「クロノ・クロス」という、迷子になっていい物語
先日、あるゲームメディアの記事を読んだ。
「クロノ・クロス」を振り返る特集記事だった。
発売は1999年11月18日。
懐かしさよりも先に、驚きの方が来た。
もうそんなに経つのか、と。
大学生の頃、バイト代が入るのが少し遅くて、すぐには買えなかったのを覚えている。
友達の部屋でパッケージだけ見せてもらって、裏の写真ばかり眺めていた。
今思うと少し恥ずかしいけれど、あれはあれで楽しかった気がする。
「トリガー」の続編、と聞いたとき、少し身構えた。
前作があまりにも完成されていたから。
続編で何をやるんだろう、と斜に構えていた記憶がある。
サークルの後輩にも、生意気なことを言っていた気がする。
でも数時間遊んだら、そういうことはどうでもよくなった。
「トリガー」の続きというより、その先に生まれたもうひとつの可能性の物語、という感じだった。
浅はかだったなあ、と今なら思う。
セルジュが知らない世界に迷い込むところ、あれ普通に怖い。
幼馴染は自分のことを忘れているし、村の人もよそよそしい。
しかも自分の墓まである。
部屋で夜中にひとりでプレイしていて、変な汗をかいた。
明日一限があるとわかっていても、コントローラーを置けなかった。
ホームとアナザー、行ったり来たりする仕組みは、序盤は正直よくわかっていなかった。
「あれ、今どっちだっけ」となることが何度もあった。
攻略本もなかったので、手探りで進めるしかなかった。
でも今思うと、あの迷子っぷりも含めて楽しかったのだと思う。
わからないまま進めるのが、当時は普通だった。
仲間になるキャラ、44人もいる。
しかも1周では全員そろわない。
自分は最初、キッドを助ける方を選んだ。
理由は単純で、見た目が好みだったから。それだけだった。
そのせいで、レナは仲間にできなかった。
後から「レナ仲間にした?」と聞かれて、そんな選択肢があったのかと初めて知った。
少し悔しかったけれど、まあいいかとも思っている。
全部は選べないし、選ばなかった分だけ道が残る。
見た目で選んだことも、今思えば人間らしくて嫌いではない。
音楽の話もさせてほしい。
オープニングの「時の傷痕」、あのイントロだけで持っていかれる。
友達の家のブラウン管で聴いたはずなのに、なぜか音の輪郭までうっすら覚えている。
静かに始まって、じわじわ盛り上がって、でも終わり方はあっさりしている。
その潔さが、ずっと記憶に残っている。
「夢の岸辺に」も好きだった。
儚くて、少し寂しい曲。
これを聴くと、なぜか部屋の窓から見えていた夕方の空を思い出す。
ゲームの記憶と生活の記憶が、いつの間にか混ざってしまう。
そういうこともあるのだと思う。
1999年がどういう時代だったか、少し振り返ってみる。
プレイステーションもそろそろ後期で、次世代機の噂もちらほらあった頃。
そんな中でスクウェアはまだしっかり作り込んでいた。
複雑な物語、膨大な分岐、理解するまでに時間がかかる設計。
今なら「不親切」と言われそうだけれど、当時はそれが普通だった気がする。
わからなくてもとりあえず進める、わからないまま感動する、という遊び方。
不便さがそのまま面白さだった時代、というか。
「ゼノギアス」を遊んだときも、似たようなことを感じた。
難しいのに、なぜか手放せない。
発売当時のキャッチコピー、「殺された未来が、復讐に来る。」
これが今でも忘れられない。
正直、当時は意味がよくわかっていなかった。
かっこいいから覚えていた、くらいのものだった。
世界の空気や音楽はどこか優しいのに、コピーだけ物騒。
歳を重ねてから読み返すと、ちゃんと意味のある言葉だったのだと気づく。
わからなかったものが後からわかる、そういう再会もゲームにはあるのだと。
このゲームは2022年にリマスターも出ている。
自分も改めて触れてみた。
序盤の仕組みをまた忘れていて、また少し戸惑った。
26年経っても相変わらず迷子になっていて、思わず笑ってしまった。
でも今回は、迷子になることが嫌ではなかった。
昔は複雑さに戸惑うばかりだったけれど、今はその奥にある優しさに気づく余裕がある。
ゲームは変わっていないのに、自分は変わっているのだなと思う。
まだ遊んだことのない人がいたら、この機会にぜひ。
できれば「トリガー」から順番に遊んでほしいけれど。
迷子になっても大丈夫。
自分もいまだに、あの世界で少し迷子のままだから。
