「これで良かったんだろうか?」看取った後の夫の思いと、私に残った罪悪感
看取った後の夫の思い
義母を施設に預けてから、
私の中にはずっと、
罪悪感のような気持ちが残っていました。
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果たせなかった夫の思い
夫から同居や介護の相談もなく、
なし崩し的に始まった在宅介護でしたが、
最後は家で看取るつもりでした。
それが親孝行だと思っていた夫。
私も覚悟をして、
そのつもりで介護をしていました。
でも、私が交通事故に遭い、
最後まで自宅でお世話をすることができなくなりました。
夫の思いは、果たせなかったのです。
「私が事故に遭わなければ、家で看取れたのに」
その思いは、今でも私の中にあります。

夫は、義母を看取った後もしばらくの間、
こう言っていました。
「これで良かったんだろうか?」
「他にやれることはなかったんだろうか?」
夫にとっては、
在宅介護の末に自宅で看取ることが親孝行
だったのだと思います。
それが叶わなかったことで、気持ちの整理がつかなかったのかもしれません。

そんな夫に、私は何も言えませんでした。
在宅介護12年。
施設で8年。
20年間、夫はどう見ていたのだろう
施設に入所してから、
夫は年に数えるほどしか訪問していません。
「親孝行は?」
「様子を見に行かないの?」
そう思う一方で、夫には仕事があります。
休日は休みたいでしょう。
「自分は仕事をしているから、介護はできない」
そういう思いもあったのだと思います。
そして後半は、私が事故に遭い、
施設にお願いすることになりました。
最後まで在宅でお世話をしきれなかったことに、
今でも罪悪感が残っています。
「20年間、介護をしてきた」と、
胸を張って言えないような気持ちになるのです。
実は私、密かに思っていたことがあります。
最後まで義母のお世話をして、
夫に「私がここまでやったんだから」と、
少しくらい恩を着せようと、
そんな下心もあったのです。
それでも報われない思い
義母を看取った後も、
相続の手続きなどで、
役所や金融機関に何度も足を運びました。
そうしたことも、夫は仕事を理由に、
ほとんど私に任せました。
専業主婦だったのだから、
私が行くしかありません。
金融機関や、役場は平日がほとんどなので、
夫が仕事を休むわけにもいきません。
仕方のないことだったのだと思います。
それでも…
何か、この20年間が報われないような気がしていました。
自分の事は後回しにして、
育児をしながら介護をしてきた。
家族の生活を守りながら、
義母のお世話をしてきた。
それなのに最後は、私が事故に遭ったことで、
施設にお願いすることになった。
「仕方がなかった」と頭では分かっています。
それでも、私なりに精一杯やってきたのに、
「これで良かったんだろうか?」
「他にやれることはなかったんだろうか?」
という夫の言葉が、頭から離れません。
私に向けて言った言葉ではない。
夫自身の後悔や迷いなのだと思います。
それでも私は、
「夫はあの20年間に満足していないのだろうか」
そんな風に捉えてしまうのです。
夫からの「ありがとう」
義母を看取った後、
夫から感謝の言葉はあったと思います。
はっきりと覚えていませんが、
「お疲れ様」
「ありがとう」
そんな感じだったと思います。
「えっ、それだけ?…」

見返りを求めていたわけではありません。
でも、約20年間の義母の世話を、
そんな言葉だけで済ませられたような気がしてしまいました。
なんだか、モヤモヤした気持ちが残りました。
夫は、素直に感謝してくれているのだと思います。
でも、もし、
「大変だったね」
「助かったよ」
「20年間、本当にありがとう」
「君のおかげで、母を安心して任せられたよ」
そんな、ねぎらいの言葉があれば、
私は、もう少し報われたような気持になれたかもしれません。
誰かに、分かってほしかった
介護をしているときは、
毎日のことで精一杯でした。
20年間も続くとは思ってもいませんでした。
育児と介護に追われ、
自分の時間もほとんどありませんでした。
以前の記事で、
「時々友達とランチに行って思いっきり愚痴を聞いてもらっていた」と書きました。
正直、その時間すら休みたいと思っていました。
それでも、誰かに話を聞いてもらいたかった。
話をするだけで、気持ちが軽くなり、
また頑張ろうと思えました。
私の辛い気持ちを、少しでも分かってほしかった。
夫に、認めてほしかったのかもしれません。
「大変だったね」
「よく頑張ったね」
その言葉だけでも、
救われることもあるのだと思います。
20年間の在宅介護生活を振り返りながら、
これからも、当時の出来事やそのときの気持ちを少しずつ書いていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
