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父の面影を探して ― 天草のストーリー作りの裏側で紡がれた、ある「のさり」の物語

「父は、天草の教会にいたことがあるらしい」
それが、今回の旅の、唯一の手がかりでした。

「亡くなった父の足跡を辿りたい」そんな願いを胸に天草を訪れたのは、アイルランドにルーツをもつひとりの男性。偶然にも彼は、仕事を通じて天草西海岸と関わりを持ち、「天草西海岸インタープリテーション全体計画」を通じて、この地を訪れることになりました。

男性が「父の手がかり」として持参した、モノクロ写真

事務局メンバーで話を聞くうち、「もしかすると赴任先は、大江教会か﨑津教会ではないかしら?」そんな仮説が浮かびました。そこで、「大江教会」の信徒会の方々に相談し、信徒会館に所蔵されていた過去のアルバムを見せていただくことになりました。

大江教会の信徒会館に保管されていたアルバムの数々

アルバムの中にいたのは、たしかに「父」だった

何冊もの古いアルバムを、みんなで囲むようにして、静かにめくっていく時間がどのくらいつづいたでしょうか。信徒会のメンバーがおもむろに手をとめ、アルバムの写真と、男性が持参した写真を見比べはじめました。

アルバムの中にあったのは、今から50年以上前、大江教会と﨑津教会が合同で行った「聖体行列」と「聖体海上パレード」の記録写真です。

昭和40年代に行われたという、聖体行列の風景(大江漁港)

行列の先頭に立つ、一人の神父。

「・・・これって、もしかして?」

信徒会のメンバーが尋ねると、男性は少し間をおいて、「おそらく、そうだと思います」と答えました。一瞬、みんなが言葉を失い、そして歓喜に包まれました。写真に写っていたアイルランド系の神父こそ、彼の父だったのです。

昭和40年代に行われたという、聖体行列の風景(﨑津集落)


アイルランドから、天草へ。めぐる人生の道筋

かつてのアイルランドでは、神学校が、学びを志す若者にとってごく一般的な進路のひとつだったそう。そこで学びを深め、神父となった父は、アイルランド系神父団の一員として来日し、やがて天草の地と縁を結ぶことになります。

1960年代、天草の「大江教会」で神父として奉仕した父はその後、菊池を経て、東京へと赴任。やがて神父を辞し、日本人女性と出会い、家庭を持ちます。息子が3歳のときに亡くなった父の記憶は、ほとんど語られることのないまま、時を経ていました。

それでも、父がかつて過ごした天草の地に、息子がこうして辿り着いたこと。それ自体が、どこか導かれているようにも感じられるのです。

かつて、男性の父が奉仕した「大江教会」

天草の言葉、「のさり」

天草には、「のさり」という言葉があります。

よいことも、そうでないことも、
すべては神からの授かりもの。

そんな意味を意味する言葉です。

偶然に重なった出会い、残されていた一冊のアルバム、人と人とのつながり。この出来事もまた、ひとつの「のさり」だったのかもしれません。

「大江教会」の御堂から見えたのは、「父」がいた頃とほぼ変わらない農漁村の風景

天草西海岸インタープリテーションが生んだ、ひとつの物語

この出来事は、「天草西海岸インタープリテーション」のストーリーづくりワークショップの過程で生まれました。一見すると、「ある家族のファミリーストーリー」のようにも思えますが、

「土地に残る記憶」
「さまざまな困難を経て育まれた祈りの歴史」
「人と人とのつながり」
「時空を越えて、再び結ばれる縁」

それらすべてが重なり合い、紡がれた、天草西海岸という土地そのものの物語ともいえるでしょう。そして今日もまた、誰かの物語が、静かにこの地で刻まれていくのかもしれません。


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