『富国共創――21世紀の「強い社会」とは何か』
かつて日本は「富国強兵」を掲げた。国を豊かにし、その力で国を守る。それは当時の日本が選んだ生存戦略だった。
では、21世紀の「強い社会」とは何だろう。
私は、二つのまったく違う経験から考えるようになった。
一つは生成AIで漫画を作ったことだ。
私は物語を作れても、絵を描けなかった。人に頼めばお金がかかる。技術、資本、人脈を持つ人と持たない人では、表現する前から差がある。
AIはその壁を低くした。何度も生成し、「違う」と直し、選び、組み合わせ、私は頭の中の物語を形にできた。
しかし、新しい疑問が生まれた。
誰が、どんな「物差し」で作品や人の実力を決めるのだろう。
もう一つは裁判だった。
家族の財産問題から自分で裁判を経験し、重要だと考える証拠も提出した。しかし、なぜそれが判断を変えなかったのかを十分理解できないまま、棄却という結果を受け取った。さらに問い直すには時間とお金が必要だった。
そこで二つの経験がつながった。
「物差し」を持つ人の判断を、誰が問い直すのだろう。
私は、説明されない結論の責任だけを個人が背負う状態を「嘘責」と呼んだ。
民主主義は権利を与えて終わりではない。理由を知り、検証し、問い直せてこそ、人は制度に参加できる。資本主義も豊かさを生む一方、資本や専門性へのアクセスに差を生む。
AIは、知識や技術へたどり着くまでの差を縮められるかもしれない。
しかしAIも間違う。だからAIに正解を任せるのではない。人間が考え、AIも使って調べ、表現し、他者と検証する。間違っていれば、また直す。
私は、裁判で分からなかったことを調べ、記録している。創作でも、AIの答えをそのまま作品にはせず、自分で選び、直し続けている。
一人では届かない場所へ、知識や技術を持ち寄ることで届く。私はそこに、未来の社会の形があると思う。

私はそれを「富国共創」と呼びたい。
SDGsが掲げる「質の高い教育をみんなに」も「平和と公正をすべての人に」も、私は「誰もが考え、参加できる社会」を目指す言葉だと受け取っている。
競争によって豊かになるだけでなく、その豊かさと知恵を持ち寄る。そして誰かの判断を絶対にせず、間違えば問い直し、次の人がさらに良くしていく。
未来のために私ができることは、自分の経験と問いを記録し、次の人が考えるための材料として残すことだ。
強さから共創へ。
「富国共創」――それが、私が未来へ渡したい新しい「強さ」である。

