ぬか床を捨てた話
育ててきたぬか床を捨てた。
かびたりだめになったりしたわけではないんだけれど。
わたしはこの数日、ありとあらゆるものを取っ替え、毎朝4時前に起きてまで念入りに掃除をした。
歯ブラシや歯間ブラシは毎月1日に換えることにしているけれど、そういうものだけではなく、うちに在庫があって換えられるものはすべて換えた。
お風呂のあとに髪を梳かす目の細かいつげの櫛。
竹の菜箸2セット。
わたしは食器を洗うのにあまり洗剤を使わないから、半年前に詰め替えた洗剤をまだ使っており、それももう容器ごと捨ててしまってあたらしい石けん洗剤を出した。
……そんな調子で、とにかく取っ替えていく。
心機一転したいときに、物を総取っ替えしてしまうのは本当におすすめだ。
人に見せるようなものはただの見栄みたいなものが混じるから、そうではなくて、地味なもの、自分しか目にしないものを換えるのがいい。
ひさしぶりにここまでのことをした。
それは、もう、ネガティブな自分とさよならしたかったから。
今回、その最たるものがぬか床だった。
ぬか床なんて、いちばん思念が詰まっている気がする。
手の菌(思念の最先端)から、ダイレクトに。
だいたいそもそもここのところ、ぬか漬けをちゃんとしていなくて、数日放置してしまう繰り返し。
そうしているうちにお通じもすぐれなくなってきた。
便秘がひどい人は、ぬか漬けをためしてみてほしいと思う。
もちろんそれだけではどうしようもないこともある(運動も水分摂取もできるだけリラックスを感じることも大事なことだ)けれど、ぬか漬けのパワーはすごい。ぬか床を育てながら腸内の菌を育てるイメージ。
ぬか床を捨てるのは、一世一代の儀式のようであった。
グッバイぬか床。
グッバイこれをかき混ぜふれてきたすべてのわたし。
そうしてあたらしいぬか床にきゅうりを1本だけ漬けたときのよろこび。
よし、ここからまたはじめるよ。
わたしは料理は好きなほうだと思うけれど、それでも心底疲れたときまでたのしめるほど好きではない。
あたらしい仕事をはじめてから基本的に毎日心底疲れているので、毎晩料理をするのは苦痛。
それでも、ぬか漬けがあれば、それだけで1品の手間を省ける。
だいたいの野菜は朝漬ければ夜、長くとも丸一日後には食べられるから、前もって準備ができるところもいい。
手間をかけた料理もいい、わたしは気力体力があればあんこを炊いて皮を発酵させてあんまんを作る、くらいのことは好んでやる人間だけれど、それでもそれとおなじくらい、いやそれ以上に、かんたんにできておいしいものが好きだ。
もしかしたらわたしにしかこのおいしさは通用しないかもしれない、と思うような料理たち。
キャベツときのこを豆腐の水分と醤油だけで煮てチーズをかける、という「キャベチ」(あみちゃま命名)とか、もやしの上に豚バラ肉を置いて、お酒とポン酢を振りかけて蒸しただけ、の「もや豚」(あみちゃま命名)とか。
もう18歳からの20年のうちのほとんど(元婚約者と暮らしていた期間とか、実家に一時的に帰っていた期間をのぞいて)をひとりで暮らしているわけだから、そういう「謎料理」のレパートリーはけっこうある。
レシピ本はたくさん持っているけれど、レシピを見て料理することなんて数ヶ月に1度くらいしかなくて、いつも適当に、好きなように料理をしている。
でもそれもどうしてもできないようなときに、ぬか漬けと納豆があれば、あとは梅干しに鰹出汁(鰹節を煮るだけ)と醤油を注いだ適当汁でも作って、そしたらもうごはんの完成だあ。
こんなことでよい。
こんなことでよいから、自分のために手を動かすことをあきらめたくはなくて、ぬか床はわたしにとっての生命線みたいなものですらあるのだ。
そのぬか床を取っ替えたということ、あたらしくはじめたということ。
この9月1日という日を小さな節目にするべく、書いてみました。
