芋出し画像

金剛般若経02倧乗仏教【仏教の基瀎知識10】


基瀎論理孊圢匏論理孊アリストテレスの論理孊

思考の䞉原則

神は、契玄を絶察に守るこずを芁求した。だから、成立したか、成立しおないかが重芁になる。よっお、ここから、「矛盟埋」が出おくる。そしお、そこには、䞭間があっおはならない。どちらかしか認めないのだ。これが「排䞭埋」である。そしお、契玄は蚀葉で行なわれる。甚語の定矩が求められる。ここから、「同䞀埋」が生たれた。
圢匏論理孊は、ギリシャで完成された。
しかし、人間の論理ずしお実斜されたのは、絶察的唯䞀神の存圚を確信する宗教においおだった。
思考の䞉原則同䞀埋・矛盟埋・排䞭埋は、数孊や西掋哲孊の基瀎であり、これがなければ思考そのものが成り立たない。人は無意識のうちにこれらの䞉原則を䜿っおいる。

【同䞀埋】Principle of Identity
「はである。」あるものは垞にそのものず同じであるずいう原則。䟋えば、はであり、がQになるこずはない。この原則がなければ、論理的な䞀貫性を保぀こずができない。ただし「はである」も、ずが共通の芁玠をも぀こずを述べおいるので同じ圢匏である。
【矛盟埋】Principle of Contradiction
「は非でない。」䞀぀の呜題が真であるず同時に停であるこずはあり埗ないずいう原則。぀たり、ある呜題が真であるなら、その吊定は必ず停である。この原則により、矛盟を排陀し、明確な刀断を䞋すこずができる。
【排䞭埋】Principle of Excluded Middle
「はか非かのいずれかである。」ある呜題が真であるか、たたはその吊定が真であるずいう原則。぀たり、真停のいずれか䞀方が必ず成り立぀ずいうこず。この原則があれば、曖昧な状態を排陀し、明確な結論を埗るこずができる。


【問題】
ここに「神様」、「悪魔」、「人間」が䞀者ず぀いる。
「神様」は垞に真実を蚀い、「悪魔」は垞に嘘を぀く。
「人間」は状況により真実ず嘘を䜿い分けお蚀う。
この䞉者を、A、B、Cずし、それぞれが次のように発蚀した。
A: 「私は神様ではない」
B: 「私は悪魔ではない」
C: 「私は人間ではない」
このずき、A、B、Cは䜕者になるかを特定せよ。

「神・人・悪魔を特定せよ」の問題を䟋にするず、䞉原則がどのように働くかがわかりやすい。この問題では、登堎人物それぞれが異なる圹割を持ち、それぞれの圹割を正しく特定するためには、同䞀埋により䞀人䞀人の特性を明確に区別し、矛盟埋により盞反する特城が同䞀人物に混圚しないようにし、排䞭埋によりどの圹割が誰に圓おはたるかを確定する必芁がある。
このように、䞉原則は論理的思考の基盀ずしお無意識のうちに䜿われおいる。


珟実は論理パズルを解くようにはいかない

日垞生掻や公的な関係、数孊やパズルのような明確なルヌルが存圚する分野では論理的に振る舞うこずが求められる。しかし、感情や情が絡む堎面では、論理だけでは解決できないこずが倚い。
数孊のパズルや論理クむズはシンプルでよくできおおり、人々を楜したせるのに十分だ。だが、珟実䞖界はそれほど単玔ではない。垞に嘘を぀く悪魔のような存圚を想定するこずは論理的には興味深いが、実際にはそんな悪魔は存圚しない。なぜなら、悪魔的な人間や本圓の悪魔は、半分は真実を語るからだ。悪意のある政治家も同様で、半分の真実を語るこずで人々の信頌を埗぀぀、絶察に隠したい郚分に぀いお嘘を぀く。これは、嘘を぀く人の垞套手段だ。すべお嘘を蚀ったら誰も信じないため、停情報には半分の真実を含める。これが悪魔的な策略ずいうものだ。
本圓に悪魔のような人間が存圚するずしたら、垞に嘘を぀くずいうこずはあり埗ない。もし正確に定矩するなら、人間は自分の郜合のいい嘘を぀き、悪魔は悪意のある嘘を぀き、神は良かれず思っお方䟿で嘘を぀くこずがあるだろう。悪魔は人が苊しむのを喜び、平気で嘘を぀く。人間は自分を守るために郜合のいい嘘を぀く。神は良かれず思っお方䟿で嘘を぀くこずがある。珟実の問題は、こうした単玔な論理だけでは解決できないこずを理解する必芁がある。

論理だけの䞖界

アスペルガヌ症候矀の特城
人の気持ちを理解したり、他人の立堎に立っお考えるこずが苊手です。たったく悪気はないんですが、盞手の傷぀くこずを蚀っおしたいたす。
䟋えば倪った友人に察しお玠盎に「倪っおるね」ず蚀っおしたったり。その蚀葉が人を傷぀けおしたうずいうこずには、少し鈍感なのです。
他にも自分の興味のある話題を䞀方的に話し出し、盞手が困っおいたり迷惑がっおいおも気が぀きたせん。自分の興味があるこずは盞手にずっおも興味のあるこずだず思っおしたうため、こういった行動に出おしたうのです。
***
アスペルガヌの子䟛は、蚀葉で蚀われたこずは額面どおり真に受けるこずが倚い。
䟋えば教垫が、アスペルガヌの子䟛に宿題を忘れたこずを問いただす意味で「犬があなたの宿題を食べたの」ず尋ねたら、その子はその衚珟が理解できなければ抌し黙り、教垫に自分は犬を飌っおおらず、普通犬は玙を食べないこずを説明する必芁があるのかどうか考えようずする。぀たり教垫が、衚情や声のトヌンから暗に意味しおいる事を理解できない。
先生は、その子が傲慢で悪意に満ち、反抗的であるず考え、フラストレヌションを感じながら歩き去っおいくかもしれない。その子はその堎で䜕かがおかしいずフラストレヌションを感じながら、そこぞ黙っお立ち尜くすこずだろう。

論理の次元

人間の意識は、顕圚意識、朜圚意識、無意識の぀に分けられる。その䞭で、顕圚意識の論理は基瀎的な論理にあたる。具䜓的には、同䞀埋、矛盟埋、排䞭埋の思考の䞉原則が顕圚意識のレベルでの論理。
朜圚意識の論理ははヘヌゲルの匁蚌法に察応する。
無意識の論理は「即非の論理」で、これが非垞に重芁なものずなる。

ヘヌゲルの匁蚌法

人間の情、぀たり非論理的な郚分を芋事に論理化した人物がいる。哲孊者のヘヌゲルである。匁蚌法ずは、人間の思考だけでなく、自然や瀟䌚、文化すべおのものを぀らぬいおいるず考えた運動・発展の論理のこずで、それは、「あるものごず、あるいはある䞻匵正は、必ず自分の䞭に自分ず察立するもの・矛盟するもの反をふくんでおり、それらが総合・統䞀されるこず止揚〈アりフヘヌベン〉によっおより高次の第䞉のもの合が生み出される」ずいうものである。

䞻に次の䞉぀の段階で説明される。

  1. 正テヌれある呜題や立堎が提起される。この段階では䞀぀の芋方や意芋が䞻匵される。

  2. 反アンチテヌれその正に察しお矛盟する意芋や立堎が珟れる。この段階では察立する芋解が提瀺され、議論が発生する。

  3. 合ゞンテヌれ正ず反の察立や矛盟を克服し、新たな統䞀的な芋解が生たれる。この段階で䞡者の芁玠が統合され、より高次の真理や理解が圢成される。

このプロセスを繰り返すこずで、より深い理解やより高床な真理に近づくずされる。匁蚌法は哲孊や政治孊、経枈孊など倚くの分野で応甚され、特にヘヌゲルやマルクスによっお重芁芖された。

ヘヌゲルの匁蚌法はどんなものかずいうず、曖昧な䞭間状態のものは論理のベヌスには乗らない。むしろ、人間の感情や情ずいった郚分が関䞎する。䞖界にはさたざたなものの考え方が察立しお存圚しおいる。これらの察立の䞭で、瀟䌚や䞖界が動いおいる。単玔に「論理の䞉原則」で䞖界が動いおいるわけではなく、人間の心の䞭にあるさたざたな思惑や矛盟が圱響しお、歎史や䞖界が動いおいく。䟋えば、人々の䞍満が高たるず革呜が起こるこずがあるが、これは論理では説明できない。むしろ、こうした珟象は匁蚌法で説明できる。なぜなら、そこには人間の感情が絡んでいるからだ。

人倫

カントは自由に぀いお倚くの思想を展開したが、圌の捉え方は内面的なものであった。䞀方、ヘヌゲルはそのような道埳的自由は䞀面的だず考え、真の自由は具䜓的な人間関係や制床を通じお客芳化されるべきだず䞻匵した。圌は自由が法や制床ずしお客芳化されるこずが重芁だず考えたのだ。ヘヌゲルは、客芳的な法ず䞻芳的な道埳性の䞡方が共存するずころに統䞀があるず芋おいた。これを圌は「人倫」ず呌んだ。

ヘヌゲルの議論の䞭には、家族、垂民瀟䌚、囜家ずいう䞉぀の単䜍が登堎する。家族は基本的な単䜍であり、垂民瀟䌚では個々の欲望が衝突し合う。囜家は法によっおこれらの衝突を統治する。ヘヌゲルは、家族、垂民瀟䌚、囜家を正反合の関係で統䞀する思想を持っおいた。圌はこのような理想的な瀟䌚を「人倫」によっお実珟しようずした。ヘヌゲルの匁蚌法的なアプロヌチは、フランス革呜などの革呜思想に倧きな圱響を䞎えた。

即非の論理

鈎朚倧拙は、般若系思想の論理ずしお『金剛経』の「仏説般若波矅蜜倚、即非般若波矅蜜倚、是名般若波矅蜜倚」ずいう衚珟に泚目し、これを「仏説ヌA即非A是名A」Aは非Aである、だからAであるずいう公匏にたずめた。「A」ず「非A」、そしお「肯定」即ず「吊定」非ずがそのたた自己同䞀であるずいう「即非的自己同䞀」ずいう独自の同䞀埋を提唱した。
鈎朚にずっお「即非」は単なる論理ではなく、人間存圚の根源的な事実の自芚であり、真実の自己の実珟即䜓認でもあった。

「AはAでない、ゆえにAず名づく」ずいう衚珟は、Aずいうものが実䜓を持たない幻であるこずを瀺しおいる。぀たり、般若思想では、䞖界は「空」であり、すべおが幻であるず培底的に説いおいる。だからこそ、『金剛般若経』の真意は、こうした意味を持぀。
「AはAでない」「すなわちAはAでない」ずいう衚珟の「Aでない」ずいうのは、「Aずしおの実䜓がない」「真のAではない」ずいう意味であり、すなわち「空」を瀺しおいる。だからこそ、「A」ず仮に名付けられたその「仮のA」は、実は幻であるずいうこずになる。䞖界は幻であるずいう䞻匵が、『金剛般若経』の栞心である。
しかし、鈎朚倧拙的な犅の理解や解釈を金剛般若経にそのたた圓おはめおしたうず、たったく異なるものになっおしたう。

圌の䞻匵によれば、「Aはそのたた非Aず同䞀である」ず述べおいる。぀たり、「ゆえにA」ずいうのは本圓のAを意味しおいる。
ここでAを自己ずするず、「自己は自己ではない、ゆえに自己である」ずなる。「私である私は私じゃない、ゆえに私である」ずいうこずだ。倧拙によれば、この最埌の「私」は真実の私、すなわち実珟された自己である。圌は「私が私でないものず䞀぀であるこずが真の自己を埗るこず」ず蚀っおいる。぀たり、私は神ず䞀぀であるずいう感芚に近い。
これは金剛般若経の解釈ずは異なるが、ただ「AはAでない、ゆえにAである」ずいう衚珟を公匏ずしお眺めるず、金剛般若経の理解においおは最埌のAを幻圱ず捉え、「名づく」を幻圱ずしお捉えるか、あるいは「真実のA」であるず捉えるかで解釈が分かれる。
蚀葉ずいうのは本来、どちらの解釈も可胜である。そのため、歎史的背景や文脈に基づいお解釈し、金剛般若経ではどちらの解釈が正しいかを決める必芁がある。しかし、倧拙は金剛般若経の論理を定匏化しお党䜓を解釈したため、異なる解釈が生じた。解釈ずしお異なっおいおも、論理ずしおは成り立぀。こうした論理はあり埗るずいうこずだ。

掞山が匟子の曹山に問うた、「君の名は」。
曹山、「本寂ずいいたす」。
掞山、「その䞊にもっず蚀うおみよ」。
曹山、「蚀いたせん」。
掞山、「なぜ蚀わぬ」。
曹山、「本寂ず蚀いたせん」。
「本寂」だず思っおいた自我「迹来さきほどの本寂」個のその䞊に「本寂ず蚀わぬもの」超個のあるこずを知らねばならぬ。その「向䞊そのうえの本寂」が䜓隓されおはじめお、真実の自己無盞の自己・無䜍の真人が自芚される。「本寂の脱萜」自己の吊定を媒介にしおはじめお「真箇ほんずうの本寂」自己肯定が可胜になる。
“A”迹来の本寂は“非A”向䞊の䞍名本寂である。だから“A”真箇の本寂である。
絶察的吊定即絶察肯定、死んで生きるのが犅の道である。

キルケゎヌル実存の䞉段階

真の実存にたどり着く䞉段階の実存の道。
この理論は、個人が真の実存、すなわち自己実珟ず本圓の意味での生きる目的に到達するたでのプロセスを瀺す。

矎的実存
特城: 感芚遞択: あれもこれも
矎的実存の人間は、快楜や感芚的な楜しみを远求する。この段階では、矎や感芚的な快楜が䞭心で、欲望を満たすこずが生きる目的ずなる。
享楜䞻矩に陥り、自己満足を远い求めるが、持続的な満足感は埗られず、やがお虚無感や絶望に襲われる。
矛盟: 䞀時的な快楜に䟝存するこずで、深い満足感や自己実珟を感じるこずができない。このため、むなしさや無意味感に苛たれる。
倫理的実存
特城: 理性遞択: あれかこれか
倫理的実存の人間は、理性的な遞択や道埳的な行動に基づく。ここでは、個人の責任や瀟䌚的な矩務が重芖され、自己の行動が瀟䌚党䜓に䞎える圱響を考慮する。道埳法則に埓っお正しい行動を取ろうず努力するが、完党にそれを実珟するこずができない無力さや矛盟を感じる。
矛盟: 完党な倫理的存圚になるこずは䞍可胜であり、この䞍完党さに察する認識が深たるず、絶望感に陥る。
宗教的実存
特城: ä¿¡ä»°
宗教的実存の人間は、信仰を通じお自己の存圚を芋出す。この段階では、神ずの個人的な関係が䞭心ずなり、真の自己実珟を远求する。
単独者ずしお神の前に立぀こずで、他者の評䟡や瀟䌚的な芏範から解攟され、真の自己を実珟する。この「単独者」ずいう抂念は、個人が神の前で完党に自己を開瀺し、真実の自己を芋぀けるこずを意味する。
信仰の飛躍: 理性を超えお信仰によっお生きるこずを遞ぶ。この「飛躍」は、絶望から救われ、完党な自己実珟に至るための重芁なステップ。
過枡段階: 絶望
絶望は、矎的実存や倫理的実存を超えお宗教的実存に到達するための重芁な過皋。絶望は個人が自分の限界や䞍完党さを認識するこずであり、これを乗り越えるこずで、より高い次元の自己実珟に到達する。

キルケゎヌルの理論は、個人が真の意味で自己を実珟するためには、快楜や道埳に基づく生き方を超えお、信仰による生き方に到達する必芁があるず説く。圌の思想は、珟代においおも自己実珟や人生の意味を考える䞊で重芁な指針ずなっおいる。

八千頌般若経

菩薩の修孊
「䞖尊よ、このように孊んでいる菩薩倧士は、いかなるもの法を孊んでいるのでしょうか」
そう問われたずき、䞖尊はシャヌリプトラ長老に぀ぎのようにお答えになった。
「シャヌリプトラよ、そのように孊んでいる菩薩倧士は、実はいかなるものをも孊ばないのである。それはなぜであるか。ものずいうものは、無孊な凡倫、䞀般人異生がそれらに執着しおいるようなかたちでは、実は存圚しおいないからである」
シャヌリプトラ長老は申しあげた。
「それでは、䞖尊よ、それらはどのように存圚するのですか」p24-25
「シャヌリプトラよ、存圚しないずいうかたちで存圚し、自䜓ずしお存圚しおいない぀たり知られない。だから、その真理を知らないこずを無知無明ずいうのである。無孊な凡倫、䞀般人たちはそれらに執着し、存圚しないすべおのものを実圚するず劄想する。圌らはそれらを劄想したうえでものは恒垞的であるずか断滅するものであるずか二぀の極端な芋解にずらわれお、それらのものを真実には知らず、芋ない。そういうわけで、圌らは存圚しないすべおのものを劄想し、劄想したうえで二぀の極端な芋解に執着する。執着したうえでそれにもずづいた認識によっお過去のものを劄想し、未来のものを劄想し、珟圚のものを劄想する。圌らは劄想しおは、粟神的存圚ず物質的存圚名色に執着しおいる。圌らは存圚しもしないすべおのものを劄想する。」
å¹»
「お前はどう思うか、スブヌティよ、幻ず物質的存圚は別々のものなのか、幻ず感芚は別々のものなのか、衚象、意欲は幻ず別なのか、そしお幻ず思惟は別々なものなのか」
スブヌティは申しあげた。
「䞖尊よ、そうではございたせん。䞖尊よ、実に幻ず物質的存圚は別々ではありたせん。䞖尊よ、物質的存圚は幻であり、幻は物質的存圚ず同じです。䞖尊よ、幻ず感芚は別々のものではなく、衚象も、意欲も別なのではありたせん。感芚、衚象、意欲こそが、䞖尊よ、幻であり、幻こそが感芚、衚象、意欲なのです。䞖尊よ、幻ず思惟ずは別々のものではありたせん。䞖尊よ、思惟こそが幻であり、幻こそが思惟なのです。」p26
ものの真盞
䞖尊よ、物質的存圚は束瞛されおもおらず、解攟されおもいたせん。感芚、衚象、意欲もそのずおりですし、同じく、䞖尊よ、思惟も束瞛されおも解攟されおもおりたせん。p34
幻の人の物質的存圚ずいうものは束瞛されおもおらず、解攟されおもいないのです。幻の人の感芚、幻の人の衚象、幻の人の意欲ずいうものも同じであり、そしお、プヌルナ長老よ、幻の人の思惟ずいうものも束瞛されおも解攟されおもいないのです。p36
侍生
菩薩ずいうものは名前だけのものにすぎたせん。知恵の完成ずいうものも名前だけのものにすぎたせん。そしお、その名前さえも生起し存圚しおいるものではありたせん。そのようにすべおのものに本䜓自性がないずきに、把握もされず、生起もしおいない物質的存圚ずは䜕でしょうか。感芚、衚象、意欲ずは䜕でしょうか。そしお、把握もされず、生起もしおいない思惟ずは䜕でしょうか。このようにすべおのものに本䜓がないずいうこずが䞍生ずいうこずなのです。
䞖尊よ、菩薩倧士が以䞊のようにこれらのものを知恵の完成においお考察するそのずきには、圌は物質的存圚を認めず、物質的存圚を蚱容しない。物質的存圚が生ずるずも芋ないし、物質的存圚が滅ずるずも芋ないからです。感芚、衚象、意欲に぀いおも同様であり、そしお思惟を認めず、思惟を蚱容しない。思惟が生ずるずも芋ないし、思惟が滅ずるずも芋ないからです。p40-41

「倧乗仏兞〈2〉八千頌般若経I 」梶山雄䞀䞭公文庫

倧乗仏教では、物質的存圚は䞀時的に珟れるものであり、特にこれが重芁ずされる。物質的存圚は仮に生じ、仮に滅するものであり、本質的には生じも滅しもしない。これを「実盞」ず呌び、実盞では物質は実際に存圚しないずいう考え方だ。぀たり、あらゆる物質は幻のような存圚であり、実際にはないのにあるかのように芋えるだけだ。したがっお、物質が本圓に生じたり滅したりするこずはないずされる。この理解が倧乗仏教の基本的な教えである。

䞖尊よ、このように、菩薩は知恵の完成においお、すべおのものをあらゆる様態においお考察し぀぀、そのずきに物質的存圚を認めず、物質的存圚を蚱容しない。物質的存圚が生ずるずも芋ないし、物質的存圚が滅ずるずも芋ないのです。
それはなぜかずいいたすず、物質的存圚が生じないずいうこずは物質的存圚ではなく、物質的存圚が滅しないずいうこずも物質的存圚ではありたせん。しかも、それゆえに、䞍生ず物質的存圚ずは䞍二であっお、分けられるべきものではありたせん。たた、そういうわけで䞍滅ず物質的存圚ずは䞍二であっお、分けられるべきものではありたせん。しかも、物質的存圚が抂念の䞖界で語られるずきには、それはこの䞍二なるものが名づけられおいるのです。p42-43
神々よ、すべおのものもたた幻のようであり、倢のようなものなのです。
そのずき、神々はスブヌティ長老に぀ぎのように蚀った。
「スブヌティ聖者よ、完党にさずった人も幻のごずく、倢のごずきものである、ずあなたはいうのですか。完党にさずった人の本性も幻のごずく、倢のごずきものである、ずあなたはいうのですか」
スブヌティは蚀った。
「神々よ、涅槃も幻のごずく、倢のごずきものである、ず私はいいたす。たしおそのほかのものはいうたでもありたせん」p61-62

「スブヌティ聖者よ、涅槃さえも幻のごずく、倢のごずきものである、ずあなたはいうのですか」
「ですから、神々よ、もし涅槃さえも超えおよりすぐれたものが䜕かあったならば、それさえ私は幻のごずく、倢のごずきものです、ずいいたしょう。こうしお、神々よ、幻ず涅槃ずは䞍二であり、分けるこずができないのです。こうしお、倢ず涅槃ずは䞍二であり、分けるこずはできないのです」
「スブヌティ長老よ、知恵の完成がこのようなかたちで説かれおいるずきに、それを信受する人々がだれかおりたしょうか」
そのずき、アヌナンダ長老は圌ら䞊座たちに぀ぎのように蚀った。
「長老たちよ、知恵の完成がこのようなかたちで説かれるのを信受するのは、もはや退転するこずのない菩薩倧士たち、正しい芋解をそなえた人々、あるいは煩悩を滅がし尜くした阿矅挢たちである、ず知らねばなりたせん」
p62-63

「倧乗仏兞〈2〉八千頌般若経I 」梶山雄䞀䞭公文庫

幻の存圚に察しお、どんなこずを蚀っおも正しい、たずえば鉄腕アトムは解脱したずいうのも正しい。これを仏教では仏を教化する方䟿の知恵ずいう。

地獄ぞの道
「スブヌティよ、この知恵の完成を拒み、捚お、そしおするこずによっお、過去・未来・珟圚の諞仏䞖尊の党知者性を拒み、捚おるこずになり、そしるこずになる。
「この道を孊んではいけない」ず語り、「これは仏陀のこずばではない」ずいうようなこずばを話すであろう。
こうしお圌らは自分の心を害し、正しい教えからみずからを匕き離し、たうえに、他の人々の心をも害し、匕き離しお、知恵の完成を誹謗するであろう。p216-218
圌らは有情たちの利益ず幞犏をそこなう行為によっお、倧地獄ずしお成熟するにいたる行為を集積する。圌らは䞀぀の倧地獄から他の倧地獄ぞず移っおゆくであろう。圌らが、そのように長時のあいだ、䞀぀の倧地獄から他の倧地獄ぞず移っおゆくうちに、劫火による䞖界の終末が起こるであろう。劫火による䞖界の終末が起こるずきに、他の䞖界䜓系にある倧地獄のなかに、圌らは投げ入れられるであろう。圌らはそれらの倧地獄に生たれるであろう。
p218-219
このように圌らは、倚くの苊痛を受けるべき行為を経隓するのである。それはなぜか。それずいうのも、悪いこずばを語ったからである。」
そのずき、シャヌリプトラ長老が䞖尊に次のように申し䞊げた。
「䞖尊よ、五倧眪を犯し、重ねるこずも、この䞊述の菩薩の心の悪行、こずばの悪行に䌌るこずも、及ぶこずも、くらべるこずもできないのでしょうか」
䞖尊はお答えになった。
「そのずおりである、シャヌリプトラよ。たこずにそのずおりである。シャヌリプトラよ、五倧眪を犯し、重ねるこずも、この心の悪行、こずばの悪行、かかる行為をなし、積み、重ね、集めるこずには䌌るこずも、及ぶこずも、くらべるこずもできないのである。」

「倧乗仏兞〈3〉八千頌般若経Ⅱ 」梶山雄䞀著䞭公文庫

このように、脅しの蚀葉に満ちおいる八千頌般若経の著者男性は埌に神智孊埒のアむス・ベむリヌずしお転生する竹䞋雅敏説

ダルモヌドガタ菩薩の教授
「倏の暑い日射しに照り぀けられた男が、真昌時に蜃気楌で氎が流れおいるのを芋るずしたしょう。いったい、この氎はどこからきたのであり、この氎はどこぞ行くのでしょう。東の倧海ぞなのですか。南ぞなのですか、西ぞなのですか、北ぞなのですか」
「実に、蜃気楌には氎は存圚したせん。いわんや、どうしおその氎の去来が知られたしょうか。その倏の暑い日射しに照り぀けられた男は愚かもの、知恵劣るものであっお、蜃気楌を芋お、氎でないものにおいお氎の芳念をいだくのです。たた、そこ蜃気楌には氎は本䜓ずしお存圚しはしないのです」
「たずえば、幻術垫が魔法で぀くり出した象兵隊、階兵隊、戊車隊、歩兵隊がきたり行ったりするこずはありたせん。それず同じように、良家の子よ、劂来には去来は存圚しないのです。」p354-356
「䞖尊は《あらゆるものは倢のようだ》ず仰せになりたした。良家の子よ、劂来が教瀺されたように、あらゆるものが倢のようなものである、ずありのたたに知らないものはだれでも、劂来を名前の集合や物質的な身䜓ずしお執着しお、劂来たちの去来を劄想するのです。いわたでもなく、ものの本性を知らないで、劂来たちの去来を劄想するものはすべおみな、愚かな凡人だからです。圌らはみな、六皮の生存の境遇から成る茪廻に赎いたし、赎くし、赎くでしょう。すべおみな知恵の完成から遠ざかり、すべおみな仏陀のもろもろの教えから遠ざかっおいるのです。」p357
䞍去、䞍来の瞁起
「良家の子よ、たずえば、倧海のなかにあるいろいろな宝は、東の方角からくるのでもなく、南からくるのでもなく、西からでもなく、北からでもなく、東南などの四維からでもなく、䞋からでも、䞊からでもなく、いかなる堎所や方角からくるのでもなくお、有情たちの善い果報を生じる行為善根にもずづいお、いろいろな宝は倧海のなかに生じるのです。それらのものは原因なくしお生じるのではなく、原因、条件、理由に䟝存し、䟝拠しお生じた瞁起のものなのです。滅し぀぀あるずきも、それらの宝は十方の䞖界のいずれにも移動するのではありたせん。そうではなくお、ある諞条件が存圚するあいだ、それらの宝はあらわれ、その諞条件が存圚しないならば、それらの宝はあらわれないのです。」
ちょうどそのように、良家の子よ、それらの劂来の完党な身䜓は、十方にあるどの䞖界からきたのでもなく、十方の䞖界のいずれかぞ去るのでもないのです。しかし、だからずいっお、諞仏䞖尊の身䜓は原因のないものではなく、以前に行なった修行によっお完成され、原因や条件に䟝存し、理由あっお生じ、以前に行なった行ないの成熟によっお生じおいるのです。それ䞖尊の身䜓は十方のどの䞖界にも存圚したせん。けれども、ある諞条件があるあいだ、身䜓は出珟し、その諞条件がないならば、身䜓の出珟は知られないのです。p358-359
倚くの因瞁がすべお集たったずき生じたのですから、それ身䜓の顕珟はどこからくるのでもなく、因瞁の総䜓が敎わないばあいにも、どこぞ行くのでもありたせん。
あなたがこのように、劂来たちやあらゆるものを䞍生、䞍滅である、ず完党に知るならば、そのこずから、あなたが無䞊にしお完党なさずりにいたるこずがきたるでしょうし、たしかにあなたは知恵の完成ず巧みな手だおを远求するこずになるでしょう。p360

「倧乗仏兞〈3〉八千頌般若経Ⅱ 」梶山雄䞀著䞭公文庫

倧乗の悟り

マむトレヌダ・ナヌタ匥勒に垰せられる「二䞇五千頌般若経」の泚釈的綱芁曞『珟芳荘厳論』によるず、仏教における「さずり」は䞉皮に分けられる。小乗仏教の聖者である声聞、独芚のさずりは「䞀切智」ず呌ばれる。これは珟象䞖界を分析し、そこにある諞実䜓のすべおに正しく通暁する知恵である。それは実圚するものずそうでないものずを区別する知恵で、その本質は、有情の身心や環境䞖界を構成しおいる実圚する諞芁玠を理解するこずによっお、それら以倖に自我ずか霊魂ずかいわれる実䜓は存圚しない、ずさずるこずである。それは、自我の実圚しないこず人無我をさずるけれども、䞀定の数の諞芁玠の実圚性法有はこれを積極的に是認する立堎である。p410-411
第二のさずりは仏陀ずなるこずを目暙ずしお修行しおいる菩薩のさずりであっお、みずからの修習の察象ず方法、および有情を教化するための道の皮別のすべおに通暁する知恵道皮智である。これは「巧みな手だお善巧方䟿の知」であるずいっおもよい。巧みな手だおは、埌述するように、自他の救枈のためのすべおの方法であるが、たず䜕よりも人間に自我ずいう実䜓が存圚しないこずずずもに、䞖界の諞珟象にも実䜓の存圚しないこず法無我に通じる手だおのこずである。
第䞉のさずりは「仏陀の䞍二の知」であっお、䞀瞬の盎芳によっお人間ず䞖界の絶察的な様盞勝矩ず盞察的な様盞䞖俗、蚀いかえれば、ものが本質的に空であるこずずそれが幻や倢のごずくに珟象しおいる様盞のすべおに通じるこず䞀切皮智である。これが「知恵の完成」ず呌ばれるものであり、「無䞊にしお完党なさずり」無䞊正等菩提にほかならない。
物質的存圚にせよ、心理的存圚にせよ、合理的な存圚には固有で䞍倉の本䜓自性がある、ずいう実圚論的圢而䞊孊は、「般若経」に先だ぀仏教のアビダルマ哲孊者たちの発展させた思想であった。それは、ものに存圚する固有の特城をずらえ、それを䞍倉の本䜓ずしお認識する哲孊であった。「般若経」はそのような、ものの特城に執着する態床を批刀し、すべおのものには固有の本䜓などけっしお存圚しないこず、その意味で、すべおのものは空であるこずを匷調する。ものは原因ず条件ずいう他の諞存圚に䟝存しお生じ、存続し、滅する。その意味で、ものは自立的、恒垞的な本䜓をもたず、本䜓ずしおは存圚せず、空である。p413-414
所詮、本䜓ずいう圢而䞊孊的存圚は、こずばの意味が実䜓化されたものであり、珟実のものは真実にはこずばの意味ずかかわるこずずなく、本䜓を離脱しおいるからである。斜䞎や道埳ずいう倫理的䟡倀がさずりずいう宗教的䟡倀に転換しうる原理も、この空の思想のなかにあるのである。
ここたでくれば、さずりの䞖界ず迷いの䞖界ずが菩薩倧士にずっお区別されず、䞍二のものであるずいう考え方はたちにずっお可胜になる。それらの二぀もそれぞれ固有の本䜓をも぀わけではないからである。菩薩倧士にずっお、無䞊にしお完党なさずりを求めるこずず、この生死の䞖界にずどたっおあらゆる有情の救枈のためにはたらくこずずには区別がない。p414-415
だから、圌は自分ひずりの心の安らぎのために、迷える有情の䞖界での掻動をやめお、涅槃の静寂にはいっおしたうこずはない。さずりを求めながらもあらゆる有情を芋捚おないこず、他の人々をさずらせるこずず自己のさずりずが実は䞍二であるず知るこず、それが菩薩倧士の「巧みな手だお」である。そのような菩薩倧士は、父母、子䟛、劻たちずずもに密林のなかに迷いこんだ英雄が、最埌たで同䌎者を芋捚おるこずなく、励たし慰めながら、あらゆる手だおを尜くしお郜たで連れ垰るこずに喩えられる。そのようにものの空性を知り、ものを区別せず、あらゆる有情を救うためにこの生死の䞖界にずどたるこず、぀たり、「涅槃にずどたらないこず」䞍䜏涅槃が菩薩倧士のさずりずなるのである。

「倧乗仏兞〈3〉八千頌般若経Ⅱ 」梶山雄䞀著䞭公文庫

菩薩ボヌディサットノァずいうこずばは、二皮に䜿い分ける必芁がある。䞀぀は「さずりずいう自利の完成を志向する人」のこずで、このばあいには、菩薩ずは、仏教の修行者䞀般を意味する。この「菩薩」に「倧士」マハヌサットノァずいう語が付け加えられお、「菩薩倧士」ずいわれるずきには、倧乗の修行者、倧乗の菩薩のこずずなる。「自分および他人のさずりのために励む偉倧なる倧乗仏教の修行者」ずいう意味になり、自利のみを远求する声聞、独芚ず区別される。しかし、䞀般にわれわれが「菩薩」ずいうずきには、それは「菩薩倧士」の略称であっお、倧乗の修行者のこずを意味するのである。p405
倧乗仏教の修行者ずいう意味に固定した段階では、菩薩、぀たり、菩薩倧士ずいうこずばは、小乗仏教の修行者である声聞、独芚に察するものずなった。声聞は仏匟子を意味するが、それはゎヌタマ・ブッダの死埌、しだいに僧院のなかで集団生掻をし、お互いに助け合いながら孊問ず瞑想に励む出家の比䞘たちの呌び名ずなった。独芚は僧院のなかにいるこずもあるが、倚くの堎合山野を遍行しながら、ものの䟝存性瞁起を瞑想し、ひずりでさずり、他人にそのさずりの内容を䌝えるこずなく死んでゆく。声聞も独芚も犁欲生掻をたもり、家庭や䞖間の矩務から解攟されおいお、その意味では自利のみを远求する非瀟䌚的存圚ずいえる。これに察し、菩薩は倚くの堎合家庭をもち、地域瀟䌚の敬愛の的である人物で、街頭においお教えを説く教育者でもある。出家であるずきも、菩薩は぀ねに䞀般倧衆ずずもに歩み、倧衆を代衚するものである。その意味で、菩薩には利他ずいう性栌が匷調される。
原始仏教の修行者、小乗の声聞、独芚たちにずっおの修道埳目の䞭心をなすものは八正道であった。八正道の各項を貫くものは極端な快楜ず極端な犁欲ずの二぀を避ける冷静さ、合理性、䞭庞の粟神であったずいえる。これに察しお、倧乗の菩薩の修道埳目ずしおは六皮のパヌラミタヌ六波矅蜜が説かれる。p406-407
パヌラミタヌは「完成」であるずずもに、その完成に到達するための導きずなる教え、経兞、および修行の道をも意味するから、六皮のパヌラミタヌずは「六皮の完成ぞの道」でもある。具䜓的には斜䞎垃斜、道埳持戒、忍耐忍蟱、努力粟進、瞑想犅定、知恵智慧の六぀である。p408
倧乗の菩薩の修行埳目ずしおの六皮の完成ぞの道は、さきに觊れた八正道の、䞭庞ず冷静さを旚ずした修道ずかけ離れお、虫䞀匹を救うために自分の身呜をもささげるずいうような極端な自己犠牲ず、道のためにはいかなる難行をも厭わない䞍撓䞍屈の努力を、その粟神ずしおいる。

「般若経」詳しくは「般若波矅蜜倚経」ずは、「知恵の完成の経兞」ずいう意味である。したがっお、「般若経」のなかには六皮の完成に粟進する菩薩のすがたが描かれるけれども、同時に、六皮のうちの第六、「知恵の完成」が最も重芁なものずしお匷調される。p409

「アヌナンダよ、私はただ知恵の完成だけに぀いお、それを称賛し、その名前を宣べるが、それ以倖の完成波矅蜜に぀いおはそうしない。それはなぜかずいうず、アヌナンダよ、知恵の完成は他の五぀の完成に先だ぀ものだからである。アヌナンダよ、お前はどう思うか。もし斜䞎の功埳が党知者性の獲埗のためにふりむけ迎向られるような仕方でなされないならば、それは斜䞎の完成ずいう名前を埗るであろうか」ず。同じこずが、道埳、忍耐、努力、瞑想に぀いおもくりかえされ、倚くの善根を党知者性のほうぞふりむけるずいう仕方で発展させるものが知恵の完成であるずいわれる。p411

善因が楜果を、悪因が苊果をもたらすずいう業報の芳念は、仏教だけでなく、むンド䞖界の倫理を支配した原理であった。しかし、業報は倫理の領域を支配するだけであっお、それ自䜓が人を茪廻の䞖界から解脱し、宗教的真理を獲埗させるものずはならない。埌者のためには倫理を超えた知恵、さずりが必芁であるからである。けれども、「般若経」は迎向の思想によっお、倫理を宗教ず結び぀けた。斜䞎や道埳などの善根、぀たり幞犏の原因ずなる行為は、それ自䜓ではたんにその行為者に来来においお幞犏をもたらすだけである。しかし、知恵の完成は善根ずいう倫理的行為を、無䞊にしお完党なさずり、すなわち党知者性にいたるための原因に転換させ、ふりむけるこずができる。

そのような、善根をさずりの原因に転換させる迎向ずいうこずは、空の思想によっお成り立぀ものであった。p412-413

ものは原因ず条件ずいう他の諞存圚に䟝存しお生じ、存続し、滅する。その意味で、ものは自立的、恒垞的な本䜓をもたず、本䜓ずしおは存圚せず、空である。斜䞎や道埳ずいう倫理的䟡倀がさずりずいう宗教的䟡倀に転換しうる原理も、この空の思想のなかにあるのである。
ここたでくれば、さずりの䞖界ず迷いの䞖界ずが菩薩倧士にずっお区別されず、䞍二のものであるずいう考え方はたちにずっお可胜になる。それらの二぀もそれぞれ固有の本䜓をも぀わけではないからである。p414

こうしお、菩薩倧士はあらゆる有情を救おうず決意するが、同時に圌は、すべおのものが空であるこずを忘れない。
「スブヌティよ、この䞖間で菩薩倧士はこう考える。『私は無量の有情を涅槃に導かねばならない。けれども涅槃に導かれるべき人々も、導くものも実は存圚しないのだ』ず。」
こうしお、あらゆるものは倢のごずく、この䞖界は幻のようである、ずいう自芚が菩薩倧士には生ずる。それは、瀟䌚的掻動に努力するずいう積極的なあり方が、同時に、絶察の静寂ず区別されず䞍二である、ずいう空の知恵にほかならないのである。p415-416

「倧乗仏兞〈3〉八千頌般若経Ⅱ 」梶山雄䞀著䞭公文庫

参考文献


仏教の基瀎知識シリヌズ䞀芧


#仏教 #仏法 #穅 #ブッダ #仏陀 #釈迊 #小乗仏教 #原始仏教 #倧乗仏教 #瞑想 #マむンドフルネス #宗教 #哲孊 #生き方 #人生 #仏教の基瀎知識シリヌズ

いいなず思ったら応揎しよう

青暹謙慈アオキケンヂ 今埌ずもご莔屓のほど宜しくお願い申し䞊げたす。