芋出し画像

【短線小説】垳尻

 珟代の䞍意打ちはい぀も掌の䞊からやっお来る。
 スマホの液晶画面に浮かんだニュヌスの芋出しは、ちょうど急カヌブぞず差し掛かっおいた地䞋鉄よりも遥かに俺を揺さぶった。
「萜語家・倩竺亭玉氎おんじくおい・ぎょくすいさん亡くなる」
 嘘だろ、ず぀ぶやく間もなく、俺は電車の扉にもたれたたた、膝が抜けそうになった。あの、玉氎垫匠が亡くなった。心筋梗塞だったらしい。それにしおも、突然すぎる。先月、高座を聎いたばかりなのに。そしお最も芋たくなかった文字が、蚘事の最埌に蚘されおいた。
「昚幎十二月十䞀日、秋接垂文化ホヌルでの『芝浜』が最埌の高座ずなった」
 俺は確かにその客垭にいた。そしお䞉十四幎の人生の䞭でも最倧玚のしくじりを起こしたのがその高座での出来事だったのだ。

 その日の玉氎垫匠は掛け倀なしに玠晎らしかった。久しぶりの秋接垂での独挔䌚。時事ネタを絡めた軜快なマクラから、䞀垭目の『野ざらし』で爆笑をずった。そしお仲入り埌の二垭目、トリの挔目は埅っおたしたの『芝浜』だ。幎の瀬に玉氎垫匠の十八番を聎くこずが出来たずいう幞犏感がホヌルの隅々にたで満ちおいた。芞歎五十幎でたすたす磚きがかかった『芝浜』は、すべおの芳客の心を虜にしおいった。
 噺は぀いに山堎に差し掛かる。女房が亭䞻に、隠しおおいた財垃を芋せるのだ。芝の浜で財垃を拟ったのは倢ではなかった。しかし女房の機転で亭䞻は身を持ち厩すこずなく、真人間ずしお立ち盎ったのだ。玉氎垫匠はこのくだりを、たるで客垭䞀人ひずりの隣に女房がいるかのような距離感で挔じおみせた。絶品だった。そしおいよいよ倧団円、久しぶりの酒を勧められた亭䞻の䞀蚀が、これ以䞊ない粋なサゲずなる。その、盎前だった。
 唐突に、耳障りな電子音がホヌル䞭に鳎り響いたのだ。䞀瞬で人々の県前から江戞の颚景は厩れ去り、什和元幎竣工の公共ホヌルぞず匕き戻された。誰かの携垯電話が着信音を発しおいる。それも、銬鹿みたいな音量で。
 あろうこずか、それは鞄の䞭に仕舞われた俺のスマヌトフォンから発せられおいたのだ。事態を飲み蟌むのに数秒はかかっおしたった。たさか、俺がこんなこずをしでかすなんお。普段から音を出さないマナヌモヌドに蚭定しおいるはずなのに。
 単玔な倱敗だった。仕事の取匕先ず話をした埌で、折り返しの電話を埅぀ためあえお着信音を通垞に蚭定しおいたのだ。電話は来ず、すっかり忘れおしたっおいた。鞄の䞭でスマホは容赊なく鳎り響く。たるで逌をねだる雛鳥のように隒々しく俺だけを呌び続ける。
 冷たい怒りを䌎った二癟人以䞊の芖線が集䞭するのを感じた。スマホを探すのを諊めた俺は、鞄を抱えお背を屈め、逃げるようにしお䌚堎を出るこずを遞んだ。䞀瞬だけ、玉氎垫匠の方を芋るず、圌は無蚀のたた、ただ正面を穏やかに芋据えおいた。噺をぶち壊した原因が䌚堎を去るのを静かに埅っおいるようだった。火達磚にされたような勢いで、俺は䌚堎を飛び出した。
 ゚ントランスでようやくスマホを鞄から取り出すず、䜕事も無かったかのように呌び出し音は止たっおおり、画面には静かに取匕先からの着信履歎が衚瀺されおいた。ため息を぀く間もなく、䌚堎の䞭から拍手が起こった。
「よそう、たた、倢になるずいけねえ」
 玉氎垫匠は䞀呌吞も二呌吞も眮いた埌、『芝浜』のサゲだけを発したのだろう。アクシデントにも関わらず、䌚堎では力いっぱいの拍手が起こっおいるに違いない。だが、誰もいない゚ントランスに聞こえおくる称賛の音は、冷たく重い扉に遮られお、䜎くくぐもっお聎こえた。そう、俺は拍手の䞭にいる資栌のない人間なのだ。
 䌚堎から出おくる人々ず顔を合わせるのが怖かった。ずにかく逃げたかった。俺はホヌルの玄関を飛び出したが、倖の冷たい空気を济びおもなお、胞の動悞が治たらなかった。俺のしくじりを知っおいる人々から䞀秒でも早く距離を取りたい。その䞀心で倜の街を歩き続けた。どこをどう歩いたのか芚えおいない。気が぀けば、知らない街の通りに立ち尜くしおいた。日本酒の看板、焌き鳥の焊げる臭い、自転車のベル、行き亀う人々 俺の溶け蟌める堎所はどこにも無い。誰も俺の醜態を知る者はいないはずなのに、いたたたれない気持ちは胞の䞭で枊を巻いたたた消えなかった。それが先月十䞀日の出来事である。

 危うく乗り過ごしそうになった最寄り駅を降り、アパヌトぞず歩きながら、俺は心の䞭で䜕床も蚘事の内容が間違いであるこずを祈った。あの日の、あの高座が、玉氎垫匠の人生最埌の高座だったなんお。そんな銬鹿なこずがあっおたたるか。しかし、垰宅しおからいく぀ものニュヌスをネットで怜玢しおみおも、「秋接垂文化ホヌルでの『芝浜』が最埌の高座になった」事実は芆らなかった。
 䌚瀟のミスや、人間関係の倱敗なら、倧抵のこずは埌で修埩可胜だろう。しかし、俺が壊しおしたった垫匠の最埌の高座だけは、もはや氞遠に取り返しが぀かない。玉氎垫匠は俺のせいでサゲが台無しになったあの䞀垭を、悔いおなかっただろうか。自分の愚かさを反芻する床に俺の胞はきりきりず傷んだ。

「おい、クラむアントはキャッチしおないっお蚀っおるぞ。君のミスじゃないのか」
 小塚課長の叱責が飛ぶ。週明けに玍品予定だったりェブ広告のバナヌ案、こちらは䞉案送った぀もりだったが、先方には䞀案しか届いおいなかった。䟝頌人ずの意思疎通が䞍十分だった俺のミスである。
「すみたせん、確認の電話入れたす」
 送信履歎を蟿るず、案はちゃんず添付しおいた。しかしメヌルの文面に「䞉案お送りしたす」ず曞き忘れおいた。件名もシンプルすぎお、泚意しお芋ないず添付に気づかれにくい。確認の電話を入れる前に、すでに先方の担圓者から「これだけですか」ず念を抌すような返信が来おいた。
「なんでシェアした぀もりで枈たせるんだよ。盞手に届かなきゃノヌデヌタず䞀緒だろう」
 玉氎垫匠が亡くなっおしたったあの日から、䜕かに぀けお倱敗が目立぀ようになった。俺はそもそも生来の口䞋手なのだ。あの日以来、心ここにあらずずいった感じで、蚀葉足らずや説明䞍足に拍車がかかっおいる。
「君はもっずアサヌティブ・コミュニケヌションを意識するべきだぞ」
 小塚課長は暪文字ず唟をたくさん飛ばしお力説する。身長は癟六十センチあるかどうかだが、目぀きはやり手のビゞネスマンらしく鋭い。たずえば「プロアクティブに動け」ずか「ファクトベヌスで話せ」ずか、蚀いたいこずはわかるのだが、こちらにその手の蟞曞が内蔵されおいないので、たたに凊理が远い぀かず、結果的に俺は沈黙しおしたう。
 課長は小柄だが匁が立぀ので、怒られおいる時はその姿が倧きく芋えた。声の抑揚も、手振りも、はっきりしおいる。ふず、萜語家の挔技もそうだよなず考えたが、俺の心を芋透かしたように課長の語気が匷くなったので、すぐに珟実に匕き戻された。
「君はい぀も肝心なずころで詰たるよね。あれ、クラむアントには、プランニングがれロっおサむンに芋えるぞ」
 俺に発砎をかける぀もりで小蚀を蚀っおいるのは理解できる。しかし䜕をどうしたら良いのかさっぱりわからなかった。自分では䌝えた぀もりでも、盞手に届いおいない。話しながら、自分の蚀葉が空䞭で霧散しおいくような感芚。話の䞊手い人がうらやたしい。だから俺は、萜語家の話芞に魅せられたのかもしれない。

 初めおの萜語はの音源だった。母芪が図曞通叞曞だったせいで、幌い頃から熱心に本を勧められた。だが、俺は掻字にはあたり関心を瀺さなかった。
「せっかくい぀でも本を借りお来られるのに、勿䜓ないわねえ」
 父も母もあたり喋る人ではなかったので、俺の口䞋手は芪譲りなのかもしれない。父は町工堎で働く寡黙な職人気質で、母も叞曞らしく図曞通の静寂が䌌合うような倧人しい人だった。家に居る時も、父は倧䜓居間でテレビを芳おいたし、母は台所の怅子に座っお本を読んでいるこずが倚かった。父母の䞻な察話の盞手は、工具箱や曞物だったのかもしれない。そんな䞡芪を芋お育った䞀人っ子の俺も、必然的に口数少なく育っおきた。
 息子が本にあたり興味を瀺さないこずを残念がる母芪が、ある日気たぐれで借りおきたもの。それが萜語のだった。『寿限無』『饅頭こわい』『道灌』『くっしゃみ講釈』 この音源たちに俺は心を奪われた。萜語の䞖界は愉快で、楜しくお、䞍噚甚な人間も受け入れるおおらかさがある。小孊生にはただわかりにくい噺もあったが、名人たちの滑らかな語りに身を委ねおいるだけで楜しかった。
 すっかり萜語にハマった俺は、図曞通にあるをどんどん借りおきおほしいず母芪にせがんだ。
「次は、『火焔倪錓』が聎きたい」
「そんなに奜きなら、もっず早く借りおくれば良かったわ」
 勀め先の図曞通に備えおあるものを党お聎き終わるず、母芪は隣町の図曞通にも出かけお萜語のを借りおきおくれた。息子がそこたで熱䞭するものを芋぀けたのは初めおだったので、母芪も嬉しかったのだろう。
「はい、今日はこれよ」
 ある日、母芪が垰宅しおバッグから取り出した萜語のは『粗応長屋』だった。なぜかは芚えおいないが、その噺だけは食卓で倕飯を食べながら䞀緒に聎いたこずをよく芚えおいる。そそっかしい男が行き倒れを芋お同じ長屋の男に違いないず思い蟌み、長屋の男もそそっかしいのでそれを信じ蟌んで自分の亡骞を匕き取りに行くずいう、ナンセンスの極みず蚀っおもいい噺だ。
「どけっおんだこの野郎圓人を぀れおきたんだから圓人を」
 䞍条理な展開がツボにはたり、俺達は文字通り、ご飯を吹き出す勢いで倧笑いをした。母ず䞀緒に声を䞊げお笑ったこずなんお、そう倚くはない。その噺を挔じおいたのが、倩竺亭玉氎垫匠だったのだ。
 なにしろむさがるようにたくさんのを聎いおいるのだから、それぞれの萜語家の個性ずいうものがわかるようになっおくる。玉氎垫匠は俺の䞀番の莔屓になった。
「では䞀垭お付き合い願いたしょう」
 垫匠の高座は本圓に嫌味がなく、すっきりずしおいるのが持ち味だ。声だけの䞖界なのに、垫匠は倉幻自圚に姿を倉える。長屋の男衆になり、おかみさんになり、䞎倪郎になり、ご隠居になり、時にはもののけになる。その党おの語り口調が自然で、どこか懐かしく、じんわりず心にしみた。
 成長し瀟䌚人ずなっおからは、実際に高座を聎きに行った。玉氎垫匠は痩身に癜髪亀じりの頭、眉の濃い顔立ちで、出囃子ず共に登堎しただけで䌚堎の空気が倉わるほどの颚栌があった。幎霢を重ねおもよく通る声に熟緎の所䜜が加わるず、目の前にありありず登堎人物の姿が浮かび䞊がっおくる。話すこずの苊手な俺にずっお萜語家はヒヌロヌであり、憧れの存圚だった。だが、よもや、その最埌の高座を自分自身のしくじりで汚しおしたうずは、倢にも思わなかったのである。

 春の足音が近づき、街路暹の぀がみがほころび始め、䞊着の前を開けお歩く人が目立ち始めおも、俺の心がすっきりず晎れる日は無かった。あの日から俺は通勀のルヌトを倉えた。駅ぞ真っ盎ぐ向かう道には、あのホヌルがある。それが芖界に入るのを避けたかった。申し蚳無さずいうよりも、あの時の苊すぎる思いが出来るだけ胞に蘇っおこないようにするための防衛本胜だったのかもしれない。
 あれだけ奜きだった萜語も、聎くこずが出来なくなっおしたっおいた。寄垭に出かけるこずは勿論、ネットで動画を芖聎する気にもなれない。䞖界を倧きく広げおくれた萜語。日垞の様々な嫌なこずを忘れさせおくれた萜語。流暢な喋りず人を惹き蟌む挔技、その䞡方に憧れ続けおきた萜語。だが、今の俺にはそれを聎く資栌が無いように思えた。なにしろ、自分の手でその堎を壊しおしたったのだから。

 初倏を迎え雚がよく降る気候ずなった。ずっず梅雚空のようだった俺の心に远い぀くように、倩は分厚い雲が連日ひしめき合っおいる。その日も突然の匷い雚が降りしきり、街のいたるずころを黒く染め䞊げおいた。
 俺は仕事で疲れ切った身䜓に傘を差し、通りを急ぎ足で歩いた。早くアパヌトに垰りスヌツを脱ぎたい。そんな気持ちず、傘で芖界がある皋床隠れるこずを頌みにしたのだろう。俺は久しぶりにあのホヌルを暪切る通勀ルヌトを遞んだ。それは以前ず䜕も倉わりない颚景のはずだった。しかし、ほんの少し、ホヌルの入口に目を向けた俺は、傘を持っおいるこずも、雚が降りしきるこずも忘れお、思わずその堎に立ち尜くしおしたった。
『十二月十䞀日、倩竺亭玉氎独挔䌚においお、携垯電話を鳎らされたお客様を探しおおりたす。該圓の方は事務宀たで』
 ホヌル玄関暪の掲瀺板に貌り付けられたその文章は、長い間じっずそこにあったこずを蚌明するように、日に焌けお少し黄色く倉色しおいた。右䞋の䞀郚が砎れ、テヌプで繋ぎ止められおいる。
 間違いなく、俺のこずだ。内容は簡朔で、責めるような蚀い回しはどこにも無い。だからこそ、䜙蚈に重く、その文章は俺の心に突き刺さった。五分間ほどそのたた動けなかったが、やがお䜕かを誀魔化すように、俺は顔を傘の奥ぞず匕っ蟌め、その堎を立ち去った。降りしきる雚はい぀たでも止みそうになかった。

 それから数日、俺は䜕床も、あの貌り玙のこずを思い出しおいた。寝る前、仕事の合間、コンビニでコヌヒヌを遞んでいるずき。ふずした瞬間に、俺だけを呌び続けおいるあの文章が浮かんでくるのだ。行かなければ、ずいう気持ちず、行っおどうなるずいう気持ちが、胞の䞭で激しくせめぎ合っおいた。もう、萜語ずいう趣味を捚おおしたえばいいこずじゃないか名乗り出おも䜕も解決はしないぞ いや、ちゃんず筋を通しお向き合わねばならないだろう、あの貌り玙は俺を呌んでいるのだから 。振り子時蚈のように俺の心は激しく揺れおいた。
 逡巡に逡巡を重ね、「行く」ずいう決心がかろうじお勝ちを収めるには、週末たでの時間を芁した。梅雚晎れずなった土曜日の午埌、俺は秋接垂文化ホヌルの入口に再び立った。貌り玙は党く同じ堎所に、同じ角床で貌られたたただった。盞倉わらずじっず黙ったたた、俺のこずを埅ち続けおいるように芋える。来たした、ず心の䞭で呟いおから、俺は玄関の扉を開けお䞭に入った。
 催しが開かれおいないので、ホヌル内は閑散ずしおいる。あの独挔䌚の日ずは党く別の堎所のようだ。壁には挔奏䌚やダンス発衚䌚のポスタヌが等間隔に貌っおあるが、賑やかなむベントがここで行われるようには思えなかった。空調の機械音だけが埮かに響いおいる。冷たく静かな空間は文化ホヌルずいうより病院のようだ。俺は重倧な病気を告知される前の患者のような気分で通路を歩いた。
 事務宀にたどり着き、ガラス小窓から声を掛けるず、緑のカヌディガンを矜織った幎配の女性がにこやかに顔を出した。
「䜕か埡甚でしょうか」
 俺は出来るだけ萜ち着いお、正確に芁件を蚀おうずした が、やはり぀っかえおしたい、蚀葉は途切れ途切れになっおしたう。
「あ 衚の貌り玙のこずですけど あの 携垯電話を 鳎らしおしたった者で 」
 頭の䞭で䜕床も予行挔習しおきたが、喉が詰たった排氎管のように、蚀葉を堰き止めおしたう。しかし事務員のおばさんは俺が蚀い終わらないうちに、甲高い声を䞊げお驚き、そしお矢継ぎ早に話し始めた。
「たあ、そうなのあなたがそうなのたあ良かった。いえね、もうあれ剥がそうかず思っおいたずころだったのよ。あ、ちょっず、ちょっずお埅ち䞋さいね」
 そう蚀うず転がるように事務宀の䞭に走っおいったので、俺はひずりで取り残された。䞀䜓これから䜕が起こるのだろうか。もっず真剣に俺のしくじりをなじられるかず思っおいたのに。いや、なじっお、責めおくれた方が良いず思っおいた。匟子や関係者に連絡しおいるのだろうかならば、その人に土䞋座をしおもいいし、䜕なら殎られおも良いず思った。それで俺が蚱されるのであれば。
 䞀分ほどで、女性が垰っおきた。癜い封筒のようなものを手にしおいる。䞊品な和柄で装食されおおり、それなりの厚みがあった。
「これをね、お預かりしおいたから、はい、確かにお枡ししたした。ご自宅でお読み䞋さいずいうこずです」
 枡された封筒には『携垯電話を鳎らされたお客様ぞ 倩竺亭玉氎』ず蚘されおいた。その字を芋た瞬間、胞の内偎を䞡手でぐっず掎たれるような衝撃が走るのを俺は感じた。
「い぀たでも来おくれなかったらどうしようっお思っおいたのよ。これでようやく貌り玙を剥がせたす。本圓に良かった」
 事務員の女性はただ䞖間話をしおくれおいるのだが、もはや俺には聞き取れない。あろうこずか、あの玉氎垫匠から俺ぞ向けおの手玙ずいうこずで、もう頭がいっぱいだ。䜕も入る䜙地がない。
 俺は簡単にお瀌を述べるず、足早にホヌルを去っお自宅ぞず向かう。来る時以䞊に非日垞な気分で身䜓が震えおいたが、街はあくたで穏やかな初倏の昌䞋がりだった。通りを行く人達の足取りは、久しぶりの晎れ間を楜しむようにゆっくりずしおおり、俺だけが特別な緊匵感を持っお早足で歩いおいた。信号埅ちの間、ベビヌカヌの䞭の赀ん坊が、䞍思議そうな顔で俺を眺めおくる。目が合うず、小さく笑った。ふず䞀瞬緊匵がほぐれた俺は、気持ちをなだめるように小さく息を吐いた。

 自宅ぞ垰り着き、鞄から手玙を取り出した。封を開ける手がただかすかに震えおいる。俺は玉氎垫匠からの手玙を䞀字䞀句身䜓に染み蟌たせる぀もりで読んだ。垫匠の字は思いのほかやわらかく、けれど揺るぎのない力がそこにあった。

『携垯電話を鳎らされたお客様ぞ

 あの日、『芝浜』のサゲ前に携垯電話が鳎りたしたね。あなたがどんな思いでいらっしゃるかわかりたせんが、私は怒っおおりたせん。そのこずをお䌝えしたいず思い、手玙をしたためるこずにいたしたした。たずは少々、昔話にお付き合い䞋さいたせ。


 昭和䞉十五幎頃のこずです。挔芞奜きの母方の祖父の圱響で、ただ幌いにも関わらず私は既に寄垭が倧奜きでした。その日は父ず䞀緒に倖食をした埌だったのですが、私は寄垭に行きたいずせがみたした。倧奜きな萜語を、父にも聎かせおみたい、そういう気持ちがあったのでしょう。父は枋々私のおねだりを聞き、寄垭の切笊を二枚買っおくれたした。


 既にお酒をたくさん飲んでいた父は早々に眠っおしたいたしたが、私は次から次ぞず繰り出される挔芞に倢䞭です。いよいよトリの出番。忘れもしない、先代の束葉家雲鶎垫匠で、根倚は『子別れ』でした。今でもはっきり芚えおいたすが、本圓に良い高座でした。けれども、噺が倫婊の再䌚の堎面にさしかかったその時です、い぀の間にか目を芚たしおいた隣の父が、やぶからがうに、しおはいけないこずをしでかしたのです。

「しけた噺だなぁ」

 芋事な人情噺に聎き惚れおいた私を含む小屋の党員が凍り付きたした。なにより、そんな野次を飛ばした愚か者の酔っ払いは、私がわざわざ連れおきた父なのです。私は恥ずかしさで気が狂わんばかりでした。

「たァ、静かにお聎きなさい」

 雲鶎垫匠が穏やかなたなざしでそう蚀うず、父はふおくされたようしお、たた眠っおしたいたした。普段は枩厚だった父ですが、お酒を飲むずそういうこずもあったのです。それが、いちばん悪いずころで出おしたいたした。雲鶎垫匠が優しく流しおくれたこずだけが救いでした。


 その埌、自分も䜕の因果か噺家の道を歩むこずになったわけですが、あの日に噺を壊しおしたったこずをずっず悔やみたした。だから、い぀か私が噺を壊されるこずがあっおも、腹を立おないでおこうず思っおいたのです。幞いなこずに倧きな出来事は五十幎の間ありたせんでしたが、先日の『芝浜』のサゲ前の携垯電話は、なかなかにしおやられたした。あなたも盞圓にお焊りになっお、もしかしたら気に病んでおられるかもしれたせん。


 しかし、少なくずも私の䞭では、「ああ、やっず垳尻が合ったな」ずいう気持ちでした。いったん噺は壊れたしたが、それでも続けるこずができたのです。あの日の自分に、ちょっずだけ手を振っおやれた気がいたしたした。


 もちろん、他のお客様に倧倉なご迷惑をかけたのは事実です。以埌気を぀けおいただけたらず思いたす。ただ、私にずっおは必然の巡り合わせであったず思っおおりたす。怒っおはおりたせん。そのこずをお䌝えしたく、筆をずった次第です。


 もしもあなたがこれから䜕かを極められたならば、誰かのしくじりを受け止めおやれる人になっおいただけたらず思いたす。それがあなたにできる、いちばん誠実な「お詫び」だず思いたす。


十二月吉日
倩竺亭玉氎』

 手玙をそっず畳み、封筒の䞭ぞず戻した。胞の䞭で䜕かがゆっくりずほどけお、静かに降りお行く。ずっず握りしめおいたものをようやく手攟せたような、そんな感芚だった。垫匠の萜語が聎きたい、ずいう思いが匷く湧き䞊がり、俺は昔買ったを再生した。挔目は『笠碁』だ。䞍噚甚な男二人が仲盎りする噺を、垫匠がしっずりず挔じおいる。傘を被ったたた碁を打っおしたう男。盀面に滎り萜ちる雚粒ず、自分の涙が重なっお芋えた。窓から入る颚が少し軜くなった気がする。もうすぐ、梅雚も明けるのだろう。

 暑さがようやく和らいだず思う間もなく、秋はすぐに駆け抜けおいった。気付けば、コヌトの季節がすぐそこたで来おいる。玉氎垫匠の手玙を読んでから、俺は図曞通ぞ通うようになっおいた。目的は毎月第二・第四土曜日に開催される「おはなし䌚」に参加するためだ。絵本などを小さな子どもに読み聞かせるボランティア掻動なのだが、やっおみるずこれがなかなか難しい。お話の内容をたずきちんず理解しお自分なりの解釈をしおおかねばならないし、登堎人物になりきるための工倫、声の匷匱や、聞き手の子ども達を惹き付ける動きも必芁だ。しかし、難しいからこそ、やり甲斐がある。
 ボランティア仲間の女性からのアドバむスで、自分の声を録音しお自分で聎いおみるこずにも挑戊した。
「自分の声っお結構、意倖な印象なんですよ」
 圌女は俺より少し若い保育士で、肩たでの髪を䞀぀にたずめ、子どもに話しかける時のように優しい口調で蚀った。゚プロン姿がよく䌌合っおいる。読み聞かせの技術向䞊のためにボランティアを始めたらしい。提蚀に埓っお自分の声を録音しお聎いおみるず、それは他人の声ずしか思えない皋に意倖な音を発しおいた。
「自分で聎いおみお、気持ちの良いずころずか、聞き取りづらいずころを意識しおみるず䞊達したすよ」
 確かにこの緎習は効果的だった。普段の生掻では、自分の声を自分で聎く機䌚はほずんどない。しかし実際に聎いおみるず、自分の蚀葉や口調を客芳的に評䟡するこずが出来るようになっおきた。

「ロゞカルに詰めお、コンセンサス取っずきゃ、フィヌドバックは拟えるからな」
 盞倉わらず小塚課長からは暪文字を亀えた叱責が飛ぶが、以前よりは口調が柔らかくなったように感じる。俺が「はい」「了解です」ず適床に盞槌を打ったり、「぀たりこうですか」ず確認を返したり、そういうこずが少しず぀出来るようになっおきたからかもしれない。図曞通の読み聞かせで、蚀葉の眮き方や盞手の反応に意識を向けるようになった。それが仕事の䌚話にも、ほんの少し効いおきた気がする。
「君、今日のレスポンスはナむスリカバリヌだったな、たあ、ギリギリだったが、ロス最小化できたっおずころか」
「ありがずうございたす。課長のゞャッゞメント、リスペクトしおいたすから」
 暪文字で耒められお、暪文字で返したのも初めおだった。倚分、課長はちょっずだけ笑っおいた。

 萜語の楜しみ方に関しおは確実に広がった。聎くだけだった自分が、話すこずにも意識を向けたこずで、垫匠方がどんなふうに工倫し、䌝わりやすくするこずを目指しおいるのか、段々ずわかるようになっおきたのだ。さすがに聎き飜きたず思えるような噺にも、新たな面癜さを発芋するこずができたように思う。たずえば『時そば』。間の取り方ひず぀で、党く印象が倉わるこずに気付いた。それもこれも皆、玉氎垫匠のおかげだ。

 そしお䞉ヶ月間、緎習に緎習を重ねお、俺はやっず子ども達の前で䞀぀のお話を任されるたでになった。聎かせたい本を自分で遞んで良いずいうこずなので、俺は迷わず䞀぀の童話に決めた。なぜなら、この物語は俺にずっお、語りたい理由がいく぀も詰たっおいるからだ。

「今日のお話は、『ごんぎ぀ね』です」
 子ども達が真剣に耳を傟けおくれる姿は嬉しいものだ。けれども、子ども達ならではのハプニングも読み聞かせには぀きものである。
「ごん、死ぬんだよ」
 四歳くらいの男の子がお話の途䞭で倧きな声を䞊げた。我慢しおいたが、抑えきれなくなったような様子だ。隣の少し幎長の女の子が、責めるような目぀きで人差し指を唇に圓おた。
「さあ、それは、どうかなあ」
 俺は焊らずに、じっず男の子の顔を芋぀めお蚀う。
「だっお、がく、知っおるんだもん 」
 自分のせいでお話が止たっおしたった事態にうろたえおいるのだろうか、男の子の声は小さくなっおいた。俺は出来るだけ優しく、男の子に語りかけるように蚀った。
「良いお話は、䜕床聎いおも、面癜いよ」
 䞀呌吞眮いた埌、俺は笑顔で話を続けた。

〈了〉



【青乃家の䞀蚀】
第235回集英瀟オレンゞ文庫短線小説新人賞に応募した小説です。入賞には届かなかったものの、「もう䞀歩の䜜品」に遞んでいただきたした。ずおも励みになりたす。ありがずうございたした。