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雲南 ── 中国の中の「タイ」、西双版納へ(2)

ホテルに荷物を預け、昼食がてら街を散策した。
観光客向けのエリアだが、通りには熱帯雨林らしい街路樹が立ち並び、南国の気配が漂う。建物はどことなくタイを彷彿とさせるのだが、なんか違う。
ここは「中国のなかのタイ」なのだ。

思えば、なぜはるばるここまでやってきたかというと、タイを味わいたかったからだった。

当時は2021年。一足先にコロナ禍を経験した中国は、ウイルスの封じ込めに一時的に成功していた。
しかし海外旅行となると、戻ってくる際のビザの手続き(一度出国するとビザが無効になってしまう)や、帰国後の長い検疫を考えると、実質的に不可能だった。

中国に住んでいたので日本からすれば「すでに海外にいた」わけだが、生活の基盤が同じ場所であれば、人はまた別の異国に足を踏み入れたくなるのである。

そこで、いつか『地球の歩き方』で見かけた、異国感を味わえそうな西双版納に目をつけた、というわけだ。

雲南省は少数民族が多い。西双版納は、傣語では「シプソンパンナー」、漢語にすれば「十二千田(十二のまとまった田畑)」を意味し、古くは「勐泐((モンレー)」と呼ばれた。ここに暮らす傣族は、タイやラオスの文化に近い人々である。

傣族の主体は「傣仂(タイ・ルー)」と呼ばれる人々で、タイ人やラオス人、ミャンマーのシャン人と同じ“タイ系”の一族にあたる。ただ、言葉はバンコクの標準タイ語よりラオス語や北タイ語に近く、文字も独自のものを使う。

かつては景洪を都とする「シプソンパンナー」という小国の連合を持ち、上座部仏教を奉じてきた。中国やビルマに朝貢する半ば独立した存在として長く続き、正式に中国へ組み込まれたのは二十世紀になってからだ。

だから、傣族(タイ・ルー)はそのまま「タイ人」というわけではない。国境で切り分けられただけのタイ人、というより、両者は同じ“タイ系”という大きな一族から枝分かれした親戚どうしだ。

言うなれば、タイ人のほうも、その一族の一枝にすぎない。近いけれど、同じではない――その感じが、この街のしっくりこなさとどこか重なる。

気温は30度を超え、すっかり夏だ。最初に訪れた麗江は10度くらいまで下がったことを思い返すと、同じ国、同じ省とは思えない。

バー(酒吧)らしき飲食店が並ぶ一角を歩くが、閉まっている店が多く閑散としている。もしや、かなり残念なエリアなのではないか。一抹の不安がよぎりつつも、麺の店に立ち寄って腹ごしらえをする。しかしこの心配は、良くも悪くも裏切られることになる。

遅い昼食のあとは、散策しながらホテルへ戻る。タイ風の建物が並んでいるかと思いきや、内陸の熱帯雨林には違和感満載のリゾートホテルもそびえ立つ。

歩いていくと、仏塔も見えてきた。しかし近づいてみると、なんとも微妙である。東南アジアで見かける仏塔は年季が入っていて時間の重みを感じるけれど、ここの仏塔はどうもハリボテ感が否めない。

それもそのはず。この「景洪大金塔」は、2009年に建てられた新しい塔で、高さは66.6メートル。縁起のよい「六」を重ね、澜沧江(メコン川)が下流で結ぶ6か国を表す「一江連六国(1つの川が6つの国をつなぐ)」を象徴する、いわば観光のための文字どおりのランドマークなのだ。

まさに街そのものが「なんちゃってタイ」である(と言ったら現地の人に怒られそうだが)。

いったん宿に戻る。宿には広い庭があり、足湯のコーナーでほっと一息つく。しかも庭にはなぜか豚がいる。謎である。

リフレッシュして、ふたたび街へ繰り出す。告庄西双景の観光スポットの1つが、ナイトマーケットだ。宿のすぐ近くの通りから入っていける。

近くのリゾートホテルの敷地からゲートをくぐる。なんと、このナイトマーケットは入場料が必要だった。たしか1人あたり数元ほど。後にも先にも、ナイトマーケットでお金を取られたのは、ここだけのような気がする。

ゲートを抜けて進むと、いかにも中国らしい、煌びやかにライトアップされたホテルが目に入る。熱帯雨林の景観をぶち壊す、お城のようなリゾートホテル。まあ、夜だから景観も何もないのだけど。

ちなみに、目玉のように見える模様は、孔雀の羽を意識したデザインである。孔雀は傣族の文化を象徴する鳥で、この街ではあちこちでそのモチーフを見かける。

ホテルの先に広がるエリアには、SNS映えを意識した撮影スポットが点在している。広場の先に広がるのは昼に通りかかったハリボテ仏塔を中心にした屋台街だ。

この「星光夜市(湄公河・星光夜市)」は、大金塔を中心に無数の屋台が灯りをともす、西双版納でも指折りのナイトマーケットである。多くの中国人観光客で賑わっているが、外国人らしき人の姿はほとんどない。

ベビーカーを押しながら歩いたが、人が多すぎて前に進めないこともあった。賑わっているけれど、歩くと次第に既視感を覚える。さっき通った店と同じような食べ物が並ぶのだ。

なんていうか、人がいるのが当たり前だからか、創意工夫して売り上げを伸ばそう、みたいな競争心が感じられない。多分、胴元は一つなんだろう。

ちなみに、ミャンマーやラオス、タイといった東南アジアの国々では、仏塔は寺院の敷地内にあることが多い。そもそも人々の生活に根付いた場所である。観光客向けに整備された寺院は簡素な売店こそあるものの、一定の神聖さは保たれている。

しかし、ここで目にする仏塔は、もはや観光のためのランドマークだ。

タイ的なものを求めて訪れると、「雰囲気だけ」の街にがっかりするかもしれない。しかし、「中国ナイズされた東南アジア」と捉えるなら、これはこれで違った趣がある。

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