「家族間の問題」という言葉は、どこまで問題を説明できるのだろうか⸻445日
ここで少し昔のことを書いておこうと思う。
長男は跡継ぎでありながら、六十歳を過ぎても当時結婚はしていなかった。仕事についていたのかどうかも、正直なところ私は知らない。なぜ不動産の名義人になっていたのかも、当時は理解できなかった。
ただ、一つだけ分かっていたことがある。
当時、長男が交際していた女性は長男より十歳ほど年上で、すでに孫もいる状況だった。そして祖母は、その交際に強く反対していた。
当時の私は、「恋愛の問題なのだろう」としか思っていなかった。
しかし今振り返ると、祖母は別のものを見ていたのかもしれない。
本来であれば、財産管理や承継方法について別の対応を取ることもできたのではないかと思う。そして、その一つの形が三男を巡る公正証書遺言だったのかもしれない。
しかし、その結果として生じたのは、父(次男)に対する相続侵害に近い構造だった。
さらに後になって知ったことがある。
交際していた女性が祖母に対して挑戦的な態度を取っていたという話である。
もちろん、私は当時その場にいたわけではない。
だから誰か一人を断定的に非難するつもりはない。
しかし、その後に起きた出来事を見る限り、祖母が抱いていた危機感には、単なる好き嫌いだけでは説明できない背景があったのではないかと思うようになった。
そして今でも疑問が残る。
裁判では、この一連の出来事を「家族間の問題」と整理した。
しかし、本当にそうだったのだろうか。
家族間の問題とは、本来、互いに一定の信頼関係や分別が存在することを前提として初めて成立する概念ではないだろうか。
親が長年管理してきた財産、先祖から受け継がれてきた財産、それらを第三者との関係を含めて巡る紛争まで、「家族間」という一言だけで整理してしまってよいのだろうか。
少なくとも私が経験したのは、恋愛問題でも、単なる親族喧嘩でもなかった。
財産管理、相続、契約、借金、裁判、そして制度運用が複雑に絡み合った問題だった。
もし、このような構造まで「家族間の問題」として処理されるのであれば、本来審理されるべき法的問題や財産管理の問題が見えなくなる危険がある。
制度は紛争を終わらせることはできる。
しかし、「家族間」という言葉によって実態まで覆い隠してしまうのであれば、その整理は本当に当事者を救うものだったのだろうか。
