財産問題の始まりは、もっと前だったのかもしれない──今日、医師の診察を迎える──468日
祖母の財産をめぐる問題について、私は長い間、「相続」「不動産」「親族間の債務」「財産管理」といった個別の問題として考えてきた。
しかし現在、少し違う可能性を考えている。
そもそも、財産を管理していた本人自身の判断能力に問題はなかったのか。
この問いである。
長男は、現在に至るより数年前、脳梗塞で一度倒れている。
もちろん、脳梗塞になったという事実だけで、その後の判断能力に問題があったとは言えない。後遺症の程度も人によって異なる。
だから私は、病歴だけを根拠として過去の行為を否定するつもりはない。
しかし、その後に起きた出来事を時系列に並べると、どうしても確認しなければならないことが出てくる。
祖母が管理していた通帳を、長男が管理するようになった。
そしてその後、実際には清掃をしていないにもかかわらず、「清掃代」という名目で月に5万円で年間約60万円が支出されていたと私が認識している問題がある。
ここで重要なのは、60万円という金額そのものではない。
なぜ、実際の清掃を伴わない支出が「清掃代」という名目で行われていたのか。
本人はその意味を理解していたのか。
本人自身が決めたことなのか。
誰かから説明されて了承したものなのか。
実際には贈与だったのか。
そして、その原資は誰に帰属する財産だったのか。
確認すべきことがいくつもある。
さらに後年には、不動産売買をめぐって本人の自己判断が問題となり、契約の解消について相手方から譲歩を得た経緯もあった。
一審の審理中にも、代理人が裁判官から本人について尋ねられた際、「言っていることが分からない」という趣旨の発言をした場面を私は記憶している。
それでも当時、私はこれらを一つの問題として見ていなかった。
脳梗塞は病気の問題。
通帳は財産管理の問題。
清掃代は金銭支出の問題。
契約の問題。
裁判は裁判の問題。
それぞれ別の出来事として存在していた。
しかし現在、これらの出来事を一本の時間軸に並べる必要が出てきた。
脳梗塞の後、本人の判断能力はどのような状態だったのか。
そこから確認する必要があるのではないかと思っている。
そして今回、医師から連絡があった。
現在、長男には呂律が十分に回らない状態がみられ、本人の意思や判断能力について医学的な確認が必要になっているという。
明日、火曜日には医師による診察・評価が予定されている。
私は、その結果を先取りするつもりはない。
医師が「判断能力に問題がある」と判断するのか、「現在でも十分に意思確認できる」と判断するのかは、診察を受けなければ分からない。
そして、仮に現在の判断能力に問題があるとの診断が出たとしても、それだけで数年前の本人の判断能力まで否定されるわけではない。
しかし、もし医学的に現在の判断能力について具体的な問題が確認されたなら、私は次に一つの問いを持つことになる。
これは、いつから始まっていたのか。
脳梗塞を発症した時点なのか。
その後なのか。
通帳の管理が変わった時点ではどうだったのか。
年間約60万円の支出をしていた時点ではどうだったのか。
不動産売買契約を行った時点ではどうだったのか。
裁判をしていた時点ではどうだったのか。
そして、その期間に行われた財産管理や法律行為について、本人はどこまで理解していたのか。
これは、明日の診察だけで答えが出る問題ではない。
むしろ明日の診察は、現在地点を確認するためのものだと思っている。
現在地点が分かれば、そこから過去へ向かって、医療記録と実際の行動を時系列で確認することができる。
そして、もしこの問題が最終的に本人の判断能力と財産管理能力という一点へ収束していくのであれば、私はこの十年間の見方そのものを変えなければならないのかもしれない。
これは本当に、単なる相続争いだったのだろうか。
それとも、
判断能力に問題を抱えていた可能性のある人物に財産管理が集中し、その状態を家族も制度も整理できないまま年月が経過した問題だったのだろうか。
まだ結論は出ていない。
だから、今は断定しない。
明日、火曜日。
まず医師が現在の本人をどう評価するのか。
そこが、この長い問題をもう一度最初から見直すための、新しい基準点になるのかもしれない。
