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「歴史に残る外交三賢人-ビスマルク、タレーラン、ドゴール」を小学生でも分かるように説明します(本・書籍)世界は「正義」だけでは動かない―国際政治を読むリアリズム外交


歴史に残る外交三賢人-ビスマルク、タレーラン、ドゴール

著者 伊藤 貫





世界にはたくさんの国があります。

皆さんのクラスにも、力の強い子や、頭のいい子、いろいろな人がいるように、世界にも強くて大きな国や、小さくて弱い国があります。

もしクラスの中に、自分の思い通りにルールを決めてしまうガキ大将のような子がいたらどうなるでしょうか?

一人では勝てない弱い子たちは、何人かでグループを作って協力し、その強い子に対抗しようとしますよね。

そうやって、誰も一人で好き勝手ができないように、お互いの力を釣り合わせることを、難しい言葉で「バランス・オブ・パワー(力のつり合い)」と呼びます。

実は、今から二千五百年も前の古代ギリシャの時代、アテネとスパルタという国が争っていた時代から、現代のアメリカや中国やロシアに至るまで、世界の歴史はずっとこの「力のつり合い」の考え方で動いてきました。

この本『歴史に残る外交三賢人-ビスマルク、タレーラン、ドゴール』(伊藤貫・著)では、その「力のつり合い」を最も上手に使って、自分の国を守り抜いた三人の偉大な人物について書かれています。

彼らは「外交」という、国と国とが話し合いをして戦争を防いだり、自分たちの利益を守ったりするお仕事の達人でした。

彼らのやり方は、夢や理想を語るだけでなく、現実を冷たく計算して行動する「リアリズム外交(現実主義の外交)」と呼ばれています。

国際政治の世界には、ルールを守らせるための世界政府や、悪い人を捕まえる世界警察のようなものは存在しません。

すべてが無政府状態という、とても厳しい環境なのです。

これから、この三人の天才たちがどんな人生を歩み、どのようにして世界を動かしたのかを詳しく掘り下げて紹介していきましょう。


ビスマルクってどんな人?:バラバラだったドイツを一つにした天才。

一人目の天才は、十九世紀のドイツで大活躍したビスマルクという人です。

当時のドイツは、今のような一つの大きな国ではなく、三百以上の小さな国や街にバラバラに分かれていました。

そのため、フランスやロシアやオーストリアといった周りの大きな国からいつもいじめられ、戦争のたびに自分たちの土地を戦場にされてしまうという、とても弱い立場にありました。

ビスマルクは、そんなドイツの小さな貴族の家に生まれました。

彼のお母さんはとても頭が良くて教育熱心でしたが、性格が厳しかったため、ビスマルクはお母さんの愛情を感じられず、孤独でひねくれた暴れん坊の少年として育ちました。

大学生になると、派手な服を着て、腰に大きな剣を下げ、お酒を浴びるように飲んで、些細なことで他の学生と剣で決闘ばかりする不良学生になってしまいました。

なんと、三年間で三十五回も決闘事件を起こしたそうです。

しかし、彼はただの不良ではありませんでした。

裏では外国の難しい本を読みあさり、英語やフランス語もペラペラに話し、誰よりも深く物事を考えることができる「獰猛な秀才」だったのです。

大人になって外交官になった彼は、クリミア戦争という大きな戦争が起きたとき、周りの意見に流されず、「今はどこの国にも味方しない方がいい」と主張し、用心深く中立を守りました。

将来ドイツを一つにまとめるためには、周りの強い国に恨まれないようにすることが大切だと見抜いていたからです。

やがて政治のトップである宰相になったビスマルクは、「バラバラのドイツを一つにするためには、議会で言葉で話し合っていても無駄だ。

鉄(武器)と血(戦争)という力を使わなければならない!」と宣言しました。

これを「鉄血演説」と呼びます。

そして、周りの国々との関係を冷酷なまでに計算し、スペインの王様を決める問題などをわざと利用して相手を怒らせる罠を仕掛けました。

そうやってデンマーク、オーストリア、フランスという三つの国と順番に戦争をして、見事に勝ったのです。

こうして、歴史上初めてドイツという一つの大きな国「ドイツ帝国」を作り上げました。

この時代に日本の明治政府で活躍した大久保利通や伊藤博文といった偉い人たちもヨーロッパでビスマルクに会い、「国際社会は弱肉強食だから、日本もとにかく実力をつけて強い国にならなければいけない」と教わり、大いに感動して真似をしようとしました。

ちなみに、ビスマルクはフランスとの戦争の後にアルザス・ロレーヌという地方を奪ったのですが、後になって「フランスの恨みを買うことになった。

あれは人生最大の失敗だった」と深く後悔しています。

彼はただ勝てばいいと思っていたわけではないのです。


ビスマルクの本当のすごさ:戦争をやめて平和をつくる魔法使い。

ここまでの話を聞くと、ビスマルクは戦争が大好きな乱暴な人だと思うかもしれません。

しかし、彼の本当のすごさは、「ドイツが一つにまとまった後、ぱったりと戦争をやめてしまったこと」にあるのです。

普通の人は、戦争に連続で勝つと、「自分たちは一番強い! もっと領土を広げよう!」と調子に乗ってしまいます。

たとえば、オーストリアとの戦争でプロイセン軍が大勝したとき、王様や軍の幹部たちは「このまま敵の首都ウィーンまで攻め込もう! 領土を奪おう!」と大はしゃぎしました。

しかしビスマルクは、「これ以上オーストリアを弱らせてはいけない。いつか味方になってくれるかもしれないからだ」と猛反対しました。

誰も話を聞いてくれないので、彼は泣き叫んだり、お皿を叩き割ったり、さらには「私の言うことを聞いてくれないなら、四階の窓から飛び降ります!」と王様を脅かしてまで、戦争を終わらせたのです。

彼は、「これ以上ドイツが強くなったら、周りの国々が『ドイツは恐ろしい国だ』と思って、みんなで協力してドイツを潰しに来るだろう。

それはドイツにとって悪夢の連合だ」と冷静に気付いていたのです。

だから彼は、「もうドイツは十分に満足しました。これ以上、領土はいりません。戦争もしたくありません」と世界に向けて宣言し、平和を守る立場に変わりました。

彼は、体がとても大きくて、一度に卵を十五個も食べたり、牡蠣を百七十五個も食べたり、お酒をガブガブ飲むような野蛮なところもありました。

しかし、頭の中では国際政治をまるでチェスゲームのように冷静に計算していました。

自分の国の好き嫌いや感情で動くことは絶対にせず、イギリス、フランス、ロシア、オーストリアなどの大きな国々がお互いに戦争できないように、秘密の約束や同盟をいくつも作りました。

たとえば、「三帝同盟」というドイツ、オーストリア、ロシアの三つの国が仲良くするグループを作り、一番の敵であるフランスを一人ぼっちにさせる(孤立させる)作戦をとりました。

また、ベルリン会議という国際会議では、ロシア、イギリス、オーストリアの争いを仲裁しようと一生懸命に働きました。

この時は、逆にロシアから「ビスマルクの陰謀だ」と理不尽に恨まれてしまうという苦い経験もしました。

国内では、労働者を守るための社会保障制度(労災保険、医療保険、年金)を人類で初めて作りました。

これも、ただ優しいからではなく、労働者を守ることで社会主義という国を壊そうとする運動を抑え込むための計算された作戦でした。

このようにしてビスマルクは、まるで魔法使いのように、ヨーロッパ全体の力のバランスを保ち続けたのです。

しかし、ビスマルクがおじいさんになって引退させられると、ドイツの新しい王様や軍人たちは彼の忠告を聞かずに調子に乗って戦争を始めました。

その結果、ドイツは周りの国すべてを敵に回してしまい、第一次世界大戦と第二次世界大戦という悲惨な戦争を引き起こして、ボロボロになってしまいました。

ビスマルクがどれほど先の未来を見通せる賢い人だったかがわかりますね。


タレーランってどんな人?:悪者と呼ばれても国を救った魔法使い。

二人目の天才は、十八世紀から十九世紀のフランスで大活躍したタレーランという人です。

彼は、同時代の学者たちから「天使のような顔をした悪魔」と呼ばれるほど、不思議で魅力的な人物でした。

足に障害があったため軍人にはなれず、教会の偉いお坊さんになりましたが、夜になるとパリの街でお金持ちの女性たちと遊び歩くような不良貴族でした。

タレーランは頭がものすごく良くて話がとても上手でしたが、自分の利益と祖国フランスの利益のためなら、平気で仕えている政府や王様を何度も裏切る人でした。

フランス革命が起きると教会を裏切り、危険を感じるとイギリスやアメリカへ逃げました。

その後、ナポレオンが権力を握るとナポレオンの味方になり、ナポレオンが戦争で負けそうになると、今度はナポレオンを裏切って昔の王様を呼び戻しました。

なんと彼は、自分の人生の中で六回も政府や権力者を裏切っているのです。

そのため、多くの人から「ずる賢い悪党だ」「信用できない裏切り者だ」と激しく嫌われていました。

しかし、タレーランの心の中には、「どんな手を使っても、フランスという国を生き残らせる」という強い信念が常にありました。

彼は「フランスがヨーロッパで一番の国になるべきだという野心は捨てるべきだ。領土を広げるより、国内の経済を豊かにすることが本当の国益だ」と考えていました。

ナポレオンに対して「オーストリアを壊してはいけない。国際政治が混乱するだけだ」と忠告していましたが、ナポレオンは聞く耳を持ちませんでした。

そしてナポレオンが戦争に負けて、フランスが周りの国々に占領され、領土をバラバラに奪われそうになったとき、タレーランは「ウィーン会議」という話し合いの場に出席します。

戦争に負けた国の代表であるタレーランは、最初は会議の仲間に入れてもらえませんでした。

しかし、彼は昔から教会の勉強で鍛え上げた見事な「屁理屈(もっともらしい言い訳)」を考え出します。

彼は「外交の仕事で一番役に立ったのは神学(キリスト教の勉強)だ」と言っていたほど、言葉の使い方が上手でした。

タレーランは、会議の議長であるオーストリアのメッテルニヒに対して、「あなたたちのやり方は国際法違反だ」と二時間も文句を言い続けました。

そして、小さな国々の代表たちを味方につけて、四つの大きな国が勝手にルールを決めるのを防いだのです。

その結果、負けたはずのフランスが、勝った国と同じように対等に話し合いに参加できることになりました。

彼は「悪いのはヨーロッパ中を荒らしまわったナポレオンであって、フランスという国ではありません。正当な王様が戻ってきたのだから、フランスを罰して領土を奪うのは国際法に違反しています!」と堂々と主張したのです。

これを正当主義と呼びます。

そして、勝った国同士(イギリス、ロシア、オーストリアなど)が領土の取り分で揉めているのを見逃さず、巧みに仲違いさせて、見事にフランスの領土を守り抜きました。

さらには、負けた国なのに賠償金(罰金)もゼロにしてしまったのです。

自分がどれだけ悪者と呼ばれても、冷たく現実を計算し、祖国フランスが大きくなりすぎる危険を避け、防衛的な外交をやり遂げたタレーランは、間違いなく歴史に残る大天才でした。


ドゴールってどんな人?:負けそうな国に誇りを取り戻した将軍。

最後にご紹介する三人目の天才は、二十世紀のフランスで活躍したシャルル・ドゴール将軍です。

当時のフランスは、ビスマルクの時代の戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、三回も大きな戦争で負けてボロボロになり、国民はすっかり自信を失っていました。

「どうせうちの国は弱いんだ」という暗い敗北主義の気持ち(敗戦のトラウマ)になっていたのです。

ドゴールの家は、お金持ちではありませんでしたが、昔からのフランスの歴史や文化をとても大切にする誇り高い貴族の家族でした。

十七世紀にはパリの官僚でしたが、フランス革命で財産を奪われた没落貴族だったのです。

彼のお父さんは哲学や文学の先生で、ドゴールは子どもの頃から難しい歴史の本や詩を読み、素晴らしい教養を身につけて育ちました。

記憶力が抜群で、大人になっても昔の難しい言葉をスラスラと暗唱できるほどでした。

第二次世界大戦で、フランスがヒトラーの率いるドイツ軍にあっという間に負けて占領されてしまったとき、多くのフランス人は諦めてドイツに従おうとしました。

しかし、ドゴールはたった一人でイギリスに逃げ、「フランスはまだ負けていない! 私がフランスを代表して戦い続けるぞ!」とラジオで呼びかけたのです。

彼は背がとても高く、少し変わった頑固な人でしたが、「フランスという国は、世界の中で堂々とした立派な態度を貫かなければならない」と強く信じていました。

ドゴールは、若い頃にニーチェという哲学者の影響を受けつつも反発し、厳しい修行僧のように自分のわがままを抑え込む強さを持っていました。

大統領になって国の一番の権力を握っても、決して贅沢をせず、質素な生活を続けた立派な人でした。

ドゴールは、アメリカのルーズベルト大統領やイギリスの首相のような強い国のリーダーに対しても、決して媚びへつらわず、対等な立場で堂々と振る舞いました。

アメリカの指導者たちは、ドゴールのことを「力がなくて貧しいくせに、態度だけは大きくて生意気なやつだ」と馬鹿にしました。

しかしドゴールは、「たとえ自分の国が今貧しくて力がなくても、気高さだけは絶対に失ってはいけない。無力だからこそ、高い誇りを持つのだ」と考えていたのです。

彼は、ただお金や利益を追い求めるだけのアメリカの考え方に反対し、ヨーロッパの古い文化と誇りを守ろうとした、とても詩的で哲学的な軍人でした。


ドゴールが考えた「自分の国は自分で守る」という大切なこと。

ドゴールが何よりも嫌い、そして最も危険だと考えていたのは、「強い国(アメリカなど)に守ってもらって、言うことを聞いていれば安全だ」という態度でした。

これを難しい言葉で「コラボレーショニズム(外国に協力して自分たちだけ助かろうとする考え方)」と言います。

ドゴールは、国の安全や外交を他国に丸投げしてしまうと、その国の国民は「自分たちで自分たちの国と運命を決める」という一番大切な責任感を失ってしまい、最後には精神的に空っぽの国になってしまうと見抜いていました。

だからドゴールは、アメリカが「私たちが核兵器(ものすごく恐ろしい爆弾)でフランスを守ってあげるから、あなたたちは武器を持たなくていいよ」と言っても、絶対に信じませんでした。

アメリカのケネディ大統領は、ドゴールに対して「私たちが核兵器を貸してあげますから、一緒に管理しましょう」と優しく提案してきました。

しかしドゴールは、「これはフランスが自分たちの力を持つことを邪魔するための罠だ」とすぐに見破り、その提案を蹴り飛ばしました。

「本当に恐ろしい戦争になったとき、アメリカが自分の国を犠牲にしてまで、遠く離れたフランスを守ってくれるはずがない。

自分の国を守るには、自分たち自身の力を持つしかない」と考えたのです。

核兵器というのは、何千発も持っている大きな国(アメリカやソ連)に対して、数が少なくても相手の都市を破壊できる力さえあれば、攻撃を防ぐことができるという特別な力を持っています。

これを「非対称的な抑止力」と言います。

ドゴールはこれを理解していたため、アメリカの反対を押し切ってフランス独自の核兵器を作り、アメリカの軍隊をフランスから追い出してしまいました。

さらに彼は、アメリカとソ連という二つの超大国だけが世界を支配する状態は不自然だと考えました。

たくさんの国がそれぞれの文化や歴史を大切にしながら、お互いにバランスをとる「多極化」という世界が一番自然で正しいのだと主張し、中国やロシアともうまく付き合おうとしたのです。

このドゴールの考え方は、戦争に負けた後ずっとアメリカに守ってもらい、自分たちで国を守る責任感を忘れてしまっている今の日本にとって、とても重要で耳の痛い教訓になります。

強い国に頼り切っている国は、本当の独立国とは言えないのです。


三人の天才から私たちが学べること。

ここまで、ビスマルク、タレーラン、ドゴールという歴史に残る三人の外交官について詳しく見てきました。

彼らは生きた時代も性格もバラバラでしたし、時にはズルいことや悪いこともしたかもしれません。

しかし、彼らに共通しているのは、自分の思い込みや好き嫌いの感情だけで動かず、「現実に何が起きているか」「どうすればパワー(力)のバランスが取れるか」をものすごく冷たく、そして正確に計算したということです。

国と国との関係は、警察や先生のような絶対的なルールや正義が存在しない「無政府状態」です。

だからこそ、ただ平和という理想ばかりを叫んでいても、国を守ることはできません。

自分の力でしっかりと立ち、冷静に状況を判断し、必要なときには相手と戦い、またある時には妥協する。

それが本当の「リアリズム外交(現実主義の外交)」なのです。

そして何より大切なのは、ドゴールが教えてくれたように「自分の国を自分で守り、自分たちの運命に責任を持つ」という誇りです。

もし、強い人にすべてをお任せして考えなくなってしまえば、いざという時に国は滅びてしまいます。

皆さんも、これから大人になっていくにつれて、世界には色々な国があり、色々な考え方や価値観があることを知るでしょう。

クラスや学校の人間関係でも同じです。

誰か一人が強すぎて、みんながその人の言いなりになっている状態は長続きしませんし、健全ではありません。

みんながバランスを取りながら、そして何より「自分のことは自分で考え、責任を持つ」という誇りを忘れないでください。

歴史上の大天才たちの生き方は、これから皆さんがどう生きるべきかという大きなヒントを教えてくれています。


★付録その1★音声考察★鉄血宰相ビスマルクの平和と破滅の均衡



★付録その2★大人向け論文★


リアリズム外交と国家の自立に関する考察

ビスマルク、タレーラン、ドゴールの外交思想を手がかりとして

要旨

本稿は、国際政治におけるリアリズム外交の考え方を、ビスマルク、タレーラン、ドゴールという三人の外交家の思想と行動を通して考察するものです。リアリズム外交とは、国と国との関係を理想や道徳だけでなく、実際の力関係、国益、安全保障、勢力均衡の視点から見る考え方です。国際社会には、国内社会のようにすべての国を強制的に従わせる世界政府や世界警察が存在しません。

そのため、強い国が自国の利益を広げようとした場合、それを止めるには、他の国々が力のつり合いを作る必要があります。

本書で取り上げられる三人は、それぞれ違う時代と状況に生きました。ビスマルクは、分裂していたドイツを統一し、その後は無理な戦争を避けてヨーロッパの均衡を保とうとしました。タレーランは、革命とナポレオン戦争後の混乱の中で、敗れたフランスを国際社会の中に復帰させようとしました。

ドゴールは、敗戦と占領によって自信を失ったフランスに、自立した国家としての誇りと判断力を取り戻させようとしました。

三人に共通するのは、単なる強硬論や理想論ではなく、自国の置かれた状況を冷静に見つめ、国際政治の現実の中でどう生き残るかを考えた点です。本稿では、彼らの外交から、現代日本が学ぶべき国家の自立、主体性、安全保障、そして国際社会を見る目について論じます。

序論

国際政治は、しばしば理想や正義の言葉で語られます。平和、人権、自由、民主主義、国際法といった言葉は、たしかに大切なものです。しかし、実際の国際社会では、それだけで戦争や侵略を止めることはできません。なぜなら、世界には国内の警察や裁判所のように、すべての国家を強制的に従わせる仕組みがないからです。ある国が力を持ち、他国を圧迫した場合、それを止められるのは、多くの場合、別の力です。

このような考え方を土台にしているのが、リアリズム外交です。リアリズム外交は、国際社会を甘く見ません。国と国との関係は、友情や善意だけで成り立つものではなく、軍事力、経済力、地理的条件、同盟関係、指導者の判断などによって大きく左右されると考えます。そして、一つの国が強くなりすぎると、他の国々はそれに対抗しようとします。この力のつり合いを、バランス・オブ・パワー、つまり勢力均衡と呼びます。

本書が注目するビスマルク、タレーラン、ドゴールは、この勢力均衡の考え方を実際の政治の中で用いた人物です。彼らは聖人ではありません。むしろ、矛盾を抱え、時には冷酷で、時には大胆な判断を下した政治家でした。しかし、彼らは国際政治の現実を深く理解していました。自国の力を過大評価せず、また他国の動きにも注意を払いながら、国家が生き残るための道を探しました。

本稿の目的は、三人の外交思想を整理し、そこから国家の自立と現実的な外交の意味を明らかにすることです。特に、戦後日本が抱えてきた対米依存、安全保障への不安、国際政治を見る力の弱さという問題にもつなげて考えます。

第一章 リアリズム外交の基本

リアリズム外交の出発点は、国際社会が無政府的な状態にあるという認識です。ここでいう無政府とは、秩序がまったくないという意味ではありません。各国の上に立って、すべての国を公平に取り締まる絶対的な政府が存在しない、という意味です。国際連合や国際法はありますが、強い国が本気でそれを無視した場合、必ず止められるとは限りません。

そのため、国家は最終的には自国の安全を自分で守らなければなりません。同盟国に助けを求めることはできますが、同盟国も自国の利益を第一に考えます。他国がいつでも無条件に助けてくれると考えるのは危険です。リアリズム外交は、この厳しい前提から出発します。

また、世界中の国々が同じ価値観を持っているわけではありません。宗教、歴史、文化、政治体制、国民感情は国によって大きく違います。ある国が自分たちの価値観を普遍的なものだと考え、それを他国に押しつけようとすると、国際政治は不安定になります。リアリズム外交は、価値観の違いを完全になくすことよりも、違いがある中で衝突を抑え、力の均衡を保つことを重視します。

ここで大切なのは、リアリズム外交は単なる好戦主義ではないという点です。現実を見ることは、すぐに戦争をすることではありません。むしろ、戦争を避けるために力の関係を冷静に見極めることです。必要なときには強い態度を取りますが、戦争をすればよいという単純な考えではありません。勝てる戦争であっても、長期的な国益にならないなら避けるべきだと考えるのが、成熟したリアリズム外交です。

第二章 ビスマルクの外交とドイツ統一

ビスマルクは、十九世紀後半のヨーロッパ外交を大きく変えた人物です。彼の最大の業績は、長い間ばらばらだったドイツ民族を統一し、ドイツ帝国を成立させたことです。それまでドイツ地域には、多くの小国や都市が存在していました。周辺の大国にとって、分裂したドイツは扱いやすい存在でした。しかし、ドイツ人にとっては、外国の干渉を受けやすく、弱い立場に置かれる原因でもありました。

ビスマルクは、プロイセンを中心にドイツ統一を進めました。その過程で、デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争を利用し、ドイツ統一の道を開きました。この時期のビスマルクは、きわめて大胆で攻撃的な政治家でした。必要なら軍事力を使い、外交上の駆け引きによって相手を追い込みました。このため、彼は鉄血宰相と呼ばれます。

しかし、ビスマルクの本当の重要性は、ドイツ統一後の変化にあります。彼は、統一を成し遂げた後、急に慎重な外交家へと変わりました。ドイツはすでにヨーロッパ大陸の最強国になっていました。もしそのまま拡張を続ければ、周辺国はドイツを恐れ、反ドイツ連合を作ることになります。ビスマルクはそれを深く理解していました。

そのため、彼はこれ以上の戦争や領土拡大を避けようとしました。ドイツに必要なのは、新しい征服ではなく、今ある地位を守ることだと考えたのです。ここに、ビスマルク外交の成熟した面があります。彼は戦争に勝つ能力を持っていましたが、戦争をやめる時期を知っていました。これは、単なる強硬派にはできない判断です。

ビスマルクは、フランス、ロシア、イギリス、オーストリア、イタリアなどの関係を複雑に調整し、ドイツ包囲網ができないように努めました。彼の外交は、まるで細い糸を何本も同時に操るようなものでした。少しでも力のつり合いが崩れれば、ヨーロッパ全体が戦争に向かう危険がありました。だからこそ、彼は勢力均衡を保つことに力を注ぎました。

明治期の日本は、このビスマルクから大きな影響を受けました。岩倉使節団の人々は、ビスマルクの助言に強い衝撃を受けました。彼は、日本が国際法や条約だけに頼っても、実力がなければ欧米列強から対等に扱われないと伝えました。この助言は、当時の日本にとって重要な意味を持ちました。日本は近代国家として力をつけ、独立を守らなければならないと考えるようになったからです。

しかし、日本が学んだのは、主に統一前の強硬なビスマルクでした。統一後のビスマルクが、戦争を避け、勢力均衡を重視したことは十分に理解されませんでした。その結果、日本は日露戦争後も拡張を続け、周辺国との均衡を壊していきました。ここに、日本がビスマルクから学びきれなかった大きな問題があります。

第三章 ドイツ問題と勢力均衡の難しさ

ビスマルクがドイツを統一したことは、ドイツ人にとっては大きな成功でした。しかし、ヨーロッパ全体から見ると、新しい問題の始まりでもありました。統一されたドイツは、人口、工業力、軍事力、教育水準の面で非常に強い国家になりました。あまりにも強い国家がヨーロッパの中央に現れたことで、周辺国は大きな不安を抱くようになりました。

これが、いわゆるドイツ問題です。強すぎるドイツをどう抑えるかという問題は、第一次世界大戦、第二次世界大戦、さらに戦後のヨーロッパ秩序にまで影響しました。統一前のドイツは弱く、周辺国に利用されやすい存在でした。しかし統一後のドイツは、逆に周辺国を圧迫しかねない存在になりました。

ここに、勢力均衡の難しさがあります。弱すぎる国は侵略されやすくなりますが、強すぎる国は周囲を不安にさせます。ビスマルクは、自分が作った強いドイツが将来、反ドイツ連合を生む危険を理解していました。だからこそ、彼は統一後に慎重な外交へ転じたのです。

しかし、ビスマルクが退いた後、ドイツの新しい指導者たちはこの慎重さを失いました。ドイツはイギリス、フランス、ロシアに対して挑戦的な態度を取り、結果としてビスマルクが恐れていた包囲網が現実になりました。その流れは、第一次世界大戦へとつながっていきます。

この点から見ると、ビスマルクの外交には二つの面があります。一つは、ドイツ統一という大きな成功です。もう一つは、統一されたドイツがヨーロッパの不安定要因になったという面です。ビスマルク自身はその危険を理解していましたが、彼の後継者たちは理解できませんでした。国家の力を増やすことと、その力をどう抑制して使うかは、まったく別の問題なのです。

第四章 タレーランの外交と敗戦国フランスの救済

タレーランは、ビスマルクとはまったく違う種類の外交家です。彼はフランス革命、ナポレオン時代、王政復古という激動の時代を生き抜きました。彼の人生は、裏切りや転身の連続でした。教会の人間でありながら教会財産の没収に関わり、革命に近づいたかと思えば、危険になると距離を置きました。ナポレオンに仕えながら、後にはナポレオンを見限りました。

そのため、タレーランは道徳的に立派な人物とは言いにくいです。しかし、外交家としては非常に優れていました。彼は、人間の欲望、政治の変化、国際社会の利害関係をよく理解していました。そして、敗北したフランスをどう守るかという点で、大きな役割を果たしました。

ナポレオン戦争後、フランスはヨーロッパ諸国から厳しく処罰される可能性がありました。長年の戦争によって、周辺国はフランスに大きな被害を受けていたからです。普通に考えれば、領土を奪われ、多額の賠償を求められても不思議ではありませんでした。

しかし、タレーランは巧みな理屈と交渉によって、フランスを単なる加害国として扱わせないようにしました。彼は、革命とナポレオンによって乱されたヨーロッパ秩序を、正統な王家の復帰によって回復するという考えを用いました。この考え方によって、フランスは完全に孤立することを避け、国際社会の中に復帰する道を得ました。

タレーランの外交の特徴は、敗北を単なる終わりにしなかったことです。敗戦国であっても、交渉の仕方によって国の損失を減らし、将来の立場を守ることができます。彼は、軍事力では負けたフランスを、外交の技術によって救おうとしました。

もちろん、タレーランの方法にはずるさもあります。彼は美しい理想を語りながら、実際にはフランスの国益を守るために動いていました。しかし、国際政治では、表向きの言葉と本当の目的が一致しないことは珍しくありません。タレーランは、その現実をよく知っていた人物でした。

この点で、タレーランはリアリズム外交の別の面を示しています。ビスマルクが力を使う時期と使わない時期を見極めた人物だとすれば、タレーランは敗北した状況でも、言葉、制度、正統性、交渉を使って国家を守った人物です。外交とは、軍事力だけではなく、相手に受け入れさせる理屈を作る力でもあるのです。

第五章 ドゴールの国家思想と自立の外交

ドゴールは、二十世紀のフランスを代表する政治家です。彼が向き合った最大の問題は、敗戦によって自信を失ったフランスを、もう一度自立した国家として立て直すことでした。フランスは、普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じて、ドイツの圧力に苦しみました。特に第二次世界大戦では、ナチス・ドイツに占領され、国家として深い屈辱を味わいました。

ドゴールは、この敗北感を克服しようとしました。彼にとって国家とは、ただ経済的に豊かであればよいものではありません。自分の運命を自分で決める意思を持たなければ、国家とは言えないのです。大国に守ってもらうことに慣れすぎると、その国は自分で判断する力を失います。ドゴールは、そのような状態を強く警戒しました。

彼は、アメリカとソ連による二極構造を自然なものとは考えませんでした。国際政治は長い目で見れば多極化し、複数の国家が互いに均衡を取りながら動く形に戻ると考えました。この考えは、冷戦後の世界を見るうえでも重要です。一つの超大国が世界を長く一方的に支配することは難しく、他の国々は必ずそれに対抗しようとします。

ドゴールは、フランスがアメリカに依存しすぎることを嫌いました。特に安全保障の分野では、自主的な判断力と抑止力を持つことを重視しました。彼にとって、自主防衛は単なる軍事政策ではありませんでした。それは、国家が精神的に独立しているかどうかを示す問題でもありました。

この考え方は、日本にとっても大きな意味を持ちます。戦後日本は、アメリカの保護のもとで安全保障を考えてきました。そのことによって得られた安定もあります。しかし、長く他国に依存すると、自国の安全や外交を自分で考える力が弱くなる危険があります。ドゴールの視点から見れば、国家が自分の運命を他国に任せきることは、知的にも精神的にも危うい状態です。

第六章 日本が学ぶべき教訓

本書全体を通して示されている重要な問題は、日本が真のリアリズム外交を十分に理解してこなかったという点です。戦後日本の外交論には、平和主義を強く掲げる立場、アメリカへの依存を当然とする立場、強い言葉で国防を語る立場などがありました。しかし、それらはいずれも、勢力均衡を冷静に考える本格的なリアリズム外交とはずれているとされています。

リアリズム外交は、単に軍備を増やせばよいという考えではありません。また、同盟国に頼れば安心だという考えでもありません。さらに、国際法や理想を唱えれば平和が守られるという考えでもありません。大切なのは、自国の力、周辺国の力、同盟国の本音、国際構造の変化を冷静に見つめることです。

ビスマルクから学ぶべきことは、力をつけることの重要性と、力を使いすぎない慎重さです。彼はドイツを統一するために大胆な行動を取りましたが、統一後は戦争を避けました。国家は力を持たなければ独立を守れません。しかし、力を持った後に拡張を続ければ、周囲の国々を敵に回します。力を持つことと、力を抑えて使うことの両方が必要です。

タレーランから学ぶべきことは、敗北や不利な状況でも外交によって国を守る方法があるということです。国際政治では、完全に正しい国や完全に悪い国という単純な分け方だけでは動きません。各国は自国の利益を考えています。その中で、自国に有利な理屈を作り、相手に受け入れさせる技術が必要です。

ドゴールから学ぶべきことは、国家の自立心です。他国の保護に慣れすぎると、自分で決める力が弱くなります。国家にとって安全保障とは、単に兵器や同盟の問題ではなく、国民と指導者が自分たちの未来を自分たちで考える姿勢の問題でもあります。日本が本当に独立した判断をするためには、現実を直視し、責任を引き受ける覚悟が必要です。

結論

ビスマルク、タレーラン、ドゴールの三人は、それぞれ性格も時代も大きく違います。しかし、三人に共通しているのは、国際政治をきれいごとだけで見なかったことです。彼らは、国家が生き残るためには、力、交渉、判断力、自立心が必要であることを理解していました。

ビスマルクは、分裂したドイツを統一し、その後は強くなりすぎたドイツが孤立しないように慎重な外交を行いました。彼は、戦争に勝つことだけでなく、戦争をやめることの重要性も知っていました。タレーランは、敗北したフランスを外交によって救い、国際社会の中に復帰させました。彼は、言葉と理屈と交渉が国家を守る武器になることを示しました。ドゴールは、敗戦によって自信を失ったフランスに、自分の運命を自分で決める国家としての誇りを取り戻させようとしました。

この三人の外交から分かるのは、リアリズム外交とは単なる冷たい考え方ではないということです。それは、国家と国民を守るために、現実を正面から見る姿勢です。理想を持つことは大切ですが、理想だけでは国を守れません。国際社会に世界政府が存在しない以上、国家は自分の安全と将来について、最後は自分で責任を持たなければなりません。

現代の日本に必要なのは、感情的な強硬論でも、他国任せの安心感でも、現実から目をそらす平和論でもありません。必要なのは、国際政治の力関係を理解し、自国の立場を冷静に判断し、必要な備えを行いながら、無用な対立を避ける知恵です。ビスマルク、タレーラン、ドゴールの外交思想は、そのための重要な手がかりになります。

国家が成熟するとは、ただ強くなることではありません。自分の力を知り、相手の力を知り、歴史の流れを読み、必要なときに行動し、必要でない戦いを避けることです。そして何より、自分の国の運命を他国に任せきりにしないことです。三人の外交家が示した教訓は、現代日本がこれからの国際社会を生き抜くためにも、深く考える価値のあるものです。

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