、ハッシュ値が不自然な整合性を持って書き換えられている。
「……これは事故じゃない。隠蔽だ」
組織の論理に背き、本省を追われた自分への「警告」のようにも見えた。
その時、電子ロックの解錠音と共に、重く湿った足音が響いた。
「失礼するで」
部屋の空気を震わせるような太い声と共に、一人の男が入ってきた。
ニュームーンの運行管理部長、鮫島宗一だ。
「深町さん、あんたが国交省の中で唯一、機械の嘘を暴こうとして干された男やって聞いた。そんな男が、このデタラメな報告書で納得しとるんか」
鮫島は、かつて深町が自動運転の保安基準策定で「システムの無謬性など幻想だ」と上層部に噛みつき、左遷された経緯を知っていた。
深町は画面から目を離さず、冷淡に答えた。
「……帰ってください。民間人が立ち入っていい場所ではない。それに、私の解析結果はすでに本省に送った『公式見解』と変わりませんよ。真壁という主任者のオーバーライドの遅れ。それがすべてだ」
深町は、自身の内側にある熱を押し殺すように、事務的な標準語を重ねた。
「あなたの持っているその『日誌』とやらは、ただの主観的な日記だ。法廷では一円の価値もありません。お帰りください。」
「なめとんのか、自分!」
鮫島の咆哮が、精密機器の並ぶ部屋を震わせた。
「あんた、この真っ黒な画面ばっかり見てて、真壁が最後にどんな顔してハンドル握ってたか想像したことあるんか? あいつはタクシードライバーとしての誇りを持って、客を、車を、命を守ろうとしてたんや! あんたのその冷たい数字に、あいつの血は通っとるんか!」
鮫島は、ボロボロの日誌を深町のデスクへ叩きつけた。
「……科学的根拠のない主観は、ノイズでしかないと言っている」
深町は反射的に日誌を押し返そうとした。
しかし、偶然目に入ったその一頁、乱れた文字で記された記述に、視線が釘付けになった。
『午前2時3分42秒。夢舞大橋の三つ目のジョイント。路面が鳴き、モーターが不自然に共振した』
深町は息を呑んだ。
いま自分が解析している「レクサスRX」のバイナリデータの中で、唯一、原因不明のノイズが発生し、エラーフラグが立った時刻。
それが、この日誌に記された「秒数」と、完璧に一致していたのだ。
(偶然か? いや、あり得ない。組織が見捨て、私がゴミとして処理しようとしていた波形の正体を、この男は予見していたのか……)
深町は震える指で眼鏡を直し、画面を激しくスクロールさせた。
「……鮫島さん。あなたの言う『アナログの違和感』。もしかしたら私が探していたノイズの原因なのかもしれない」
画面には、アクセル開度とブレーキ圧の推移を示す波形が映し出された。
「国に提出されたレポートでは、衝突前の六秒間、真壁さんは何もしていなかったことになっている。だが、未加工のRAWデータには、その六秒間だけハッシュ値が書き換えられた痕跡がある。誰かが意図的に消去した可能性がある。」
深町の手が、複雑なコマンドを打ち込んでいく。復元されたログが、モニター上に不気味な赤い波形を描き出した。
「鮫島さん、この車、激突する直前にアクセルを100%踏み込んでいます。システム自らの意志で」
深町がモニターを指差した。
(第3回・了)
--------------------------------------------------------------------------------
第4回予告:足の裏の記憶
「あんたの数字に、潮の香りは入っとるんか」 鮫島は、解析データに固執する深町を舞洲のコンテナターミナルへと引き摺り出した。 教科書には載っていない「現場の振動」が、最新AIの死角を暴き始める。
更新日:2026年4月30日予定
【創作大賞2026 応募作品】
最後までお読みいただきありがとうございます。連載の続きが気になる、面白いと感じていただけましたら、ぜひ「スキ」や「フォロー」で応援をお願いします。皆様の一押しが、この物語を完結へと導く最大の原動力になります。
#創作大賞2026
--------------------------------------------------------------------------------
脚注:用語解説
NALTEC(ナルテック): 独立行政法人自動車技術総合機構。車両の検査や、事故原因の工学的・技術的検証を行う機関。
DSSAD(自動運行データ記録装置): 自動運転車において、システムの作動状態や、人間とシステム間の操作の交代履歴を記録する「ブラックボックス」のような装置。
MIRAI(ミライ): 日本が国策として推進している国産の自動運転用オペレーティングシステム(OS)。
バイナリデータ: コンピュータが直接理解できる形式(0と1の組み合わせ)のデータ。
ジョイント(伸縮継手): 橋梁などの構造物が温度変化などで伸縮するのを吸収するための継ぎ目部材。
RAWデータ: 圧縮や加工が行われる前の、センサーやコンピュータから出力されたままの「生」のデータ。
ハッシュ値: データの指紋のような数値。データが少しでも改ざんされるとこの数値が変わるため、整合性のチェックに用いられる。
特定自動運行主任者: 運転者がいないレベル4自動運転を遠隔などで監視・管理し、事故発生時などに必要な措置を講じる責任者。
無謬(むびゅう)性: 全く間違いがないこと。ここでは「AIはミスをしない」という過信を指す。
なにわキャブ: 作中に登場する、地域に根ざした大阪の老舗タクシー会社。新興のニュームーンに買収された設定。
