第20章 芸術大公と「驚異の部屋」
コインコレクターの初心者なら、「あるある」かもしれないが、痛恨の記憶だ。出張先の宮崎市内の中華料理店。落札が決まったばかりの「フェルディナンド2世」をWikipediaで検索したとき、私は目の前が真っ暗にになりかけた。そこに映っていたのは、私が思い描いていた“皇帝”とはまったく別のフェルディナンド2世だった。
YouTubeであるオークションのプレビューを何となく聞いていたとき耳に入ってきた「フェルディナンド2世」。私は三十年戦争の主役である神聖ローマ皇帝のものだと思っていた。スラブの年号が古いのが気になったが相談したAIは「NGCの雑な表記」と雑な回答。不覚にもそれを信じてしまった。オーストリアの「同姓同名」が他にもいたのだ。
フェルディナンド2世(オーストリア大公)のターラー NGC・AU58
このオーストリア大公は、深掘りすればするほど不思議な魅力を放つ。父は皇帝フェルディナンド1世、兄は同じく皇帝マクシミリアン。オーストリアのチロル地方の領主を務めたハプスブルク家の王子は、豪商ウェルザー家の娘と恋いに落ち、「秘密結婚」をする。父フェルディナンド1世以外には結婚は伏せられた。彼は妻のために居城の
アンブラス城をルネサンス風に改築した。

アンブラス城は世界的にも有名な城となった。収集癖のあったフェルディナンド2世は「世界のすべてを一室に収める」というルネサンス的な理想を実現するため、「驚異の部屋」と呼ばれる「博物館の元祖」を作り上げた。
· Artificialia(人工の驚異):金銀細工、ブロンズ彫刻、フィリグリー細工、精巧な木工旋盤作品など
· Naturalia(自然の驚異):珊瑚、象牙、珍しい動植物標本
· Exotica(異国の驚異):アジア・アフリカ・アメリカからの珍品(琉球の椀、サムライ甲冑など)
· Scientifica(科学の驚異):天文器具、測定器、時計、機械仕掛けの玩具
· Mirabilia(奇跡・怪異):奇形とされた人物の肖像、巨人・小人、異様な逸話を持つ人物像など
これらは当時の欧州屈指の豪商だったウェルザー家が持つ商業ネットワークのたまものでもあった。欧州各国の他の貴族のコレクションは戦争などで散逸してしまったが、アンブラス城だけが奇跡的に当時の姿で残っている。

兄のマクシミリアン2世は、旧教と新教の融和を進め、「人間は精神的・感情的なニーズを満たすことに神や宗教を必要としない」という人文主義に傾倒した皇帝だった。自身は死去の際に「余の司祭は天におわす」と臨終の秘蹟(カトリック式の儀礼)を拒んだほどだ。
「驚異の部屋」に自分の世界を追求し続けた弟の姿もこれに重なる部分があると思う。
黒光りしたターラー。一見、物々しい甲冑を身にまといながらも、目を引かれるのは、その装飾の美しさ、繊細さだ。特に右腕の模様はまるで彼がそっと見せつけているかのように美しい。後世に「芸術大公」と呼ばれた彼のこだわりが静かに刻み込まれている。
「失意」の落札だったはずが、今はお気に入りの一枚になりつつある。

