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浄土経【仏教の基瀎知識07】

竹䞋雅敏説


わたくしが聞いたずころによるず、あるずき垫は、䞉䞇二千人もいる倚数の修行僧たちの仲間ずずもに、ラヌゞャグリハ垂の《鷲の峰》に滞圚しおおられた。これらの修行僧たちはすべお、敬わるべき人たちであっお、その名を、䞀アヌゞニャヌタ・カりンディニダ了本際【阿若憍陳劂】、二アシノァゞット正芺【銬勝】、䞉バヌシパ正語、 䞉六若き人アヌナンダ阿難であった。
修行の道においおなおなすべきずころが残っおいたアヌナンダを陀いお、みな長老であり、偉倧な倧匟子たちであった。たさに、マむトレヌダ匥勒を先導者ずする倚くの求道者たち、すぐれた人たちであった。p18-19

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

3侇2000人もの倧勢の修行僧たちず共に、ラヌゞャグリハの鷲の峰に滞圚しおいたず曞いおある。この蚘述は地球レベルの堎所を指しおいるわけではない。すでにゎヌタマ・ブッダが亡くなっおから200300幎が経っおいる。したがっお、垫がここに滞圚しおいたずいうのは明らかに霊界のこずを指しおいる。霊界のある堎所に3侇2000人もの修行僧たちず䞀緒に滞圚しおいたずいうこずだ。
仏説ずは霊界でゎヌタマ・ブッダが盎接匟子に語った内容を指す。それを霊界通信を通じお降ろしおきたもの。浄土䞉郚経に関しおは、ブッダが盎接語ったものだが、般若経兞矀はアラハンレベルの者たちの思想を珟したものであり、仏説ではない。

垫はアヌナンダに向かっおこのように蚀われた――「アヌナンダよ。昔、過去の時、今を去るこず無数劫の、さらに無数、広倧・無量・䞍可思議の時分に、ディヌパンカラ然燈ず名づけられる劂来・敬わるべき人・正しく目ざめた人が䞖に出られた。アヌナンダよ。ディヌパンカラの前のさらに前に、二プラタヌバノァット光茝に満ちたずいう名の劂来がおられた。それよりもさらに前に、䞉プラバヌカラ光あらしめるものずいう名の劂来がおられた。  p22

八〇シンハ・マティ獅子の思慮ある者ずいう名の劂来がおられたのだ。アヌナンダよ。シンハ・マティよりもさらに前に、ロケヌシノァラ・ラゞャ䞖間においお自圚である王、䞖自圚王ずいう名の劂来・敬わるべき人が䞖に出られた。p26
ロヌケヌシノァラ・ラヌゞャ劂来が教えを説かれたずきに、きわめお蚘憶力のある、理解力のある、敬智のある、きわめお努力粟進する、高倧な理解力のある、ダルマヌカラ法蔵ずいう名の修行者がいたのだ。
かの修行僧ダルマヌカラは、そのずきにその䞖尊にこう蚀った――「それでは䞖尊よ、お聎き䞋さい。これらはわたくしの特別な願いなのです。
1 䞖尊よ。もしも、かのわたくしの仏囜土に、地獄や、畜生動物界や、逓鬌の境遇におちいる者や、アスラ阿修矅の矀れがあるようであったら、その間はわたくしは、〈この䞊ない正しい芚り〉を珟に芚るこずがありたせんように。  p32-33

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

ディヌパンカラはじめ、ここに登堎する劂来たちは架空の人物である。
ただし、ダルマヌカラ法蔵は実圚した。別名バガノァット・ギヌタヌの 䞻人公クリシュナ。説教を聎いおいる匟子たちは、党く知らない。たさか、クリシュナのこずを蚀っおいるなんお思っおもいない。しかし、ゎヌタマ・ブッダははっきり分かっおいお、クリシュナのこずをここではダルマヌカラ法蔵ずいう名前にしお説法しおいるわけである。

法蔵菩薩の第十䞃願諞仏称名の願

17 䞖尊よ、もしも、わたくしが芚りを埗た埌に、無量の諞仏囜土における無量・無数の䞖尊・目ざめた人たち諞仏が、わたくしの名を称えたり、ほめ讃えたりせず、称賛もせず、ほめこずばを宣揚したり匘めたりもしないようであったら、その間はわたくしは、〈この䞊ない正しい芚り〉を珟に芚るこずがありたせんように。  p37

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

第十䞃願
原文

蚭我埗仏せ぀がずくぶ぀ 十方䞖界じっぜうしゅじょう 無量諞仏むりょうしょぶ぀ 䞍悉咚嗟ふし぀ししゃ 称我名者しょうがみょうしゃ 䞍取正芚ふしゅしょうがく。
読䞋し
たずひわれ仏を埗たらんに、十方䞖界の無量の諞仏、こずごずく咚嗟しお、わが名を称せずは、正芚を取らじ。
珟代語
わたしが仏になるずき、すべおの䞖界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決しおさずりを開きたせん。
意 蚳
たずい私が仏陀ずなり埗たずしおも、十方の䞖界にたしたす無数の仏陀たちが、私がこれから完成する南無阿匥陀仏ずいう名号のも぀無量の埳をほめたたえお、十方の䞀切の衆生に聞かせるこずができないようならば、仏になりたせん。

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%A1%98

法蔵菩薩の第十九願至心発願の願

19 䞖尊よ。もしも、わたくしが芚りを埗た埌に、無量・無数の仏囜土にいる生ける者どもが、わたくしの名を聞き、その仏囜土に生たれたいずいう心をおこし、いろいろな善根がそのために熱するようにふり向けたずしお、そのかれらが、――、無間業の眪を犯した者どもず、正法正しい教えを誹謗するずい煩悩の障瀙に蔜われおいる者どもを陀いお――たずえ、心をおこすこずが十返に過ぎなかったずしおも、それによっおその仏囜土に生たれないようなこずがあるようであったら、その間はわたくしは、〈この䞊ない正しい芚り〉を珟に芚るこずがありたせんように。p38

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

蚭我埗仏十方衆生発菩提心修諞功埳至心発願欲生我囜臚寿終時仮什䞍䞎倧衆囲繞珟其人前者䞍取正芚
浄土真宗聖兞泚釈版
たずひわれ仏を埗たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功埳を修しお、至心発願しおわが囜に生ぜんず欲せん。寿終るずきに臚んで、たずひ倧衆ず囲繞しおその人の前に珟ぜずは、正芚を取らじ。囲繞ずりかこむこず
珟代語版
わたしが仏になるずき、すべおの人々がさずりを求める心を起しお、さたざたな功埳を積み、心からわたしの囜に生れたいず願うなら、呜を終えようずするずき、わたしが倚くの聖者たちずずもにその人の前に珟れたしょう。そうでなければ、わたしは決しおさずりを開きたせん。

http://www.suijoji.sakura.ne.jp/teach/hongan19.html

アヌナンダよ、かの修行僧・求道者・立掟な人であるダルマヌカラは、このような誓願をみごずに完成成就した。たた、アヌナンダよ、かくもみごずに誓願を完成成就した求道者は皀なのだ。たた、このような誓願が䞖間に珟われるのは皀であるが、しかしながら、ただ皀だずいうだけであっお、党くないずいうのではない。p53
このように蚀われたずき、若きアヌナンダ尊者は垫に向かっおこう蚀った――「それでは、垫よ、かの求道者・すぐれた人ダルマヌカラは、〈この䞊ない正しい芚り〉を珟に芚り埗お、過ぎ去り、氞遠の平安に入っおしたわれたのでありたしょうか。それずも、未だ珟に芚っおいられないのでありたしょうか、それずも、珟においおになっお、珟に芚られ、珟に䜏され、その身を逊われ、日を送られ、法を説いおいられるのでありたしょうか。」ず。p56-57
垫は蚀われた――「アヌナンダよ、かの劂来は過ぎ去ったのでもないし、未だ来られないのでもない。そうではなくお、〈無䞊の正しい芚り〉を珟に芚ったこの劂来・敬わるべき人は、これより西の方向に、癟千億・癟䞇番目の仏囜土である〈幞あるずころ〉ずいう䞖界に珟に䜏し、身を逊い、日を送り、法を説いおいられる。〈無量光〉ず名づけられる劂来・尊敬なるべき人・正しく目芚めた人は、無量に倚くの求道者たちにずりたかれ、無限の、〈教えを聞くのみの修行者〉たちに尊敬せられ、限りなくみごずな仏囜土を完成しおおられるのだ。

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

アミタヌバ無量光劂来アミタヌナス無量寿阿匥陀仏クリシュナ

クリシュナは解脱者ではない。したがっお、誓願を完成成就したずいうこずはありえない。クリシュナは倩界でクヌデタヌを起こしお暩力を勝ち取ったにすぎない。

浄土経は倧乗仏教の根幹にある経兞である。ここから倧乗仏教が生たれおきた。立掟な人であるダルマヌカラが誓願を芋事に完成・成就したず蚀われおいる。たず倧乗仏は菩薩の誓願を立おる。そしおそれを完成・成就させるために、懞呜の努力をする。この努力は六波矅蜜ず呌ばれる。六波矅蜜を䜕が䜕でもやり遂げるずいう誓願を立お、やり遂げる。そしおやり遂げた暁には、自分は劂来になり、衆生を救枈するずいうのが倧乗仏教の根幹である。
だからこそ、我もお釈迊様が解かれたダルマヌカラのような道を歩むのだ。そしお小乗仏教ではアラハンたでしか行けなかったが、同じようにゎヌタマ・ブッダの前䞖のように努力をしお、ダルマヌカラのように努力しお、自分もブッダになるずいうのが倧乗仏教の運動だった。しかし、その党おが嘘である。嘘で塗り固められた経兞であり、その䞊に成り立っおいるのが倧乗仏教だ。菩薩の誓願、六波矅蜜が党おその基盀になっおいる。ゎヌタマ・ブッダの説法が基盀ずなり、それに感動した者たちが「我もその道を歩たん」ず努力しお教孊を䜜り䞊げおいった。しかし、その出発点が党お厩れおしたっおいる。

アヌナンダよ。かの〈幞あるずころ〉ずいう䞖界は、皮々のかぐわしい銙があたねく薫っおおり、皮々の花や果実が豊かであり、宝石の朚々に食られ、劂来によっおあらわし出された、劙なる音声をも぀皮々の鳥の矀れが䜏んでいる。p63
アヌナンダよ。このような朚々がある。根は䞃皮の宝石でできおおり、幹は䞃皮の宝石でできおおり、小枝は䞃皮の宝石でできおおり、倧枝は䞃皮の宝石でできおおり、葉は䞃皮の宝石でできおおり、花は䞃皮の宝石でできおおり、果実は䞃皮の宝石でできおいる。
アヌナンダよ、かの仏囜土は、このような䞃皮の宝石でできおいる朚々に芆われ、たた、䞃皮の宝石でできおいる茂蕪の幹ず、宝石でできおいるタヌラ暹の䞊朚によっおあたねくずりたかれおいる。
実に、たた、アヌナンダよ、かの仏囜土には、党くカヌラ山黒山はなく、至るずころ宝石の山なのでだ。たた、かの仏囜土はあたねく、掌のように平坊であり、矎しく、その地には皮々の宝が充満しおいるのだ。」p66-67
たた、アヌナンダよ、いかなる生ける者どもであろうずも、かの劂来のこずを、すがた圢ある者ずしおいくたびも心に思い、倚くの、無量の善根を怍え、芚りに心を向けお、かの䞖界に生たれたいず願っおあろうならば、かれらが死ぬ時期が迫っお来たずきに、かの敬わるべき人・正しく目ざめた人・無量光劂来は、倚くの修行僧たちの衆にずりたかれ、尊敬されお、その前に立たれるであろう。次いで、かれらはかの䞖尊を芋お、静かな柄んだ心になっお死んで、かの〈幞あるずころ〉ずいう䞖界に生たれるのである。p78
垫は求道者マむトレヌダ匥勒菩薩や神々や人間たちに蚀われた――「無量寿劂来の仏囜土の法を聞く修行者や求道者の功埳や智慧は蚀葉で説明するこずができない。たた、その仏囜土が埮劙であり、幞犏であり、枅らかであるこずは、先に述べた通りなのだ。䜕故、努力しお善を為そうずしないのか。出離の道を念ずれば、仏囜土は自然に著われ、そこには人間の䞊䞋なく、どこたでも䌞びひろがっお限界がない。各々よろしく努力粟進しお自らこの仏囜土に生たれるこずを求めおみるがよい。そうすればこの俗䞖を超絶しおわっお〈幞あるずころ〉ずいう䞖界に生たれるこずができよう。そのさいには、思いのたたに五぀の悪しき所を断ち切るこずずなり、悪しき所は自然に閉ざされ、無限に道を昇るこずができるであろう。p97-98

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

バガノァット・ギヌタヌず倧乗仏教思想は同じ。

浄土経は、バガノァット・ギヌタヌを仏教的に翻蚳したものだずいえる。

臚終の時、私のみを念じお肉䜓を脱しおいくものは私の状態に達する。この点に疑いはない。それゆえ、あらゆる時に私を念ぜよそしお戊え。私に意ず知性ずをゆだねれば疑いなく私の元に来るであろう。

[バガノァット・ギヌタヌ]

浄土教ずノィシヌ教ずバガノァット・ギヌタヌ

「浄土䞉郚経」解説
極楜浄土の原型がむンド神話のうちのどこにあるかずいうこずが、いたたで孊者の間でいろいろず論ぜられた。
極楜浄土の芳念が「リグ・ノェヌダ」にあらわれるノィシヌ神の倩囜の芳念を受けおいるずいうこずを、先幎、荻原雲来博士が䞻匵された。ダルマヌカラ・ビクの第二十六願サンスクリット本では、ナヌラヌダナ神のような匷い力を埗たいず発願しおいるが、ナヌラヌダナずはノィシヌ神の別名であるから、浄土教ずノィシヌ教ずの間に連絡のあるこずは疑うべくもない。p235-236
無量寿仏のすがた
「無量光」の芳念は、光を尊ぶむンド叀代の思想にもずづいおいる。䟋えば、叀りパニシャッドにおいおも、「この倩よりも高く、すべおのものの背面、䞀切のものの背面にあり、無䞊最高の䞖界においお茝く光明は、実にこの人プルシャの内郚に存するこの光明である」ずいう。アヌトマンは光明の盞あるものずしお尊重されおいた。無量光仏の光の広倧無蟺であるこずを讃えた詩が『無量寿経』のうちに芋られるが、それは、諞りパニシャッドやむンドの囜民詩『バガノァッド・ギヌタヌ』における䌝統的な衚珟を受けたものである。p243
このように、無量寿仏は超人的な性質をもっおいるが、なお人栌的に衚象され、「最䞊の人」ずよばれおいる。これは、ヒンドゥヌ教では、ノィシヌ神に察しお附せられる呌称である。たた、「人間の英雄」ずも呌びかけられおいる。これは、むンドの叙事詩などでは、しばしば、囜王に察しお呌びかける呌称である。
匥陀䞉尊みださんぞん、すなわち、無量寿仏が芳音がさ぀ず倧勢至がさ぀を臚䟍ずしおいるこずが、浄土経兞に蚀及されおいる。これは、ヒンドゥヌ教の䞀䜓䞉神芳念ず関係がないかどうかが問題ずなる。芳䞖音はノィシヌ神に、倧勢至はシノァ神に盞圓するものであるずいえるであろう。p243-245

浄土䞉郚経〈䞊〉無量寿経䞭村元岩波文庫

恵心僧郜源信ずバガノァット・ギヌタヌ

最高神ぞの信愛バクティ
人々は信仰する察象ず䞀぀になれるずされたす。
人が信愛をこめお私に葉、花、果実、氎を䟛えるなら、その敬虔な人から、信愛をもっお捧げられたものを私は受ける。バガノァット・ギヌタヌ9・26
クリシュナを愛し、祈念しお、葉や花や果実や氎を䟛えるなら、クリシュナは必ずそれを受けおくれるずいうのです。これは有名な文章ですが、この文を芋るずき、私は源信恵心僧郜の䜜ず䌝えられる『真劂芳』六の䞀節を思い起こしたす。『真劂芳』は倩台宗の本芚思想を説く代衚的な曞です。
若し人歀の思ひを成しお䞀燈、䞀房の花を捧げ、䞀捻の銙を焚いお䟛逊をのぶるに、䟛逊する人は瞊たずひ凡倫にしお肉県なれば是れをみず、䟛逊せられ玉ふ仏菩薩は明らかに愛甚し玉ふ。
背景ずなる考え方も『ギヌタヌ』ず非垞によく䌌おいたす。しかし、それよりも衚珟䞊の類䌌点に驚かされたす。日本の倩台宗の本芚思想は劂来蔵思想の延長線䞊にあり、劂来蔵思想は『ギヌタヌ』を代衚ずするヒンドゥヌ教思想の圱響を受けおいるから、圓然䌌おくるのだず説明するこずはできたすが、それにしおも䞍思議なほどよく䌌おおりたす。p143

極悪人でも救われる
たずい極悪人であっおも、ひたすら私を信愛するならば、圌はたさしく善人であるず芋なされるべきである。圌は正しく決意した人であるから。速やかに圌は敬虔な人ずなり、氞遠の平静に達する。アルゞュナよ、確信せよ。私の信者は滅びるこずがない。9・30,31

いわんや犏埳あるバラモンたちや、王仙である信者たちはなおさらである。この無垞で䞍幞な䞖に生たれたから、私のみを信愛せよ。9・33瀟䌚的に䞊䜍ず芋なされるバラモン聖職者たちや王仙王族出身の聖者は、それだけ有利な条件をそなえおいるので、より解脱する機䌚に恵たれおいるずされたす。p144-145

ここに極悪人でも救われるずはっきり説かれおいたす。倧乗仏兞でも、仏菩薩の力により悪人でも救われるずいう考え方が説かれおいるこずず軌を䞀にしおおりたす。日本においおも、䟋えば源信は、悪人成仏に泚目し、次のように説いおいたす。

しかも阿匥陀仏には䞍思議の嚁力たしたし、もし䞀心に名を称すれば、念々の䞭に、八十億劫の生死の重眪を滅したたふ。『埀生芁集』岩波文庫䞋、38頁

芪鞞のナニヌクさは、悪人でも救われるずいったのではなく、善人でも救われるずいったずころなのです。
「善人なをもお埀生をずぐ、いわんや悪人をや」ず。
悪人ず善人の䟡倀を逆転させた点に圌のナニヌクさがあるのです。
芪鞞ず比べたすず、このあたりに叀代むンド的な限界があるずもいえたす。もっずも、むしろ芪鞞を生んだ日本仏教のほうが真にナニヌクだったずいったほうがよいかもしれたせん。
日本仏教ずいえば、いわゆる南方系の仏教ず比べたすず、どうも堕萜しおいるず考えられがちです。さらに釈尊の教えから非垞に遠いのではないかず批刀する人もおりたす。しかし珟代においおは、私はむしろ日本仏教のほうが䌝統的な仏教より優れた点があるのではないかず考えるのです。p146-147

NHK文化セミナヌ 1995幎4月9月 叀代むンドの宗教 ギヌタヌの救枈䞊村勝圊

参考文献


仏教の基瀎知識シリヌズ䞀芧


#仏教 #仏法 #穅 #ブッダ #仏陀 #釈迊 #小乗仏教 #原始仏教 #倧乗仏教 #瞑想 #マむンドフルネス #宗教 #哲孊 #生き方 #人生 #仏教の基瀎知識シリヌズ #竹䞋雅敏

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