メンデルスゾーン の 先進性 ブラームス チャイコフスキー への影響 温巴赫而知門德尔松本人
子曰 温巴赫而知門德尔松本人 可以為師矣
子いはく バッハを温ねて
メンデルスゾーン自身を知れば
以て師と為るべし と
メンデルスゾーンは 20歳のときの1829年3月に
マタイ受難曲 を 約100年ぶりに 蘇演 して
忘れられていたバッハの再評価 の功労者 と
言われていますね そうして
古いけれど価値ある音楽を大切にする精神や
大金持ちの御曹司で 一般に認知されている
優雅で気品のある容姿や芸風から
危険をおかしたり 斬新なことをしたりするようには
けっして思われていないようです
でも
メンデルスゾーン という人物は
一筋縄ではいかない作曲家です
故きを温ねて新しきを知る
どころか 私が知る限りでは
革新的 なことをいろいろやった
前衛的な作曲家 というイメージです
一つ
これは 音楽関係者のみならず
素人でも音楽好きなら誰でも
知っていることではあり
メンデルスゾーン が初めて
というわけでもないのですが
もっと 端的 です
あの有名な
ヴァイオリン協奏曲ホ短調 第1楽章 冒頭
いきなり 独奏ヴァイオリンの第1主題演奏
から始まる というものです (図版1) 従前は
独奏楽器の協奏曲 というものは まず
オーケストラでソナタ主題を二つ提示してから
やっと独奏楽器がその主題を繰り返す
という二重提示になっていました
加えて カデンツァ といって
(元来は)独奏者がオケとの協演から離れ
単独で自身が考えた あるいは 即興で
自由にその楽器の可能性に挑んだり
テクニックを誇示する というものがありますが
従来は 第1楽章の再現部のあと
コーダがあればその前に置かれていました が
巷の 協奏曲 というものが カデンツァにおいて
モチーフを自在に調理して ということから逸脱して
本曲のレヴェルと乖離ををきたしてきたゆえ
メンデルスゾーンは カデンツァの場所を
展開部 の終わりに置き また カデンツァを
演奏者まかせではなく 自身で作曲しました (図版2)
(これも ベートーヴェン がやってはいますが)


カデンツァ が 展開部 の終わり 再現部 の前に
二つめ
これもまた ベートーヴェン が
似たようなことやっていますが
他の作曲家は ことに
ソナタ形式 において 再現部 は
ただ 第2主題の調性を主調に合わせる
というだけで その他は 常套として
ほぼ提示部どおりに再現させています
メンデルスゾーン の場合
主題の再現時に その主題の中の「レ」を
「ド」に取っ替えて再現させる
などということをしたのです
ヴァイオリン協奏曲ホ短調 第1楽章
第2主題
提示部では(ト長調)
♪ソーーーーーーー┃ーー↓ファーーー↓ミー┃
ーー↓レー↓♯ドー↑レー┃↑【レー(フェルマータ) 】
再現部では(ホ長調)
♪ソーーーーーーー┃ーー↓ファーーー↓ミー┃
ーー↓レー↓♯ドー↑レー┃↑【【ドー(フェルマータ) 】】
というように この主題の最大の聴かせどころで
メンデルスゾーン は 提示 と 再現 とで
【レ】→【【ド】】という”超マイナーチェンジ”を
施しているのです(図版3)

提示部 と 再現部 での 第2主題 の比較 【レ】→【【ド】】
こちらは ソナタ形式作品 ではありませんが
無言歌集(ピアノ小品集)第5巻 作品62の6
いわゆる 春の歌 Allegretto grazioso
2/4拍子 3♯イ長調
この小品の構成は
♪ミーーー・ー↑ファ↑♯ファ↑ソ┃
↑ドー↓ソー・↓ファー↓ミー ┃
↓レーーー・ーー↑ファー┃
↓ラーーー・ーー↓ファー┃
を A
♪ソー┃↑ソーーー・ー↓♯ファ↓♮ファ↓ミ ┃
↓レー↓シー・↓ラー↓ソー┃(以下略)
を B
♪(実質ホ長調に転調して)ラー┃
↑【レー】、↓シー・↓ラー、↓ソー┃
↑ミー、↓ドー・↓シー、↓ラー┃
↓ソー、↓レー・↑ミー↑ファー┃
↓ミーーー・ ーー、↑ソー┃
↓【レー】、↓シー・↓ラー、↓ソー┃
↑ミー、↓ドー・↓シー、↓ラー┃
↓ソー、↓レー・↑ファー↓シー┃
↑ドーーー・ ーー
を C
とすると その C の終わりに
イ長調に戻され
A が再現されるものの
途中から和声を替えて短縮され
B は再現されず
C再現の2小節前で
ホ長調 に転調する と見せかけて
C はイ長調のまま再現となるのですが
この C は
♪レー┃
↑【【ドー】】、↓シー・↓ラー、↓ソー┃
↑ミー、↓ドー・↓シー、↓ラー┃
↓ソー、↓レー・↑ミー↑ファー┃
↓ミーーー・ ーー、↑ソー┃
↓【【ドー】】、↓シー・↓ラー、↓ソー┃
↑ミー、↓ドー・↓シー、↓ラー┃
↓ソー、↓レー・↑ファー↓シー┃
↑ドーーー・ ーー
と頭の音だけ【レ】から【【ド】】に
取っかえられているのです (図版4)

三つめ
これもまたまた ベートーヴェン が
そして シューマンが
(名目的に一楽章形式の実質四楽章)
交響曲第4番ニ短調 で
やっていることではありますが
多楽章の曲で 複数の楽章を
繋いで演奏させる というものです
メンデルスゾーン は
番号付きの ピアノ協奏曲 二曲
スコットランド交響曲
ヴァイオリン協奏曲ホ短調
など その数を上まわってやっています
さらに スコットランド交響曲 では
全四楽章すべてがソナタ形式
という酔狂なこともやっています
四つめ
トリスタン和音 を 大胆に 使ったことです
トリスタン和音 というものは
転回……砕いていえば
和音を構成する音の順を入れ替えること
……して 判りやすい音で表せば
【シ↑レ↑ファ↑ラ】
クラシックでは VII7(長調) II7(短調) または
【減五短七の和音】
(根音(もっとも下の音)から数えてあとの三音は
短三度 減五度 短七度 の音程)
ポップスのコードでは【Bm7♭5】
(ビー・マイナー・セブンス・フラット・ファイブ)
という それほど複雑な和音ではありませんから
もちろん ヴァーグナーよりもっと以前の
バッハ サリエリ ハイドン ベートーヴェン
シューベルト ショパン シューマン
などが使っていて この中でとくに
ポピュラーな曲で且つ判りやすいもの だと
ベートーヴェン 月光ソナタ
第3終楽章 第100小節 (図版5)
ショパン スケルツォ1番 冒頭 (図版6)
などがあります


この和音単独ではなく いわゆる
トリスタン和声 として この和音を含み
"解決されない”かのような”コード進行”が
画期的 とされたのが ヴァーグナー の
トリスタンとイゾルデ です (図版7)

さて
夏の夜の夢 の 劇附随音楽 であることはおろか
メンデルスゾーン という名さえ知らない人でも
絶対に聴いたことがある
「タタタ┃ター・ーー」・●●・「タタタ┃
ター・ーー」・●●・「タタタ┃
タン」・「タタタ・ タン」・「タタタ┃
タン」・「タタタ・タン」・「タタタ ┃
(【ター・ーー】」
という「運命の動機」のリズムを
三本のトランペットの主和音重ね の
導入句で始める
「結婚行進曲」 その旋律の最初の小節
♪【ドー・ーー】・↓シー・ー↓♯ファ┃
↑ラー・↓ソー↓(♮)ファー↓レー
【最初】が……この曲は ハ長調 ですが……
ハ長調 の主和音どころか
ハ長調 のどの和音でもない
【ラ↑ド↑ミ↑♯ファ】という
【トリスタン和音】なのです
"転回"すれば
【♯ファ↑ラ↑ド↑ミ】 これは
ト長調の【シ↑レ↑ファ↑ラ】 つまり
別の調の和音……ベートーヴェン が
交響曲第1番 第1楽章 序奏冒頭でやった
「借用和音」開始 なのです ともあれ
メンデルスゾーン は 「結婚行進曲」 の
あのキャッチ―な旋律のしょっぱなに
【トリスタン和音】をぶつけてきたのです
ヴァーグナーも真っツァオ です (図版8)

米文学の スコット・フィッツジェラルド が
「あのギャツビー」の中で
以下のように描写しています
As Tom took up the receiver
the compressed heat exploded into sound
and we were listening to
the portentous chords of Mendelssohn's
Wedding March from the ballroom below.
(拙大意)トムが内線電話の受話器を取ったとたん
部屋に充満してた熱気が一気に爆発したのか
と思ったくらい大きな炸裂音がしたのだった
それは階下の宴会場から聞こえてきた
メンデルスゾーンの結婚行進曲の
ただならぬ気配のものものしい和音だった
portentous という形容詞の意味は
訳すのが難しい語ですが ともあれ
ネガティヴで 不吉 な 前兆 のような
雰囲気を含んだものです
「結婚行進曲」の旋律に施された
【トリスタン和音】 そしてそれに続く
〖ホ長調の属七〗 という いずれも
ハ長調でない和音群を
”the portentous chords”
と描写した フィッツジェラルド の
感性の鋭さが解る文章です
この【トリスタン和音】を ただの
主和音 に替えた 自前音源を添附します
どうお感じになりますでしょうか
メンデルスゾーン は
冒頭の導入句の「運命の動機」にしても
三組のカップルの結婚に 単なる
ハッピーエンド とは思えないものを
感じた のでしょう そして
旋律の最初に 【トリスタン和音】
(その時点ではその名はありませんでしたが)を
用いたのです 前記のように
この和音の用例はたくさんありますが
これほど強烈に印象づける音楽は
ありませんでした メンデルスゾーン の
革新性 の最たるものでしょう
ヴァーグナー もこの メンデルスゾーン の
「結婚行進曲」の portentous が
脳内にこびりついていて それが
「トリスタン和声」として表出した
ということかもしれません
五つめ
ソナタ形式のオケ曲で
第2主題のテンポを遅くする
という (おそらく)それまでの
他のどの作曲家もやらなかった
新手の技を メンデルスゾーン は
【tranquillo】 という 【決まり文句】 で
繰りだしていきました この
トランクイッロ という語は
メンデルスゾーン の作品に多く見られますが
これまた ヴァイオリン協奏曲ホ短調
を例にとります
しかし 自筆譜 には たとえば
速度標語 も 強弱記号 も
何も記されていません (図版9)
この協奏曲が作曲されたのは
1844年です 38歳で亡くなる
3年前ですが この頃すでに
メンデルスゾーンは 超多忙なのに
体調がすぐれないことが多くなっていました
実際 翌年1845年3月13日に
この協奏曲が初演されたときには
自身の指揮で行われる予定が
体調不良で副指揮者が代行しました
メンデルスゾーン は自らが
指揮者でもあったので
リハーサルや公演の具合で
その都度手を加えていく状況であり
自筆譜と出版譜が一致しない
やっかいな作曲家ではあります

Eduard Henschke (1805–1854)
エドゥアルト・ヘンシュケ が筆写して
速度標語 強弱標語 クレッシェンド
などを書き入れたものに
メンデルスゾーン が 鉛筆 のようなもので
いろいろと書き加えているものが
残されています
たとえば 第1楽章冒頭
この楽章の 速度標語 が
Allegro con fuoco
アッレーグロ・コン・フオーコ
となっていたものを
Allegro molto appassionato
アレグロ・モルト・アパッショナート
と書き替えています (図版10)

ヘンシュケ による筆写譜にメンデルスゾーンが書き入れたもの
そして 肝腎なのが
第2主題に移行する箇所で
独奏ヴァイオリンに
【tranquillo】 と書き入れ
最初に第2主題を奏する
フルートとクラリネットの段にも
【tranquillo】 と書き記しています
そして 改めて第2主題を弾く
独奏ヴァイオリンに さらに
【tranquillo】 と記しています (図版11)

メンデルスゾーン が tranquillo と書き入れている
第2主題は 曲想的にも また
(独奏ヴァイオリンの)演奏実務的にも
第1主題のテンポのままでは
無理があります つまり
第2主題は テンポを落とすことが
必至なのです
メンデルスゾーン はここで
【tranquillo】という
英語でいえば calm down
静(鎮)まって という注文を入れたのです
いわば
自律神経の優位劣位の交替 で
第1主題 が
交感神経優位(緊張 ストレス状態)
のテンション状態だとすると
第2主題 は
副交感神経優位(緩和 リラックス状態)
に落ちついている状態
のような感じ です
現在でも
音楽辞典 や 楽典 教科書 などの類に
tranquillo トランクイッロ を
まず読みかたかたして
トランキーロ などとしているものもあり
その意味は ただ
「静かに」
としか書かれていません
たしかに 曲想的に「鎮まる」ことは
間違っていません が それだけではなく
カーム・ダウン → 拍動は遅まる
つまり 速度でもテンポ・ダウン する
ということなのです
このヴァイオリン協奏曲の
用例ひとつだけでも
メンデルスゾーン は
【tranquillo】に
表情標語 としての「鎮まって」
に加えて
速度補助標語 としての「やや遅めて」
という要求をしていることは明白です
この第2主題の終わりで
第一ヴァイオリン・パートに
Leggiero レッジェーロ (弾むように)軽快に
という 表情標語 を書いています (図版12)
これも 表情 に加えて 速度 の変化
をも要求しているのです つまり
トランクイッロ で減速したものを
レッジェーロ で元のテンポに
戻しているのです

メンデルスゾーン が Leggiero と書き入れている
メンデルスゾーン は
【tranquillo】という語を
ピアノ協奏曲第1番ト短調
フィンガルの洞窟
など もっと早い時期の作品でも
テンポ・ダウンの意味で用いています
フィンガルの洞窟 も いくつかある
自筆譜 は書き込みが少なく
やはり 出版される際に校正する
という形がとられたのではないかと
思われます ともかくも
メンデルスゾーン の自筆譜の場合
そこにすべては書きこまれていない
ということです
この 【tranquillo】 に関しても
メンデルスゾーン 研究の第一人者
星野宏美さんに伺ったところ
(自筆譜になくても)
メンデルスゾーン自身の指示
とのことでした
たとえば
第2主題は 提示部は
チェロ(+ファゴット)→ヴァイオリン
という楽器が使われますが
再現部では 二本の
クラリネットのソリで歌われます
自筆譜によっては この箇所
二本のクラリネット・パート だけ
両方ともにひとつの音符も書かれていない
というものまであります ともあれ
メンデルスゾーン の生前に出版された
ブライトコプフ・ウント・ヘルテル
の譜面には そこに何も記されていません
これは 記入漏れ であることが疑われます
なぜなら……
メンデルゾーン の死後 同じ
ブライトコプフ・ウント・ヘルテル から出された
印刷譜には 第1クラリネットのパートに
tranquillo assai トランクイッロ・アッサイ
と記されています (図版13)
生前の出版譜 では空白だったが
メンデルスゾーン の指示があった
という資料かなにかから この出版譜に
記載されたのでしょう しかし
これだけだったら
たとえ ここでテンポを落とさない演奏が
いかに不自然だとしても
速度にまで言い及んでる とは
信じられないかもしれませんが
短くされさらに別の楽句で繋がれた
再現第2主題の絶妙な吹奏が終わると
総譜全体への指示として
Animato, in tempo アニマート、イン・テンポ
という指示がなされてるのです
アニマートは元来「呼吸」を表す語で
「活気づけて」という意味であり あきらかに
テンポに言及した標語です ここで
メンデルスゾーン は
イン・テンポ(元のテンポ)に戻すように と
指示してるのです (図版13)

第2主題 再現箇所
これは
第2主題再現冒頭のクラリネットに
トランクイッロ が記されていなかった印刷譜にも
Animato, in Tempo または
a Tempo
が記されています (図版14)
つまり
いったんテンポ・ダウンしていないのに
アニマート、イン・テンポ とか
ア・テンポ とか記すのは不合理です なので
生前に出された印刷譜のクラリネットに
トランクイッロ が記されていないのが
印刷不手際の記入忘れ である
と断定する根拠です

ともあれ
メンデルスゾーン は ソナタ形式 の
第2主題 を その楽章の元テンポより遅くする
という先駆けをした作曲家なのです
ブラームス(代表例 交響曲第2番)
チャイコフスキー(代表例 交響曲第5番)
といった
メンデルスゾーンの一世代あとの
大作曲家たちが この
トランクイッロ の同様の使用法で
ハイドン モーツァルト ベートーヴェン
シューベルト などにはなかった
ソナタの第2主題のテンポを遅くする
ということ普通にするようになりました
以上のように
メンデルスゾーン は 曲そのものの
優美さや上品さとは異なり
数々と目新しいことをやった
前衛的な作曲家でもありました
ピアノ小品や室内楽を愛でるかたが
多いメンデルスゾーンですが 私は
癖のあるオーケストレーションながら
意外と美しく且つよく鳴るオケ作品にこそ
特別な愛着を感じていて
大好きな作曲家のひとりです
閉めに
メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調 スコットランド
第1楽章 序奏 の自前音源を添附します
