『生きる』
谷川俊太郎
僕も妻も大好きな、誰もが知る国民的詩人。
谷川俊太郎さんの詩、『生きる』。
小学校の国語の授業中のことだ。
生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
「この、くしゃみはどういう意味だと思う?」
先生が投げかける。
座席の前から順に当てて行く。
皆それぞれの思いを言うが、先生は首を縦に振らない。
この詩の中でもとくに僕の好きなところだった。
僕にはわかる。
くしゃみの意味が。
なぜ、作者がくしゃみをしたのかが。
それは太陽を見たからだ。
僕は太陽を見ると必ずくしゃみが出る。
太陽の眩しさでくしゃみが出る。
くしゃみをしたい時は太陽を見ればすぐに出る。
木漏れ日がまぶしいということ
眩しかったら、くしゃみ出るよなと、僕は思う。
太陽見たからくしゃみしたんだよな、と当然のように僕は思う。
僕の番だ。僕は絶対の自信をもって答えた。
「太陽が眩しかったからです!」
「んなバカなことないだろう…」
先生は僕を小馬鹿にするように鼻で笑い、次の子の名前を呼んだ。
「そう!よくわかったな!」
先生が褒めてくれると僕は思った。
授業が終わってから、誰かが声をかけてくれるのを待っていた。
「俺も、くしゃみ出るよ。太陽を見たら!」
誰一人、声をかけてくれなかった。
誰一人「わかる!私も!」という子がいなかった。嘘でもいいから賛同して欲しかった。
一緒のクラスを担任をしている相方の若手女性教師にその話をしたら、
「私も出ます!くしゃみ出ます!」と興奮して乗り出してくる。くしゃみ仲間ができた。
「私、光のアレルギーだから蛍光灯を見てもくしゃみ出ますよ!」
「いやいや、アレルギーとか、蛍光灯とか、夢もロマンもないではないか!谷川俊太郎だぞ!詩だぞ!ポエムなんだぞ!太陽がポイントだろ!」と思ったが、稀有なくしゃみ仲間だ、文句言うのは堪えた。
その女性教師が来週から産休に入る。最近は体調が思わしくなくてつらいようだ。元気な赤ちゃんを産んで欲しいと切に願う
自分で産むわけじゃない。心配しかできない。オロオロするお爺ちゃんの心境。
産まれた赤ちゃんと会うのが今から楽しみだ。
木もれ陽の下、まぶしさにくしゃみをするあかちゃんの姿が見られるかもしれない。
そんな小さな楽しみがあるのも、今生きているってことなんだろうな。

