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乳ガンと、命を巡る日々〜「ちゃーちゃん、大丈夫?」に支えられて〜


10年前の熊本地震から1ヶ月半後、
私は乳ガンを告げられた。ステージ2。

今回の地震で、
あの頃のことが胸に蘇ってきた。

人生の大きな災難として刻まれた、
忘れることのできない10年前の記憶。

右胸にあった2つの小さなシコリには、
自分でも気づいていた。

毎年6月に検診を受けていた私は、
その年の6月1日、宣告を受けた。

三女の姉を乳ガンで亡くしたので、
5年間にわたる壮絶な闘病も知っている。

四女の姉が子宮がんになった際も、
ガンにおかされた子宮をこの目で確かめ、
医師の説明を受けた。

切り取られたリンパ節が
ステンレスのトレイに区分けされ、
名称が添えられているのを直視した。

「これから転移がないか調べていきます」

そう告げられたとき、
仕事柄、リンパ節についての
知識があった私は、
実際の映像としてすんなりと
状況を理解することができた。

完全ながん家系ということもあり、
私は必死で乳ガンについて調べ尽くした。

(自分の闘病生活についても書いていたが、
あまりにも長くなるためここでは割愛する)

しかし、
自分が乳ガンになったからこそ、
同じ病を抱える方の気持ちが
痛いほどわかり、
心から寄り添えるようになった。

これまでにも、乳ガンを経験された
多くのお客様と出会ってきた。

これから手術を受けるというお客様には、
ご自身の不安を
少しでも和らげていただけるよう、
自分の胸を見せることもある。

笑顔で励ますことができるようになった。
深刻になりがちな状況さえも、
私は笑いに変えてきた。

「明日から乳ガンで入院してきますね〜!
復活したらすぐに連絡します!」

普段から明るく元気な
イメージを持たれていただけに、
驚かれるお客様がほとんどだった。

早くお客様に元気な姿を見せたい、
安心していただきたい。
その強い意志を持っていたおかげで
術後わずか10日で仕事に復帰した。



一年毎の検診の時、先生に

「右の乳房が上がってしまったので
左側も切って揃えてくれませんか?」

ホルモン療法で髪が抜けて行ったときは
髪が多かったからちょうど良くなったんじゃ?と思ってみたり。

「先生、髪がコレ以上抜けたり、
シミができたりするのは
ビジュアル的に良くないから、
自己責任として、
止めてもいいですか?」

こんな事まで言った話を
話題にしてしまう。

自分に起こることには、
すべて意味があると思って生きている。

姉たちのことがあったからこそ
毎年欠かさず検診に通い、
3年前に子宮がん検診で
異常が見つかった際も、
医師から早めの摘出を勧められると
迷うことなく受け入れた。

「お姉様が子宮ガンだったなら、
術後の大変さもよくわかりますよね」

その言葉通り、
私は子宮の摘出手術も受ける決断をした。



10年前のあの時、
あまりにも過酷な試練ばかりの
自分の人生を思い

「このまま放置して死んでしまおうか」

と口にしてしまったことがある。
そんな私を、娘は強く叱りつけた。

「可愛い孫の成長ば、見たくないとね?!」

心配する娘や孫、子供達の為にも
私は病と戦う覚悟を決めたのだった。


病院のベッドで意識がうっすらと
戻ったとき、目の前に飛び込んできたのは
3歳半の孫の顔だった。

手術を終え、酸素マスクを付けた私を、
小さな顔で心配そうに見つめている。

「ちゃーちゃん、大丈夫?」

意識がもうろうとする中で聞いた
その声と愛おしい姿は、
今でも鮮明に思い出すことができる。


放射線治療の最中、
同期会に出席するため、
私は孫を連れて福岡の博多へ
向かうことにした。

孫との思い出を
一つでも多く作ろうと思った。

私との楽しい思い出を
作って欲しいと思った。

新幹線、地下鉄、
そして福岡空港で見る飛行機。
孫にとってすべてが初めての経験だった。
(翌日、博多駅前陥没のニュースが流れて呆然とした)

博多へ向かう前、
まずは放射線内科へ孫を連れて行った。

病院を出て、駅へ向かう道すがら、
孫が不思議そうに尋ねてきた。

「ちゃーちゃん、
この病院はどうして来たと?」

「この前の病院はね、
ちゃーちゃんのオッパイに
わるーいばい菌がいたから、
先生が切って取ってくれたのね。
ここの病院はね、
見つからんやったばい菌を
退治してくれて、
もうばい菌が入ってこんように
するためにね、
ビカビカって
光線当ててくれる病院とよ」

分かってくれたのか、
分からないままなのか。
小さな手を握りながら、
そんな会話を交わした。


通院による25日間の放射線治療中、
胸には放射線を正確に当てるための
油性マジックの印が描かれていた。

一緒にお風呂に入ったとき、
孫は私の胸の傷ではなく、
その線に驚いたようだった。

「ちゃーちゃん!
なんでオッパイの周りに
ジノジノしてあるとね?!」

「光線当てるところがね、
決まってるとよ。
同じ所にあてるからね、
印が消えんように
消えないマジックで書いてあるとよ」

そう説明して納得したのか、
放射線治療が終わりに近づいた頃、
再び一緒にお風呂に入ると、
孫は私の胸をじっと見て言った。

「ずいぶん、キレイになったね〜」

どこか大人びたその言い方が、
可笑しくも愛おしく、
心がじんと温かくなった。


今回の熊本地震が起きた時、
一番最初にLINEをくれたのは、
13歳になった孫だった。

「ちゃーちゃん、大丈夫?」

あの日、病院のベッドで聞いた言葉と同じ。

孫が通う中学校は、
今回の熊本地震の際に
8億円を寄付された漫画『ONE PIECE』の
尾田栄一郎先生の母校でもある。

あの時小さかった孫も、
たくましく、
そして変わらず優しく成長してくれた。

これからもきっと、
私は孫に
心配をかけてしまうことがあるだろう。

でも、「大丈夫?」と聞かれる回数が
増えれば増えるほど、
私と孫との幸せな思い出も、
積み重なっていくのだと思う。

「ちゃーちゃん、大丈夫?」

その温かい声に支えられながら、
私は今日も、こうして生きている。



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