chair
田村さんの机は、窓際の一番奥にある。
入社三年目の私が最初に驚いたのは、誰も田村さんに話しかけないことだった。会議で発言しても、議事録には残らない。企画書に名前を連ねても、上司は若手の名前だけを呼ぶ。
「あの人、来月で定年らしいよ」
同期がそう言ったとき、私は初めて田村さんの年齢を意識した。五十八歳。この会社に三十年以上いる。
送別会の話が出たのは、田村さんが席にいないときだった。日程を決め、店を決め、誰が幹事をやるかまで決まった。田村さんの意見は、誰も聞かなかった。当然のように。
ある日、私の企画が通った。田村さんが半年前に出して却下された案と、ほとんど同じだった。会議室を出るとき、田村さんと目が合った。何か言われるかと思ったが、田村さんはただ小さく頷いて、パソコンの画面に戻った。
最後の出勤日、田村さんの机はもう空になっていた。段ボール一箱分の荷物を、始発で持ち帰ったらしい。誰もそれを見送らなかった。
私はその日の午後、たまたま田村さんの席に座る用事があった。椅子を引いたとき、座面がまだかすかに温かい気がした。三十年分の重みが、そこにあったのかもしれない。
窓の外では、新しい案内板の工事が始まっていた。田村さんの名前が消えて、まだ誰の名前も入っていない、白い枠だけがそこにあった。
