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神武天皇は実在した?「紀元前660年即位」と神武東征を歴史学から検証

神武天皇は本当に紀元前660年に即位したのか

『古事記』『日本書紀』では、神倭伊波礼毘古命が日向から東へ進み、大和を平定して初代天皇になります。後世、この人物が「神武天皇」と呼ばれます。

『日本書紀』の年代計算では即位年は紀元前660年とされ、近代にはこの年を基準に皇紀が作られました。

しかし、現代の歴史学では紀元前660年の即位を文字どおりの史実とは考えません。

その時代の日本列島には、天皇制やヤマト王権の存在を示す文字史料・考古資料が確認されていないからです。

【史料】神武東征はどんな物語か

『古事記』では、神倭伊波礼毘古命と兄の五瀬命が、天下を治めるのにふさわしい土地を求めて日向を出発します。

筑紫、安芸、吉備などを経て大阪湾側から大和へ入ろうとしますが、長髄彦側との戦いで敗れ、兄の五瀬命が負傷して死亡します。

そこで「日の神の子が太陽に向かって戦ったのがよくなかった」と考え、紀伊半島を回って熊野へ向かいます。

熊野では神剣の助けを受け、さらに八咫烏の先導で山中を進み、大和の勢力を服属させ、畝傍の橿原宮で即位します。

物語としては「西から大和へ入る王」の建国譚です。

なぜ紀元前660年は信じられないのか

神武天皇の記事が文献として現れるのは、712年の『古事記』と720年の『日本書紀』です。

神武の時代とされる紀元前7世紀からは1300年以上離れています。

さらに『日本書紀』の初期天皇は極端に長寿で、在位年数をそのまま合計すると、中国史書や考古学で確認できる倭国の年代と整合しません。

【通説】では、日本書紀の古い年代には、中国的な暦や国家の起源を古く見せる編年上の操作が含まれると考えられています。

そのため、「紀元前660年」という数字自体を歴史年代として使うことはできません。

考古学が示すヤマト王権は3世紀以降

奈良盆地で広域的な政治中心が明瞭になるのは、弥生時代終末から古墳時代初頭です。

3世紀の纒向遺跡には各地の土器が集まり、3世紀中ごろ以降には大型前方後円墳が成立します。

【有力説】では、この時期に複数の地域首長が連合し、初期ヤマト王権が形成されたと考えられています。

これは神武天皇の伝統的年代より約900年も後です。

したがって、神武東征を紀元前7世紀の征服戦争として考古学的に証明することはできません。

では神武は「完全な架空人物」なのか

ここも慎重さが必要です。

神武天皇という個人を確認できる同時代史料はありません。したがって【史実】として実在を証明することはできません。

一方で、物語の中により古い政治的記憶が全くないとも証明できません。

瀬戸内海から紀伊半島を経て大和へ入るルート、吉備や熊野など各地の地名、在地勢力との戦い、地域神の服属といった要素には、古代王権が形成される過程の記憶や氏族伝承が素材として使われた可能性があります。

【有力説の一つ】では、一人の英雄の伝記ではなく、複数の王権形成伝承や氏族祖先譚を「始祖王・神武」の生涯へまとめたと考えます。

ニギハヤヒという「もう一人の天孫」

神武東征で特に興味深いのが、饒速日命です。

『日本書紀』では、長髄彦はすでに天から降った饒速日命を主君としており、「なぜ新たに天神の子を名乗る者が来たのか」と神武を疑います。

最後に饒速日命が神武へ帰順します。

この物語は、物部氏など大和の有力氏族の祖先伝承を、天皇家の始祖神話へ統合したものとみる研究があります。

神武天皇をどう読むべきか

神武天皇について最も正確な言い方は、「記紀が初代天皇として描く始祖王であり、個人としての実在は確認できない」です。

しかし、だから歴史的価値がないわけではありません。

神武東征は、8世紀の国家が「なぜ大和が政治の中心なのか」「なぜ天皇が各地の氏族の上に立つのか」を説明した建国神話です。

その中に、古代の交通路、地域勢力、氏族の祖先伝承がどのように組み込まれたかを調べることで、ヤマト王権が自らの起源をどう理解していたのかが見えてくるのです。

まとめ

神武天皇は『古事記』『日本書紀』が初代天皇として描く人物ですが、個人としての実在を証明する同時代史料はありません。日本書紀の即位年・紀元前660年も、現代の歴史年代としては採用されません。考古学上、奈良盆地に広域政治勢力が明瞭になるのは3世紀ごろです。ただし神武東征には、各地の地名・氏族伝承・王権形成の記憶が素材として含まれた可能性があり、「完全な史実」か「完全な創作」かの二択ではなく、始祖王神話として批判的に読む必要があります。

次回予告

神武東征で熊野から大和への険しい道を案内したのが八咫烏です。次回は、なぜカラスが建国神話の「導き手」に選ばれたのかを追います。

参考文献・史料

【一次史料・研究データベース】

・國學院大學 古典文化学事業「『古事記』あらすじ―神武東征」
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/about-kojiki/outline/

・國學院大學 古典文化学事業「古事記系図―神倭伊波礼毘古命」
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/studies/kojiki-keizu/

・國學院大學 古典文化学事業「邇芸速日命」
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/nigihayahinomikoto/

【考古学・参考文献】

・桜井市「史跡纒向遺跡交流館(仮称)基本計画」
https://www.city.sakurai.lg.jp/sosiki/kyouikuiinkaijimukyoku/bunkazai/plan/8502.html

・直木孝次郎『日本神話と古代国家』講談社学術文庫

・三品彰英「神武伝説の形成」

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