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中央大学科目等履修生(高校生) 結

自信満々で古文書と向き合って、だいたい2時間の後。

当初の意気揚々とした心構えは、きれいさっぱりなくなってしまおうとしていた。

この2時間をかけて、解読することのできたくずし字は「御」のみ。

「御」が分かったことにより、芋づる式に「御代官様」、「御家老様」などの頻出する単語を読み解くことには成功したものの、肝心かなめの文面がわからないというのでは、彼ら藩の重役たち‘が’村々に布告を出したのか、彼ら‘に’村々が上告したのか、判断することができない。

第一、「m」ってなんだよ。。

なんで「m」と「清」をくずしたような格好のやつとが同じ「御」の文字のくずしなんだ。

何かの間違いではないのか。

。。。そんなことも経験しながら、それでも、一度成功体験を掴んでしまえばあとはだんだんと楽になっていくもので。

1つの解読に成功すれば、芋づる式に10程度の箇所の単語が翻訳できる。

1つ解読することができれば、あとに解読を待つ文字たちの数は一気に目減りする。

——もっとも、くずし字翻訳の初心者である僕には、累計数十ページに及ぶ古文書は十分過ぎるほど手に余るシロモノだ。

結局は、大まかな内容を掴むだけで1週間が終わり、全体の翻刻は、先生にやっていただくことになった。


目の前で、息を吸うように記されていく翻訳後の文字群。

それはもう、初学者であるという自覚もあるので妬み嫉みの心を持つことなどできっこないが、しかし目の前ですらすらと翻刻をする先生の専門は、日本近代史。

ほぼ明治以降の時代が主たる対象であって(文書の保存研究に慣れているとは聞くが)、江戸時代の古文書の解読などは専門外であろうというのに、いとも簡単にやってのける様を見て、嫉妬心こそなけれど、純粋にそれを凄いと思った。


——この先どんなことを専門にするかはまだわからない。

この科目を履修したことで、文系科目への興味が息を吹き返し、はるかに引き離されていたはずの理系科目群を急速に猛追していく。

それだけでも、この科目を受講した甲斐があったというものだ。

この制度は高大接続プログラムとしての性格を持ち、この科目の履修時に良い成績を修めれば、中央大学への入学後に単位として認定されるのだという。

——もっとも、それを目的としていたわけではないのは、先述したとおり。

ここで得られる単位というのは、あくまでも副次的なものであって、それを得るためにこの制度に応募したのではない。


結局のところ、発表がうまくいったとはいえない。

大学生が履修する科目に高校生が参入しているというので、大学生と高校生とで発表そのものに対する認識も経験も決定的に異なる上、意思疎通も困難を極めた。


発表のスライドを、直前まで個々人で制作していたために、当日それらスライドを合体させるまで、どのような流れで発表が進んでいくか誰にもわからなかった。


。。。それでも、以上のことを言い訳にすることはできない。

自分の担当のところをうまく説明できなかったことが、どうにもしこりとして残ってしまっている。


今年の3月に某所でポスター発表を担当させていただいたときには上手く喋れたというのに、それ以降のこれを含めて計2回の発表では上手くいかないのは何故なのだろうか。


今年もすでに折り返し地点を過ぎた。

来年からは受験に集中する必要がある以上、このようなことができるのは今年までであろう。

笛の発表然り、このようなカタチでの発表然り。

幸いにして、そのような機会は山ほどある。


これは余談ではあるが、発表後に登壇された先生方が皆、阿部謹也先生について触れられていたのが、特に印象に残った。

僕の父が歴史に興味を持ったのが、ラテン語を学ぶことで「ガリア戦記」を通じてカエサルその人と対話できる、という点においてであった。

阿部謹也先生の著作については、もとより父から強く薦められていたのだが、生憎と未だ手に取ったことがなかった。

今回の科目の一切を通して最も後悔しているのは、案外このことであるかもしれない。


最後に。この場を借りて、中央大学文学部の先生方に厚く御礼申し上げる。

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