[大学院]大学院で実験する、とは?
ご覧になっていただきありがとうございます!あむです。
今回は東大脳の無駄遣い第二弾として、実験(主に細胞などを使った生化学実験)について考えてみたいと思います。超マニアックなトピックです。
かつて「渋谷で5時」が流行ったように、大学院生は「ラボで実験」というキーワードを何万回も口にし、耳にすることでしょう。でも、そのラボでやっている実験って、一体何をやっているのでしょうか?
実験を通してやりたいこととは?
実験とはなんぞや?何が目的でこんなことをしているのかというと、答えはBUMP OF CHICKENが言っているように、「見えないものを見ようと」する行為なのではないかと、個人的に思うわけです。
僕らが扱うものはとにかく小さい。細胞サイズなら光学顕微鏡で見れますが、DNAやRNAといった核酸や、タンパク質、ウイルスともなると目では見えないわけです。よもや望遠鏡では役に立ちません🤣でも、これら核酸やタンパク質の挙動の変化が細胞の状態に影響し、ひいては組織、臓器、個体の様子を決定するのです。
核酸やタンパク質の挙動の変化、例えば量や質の変化がわかれば、私たちの身体の中で起こる様々なイベントのメカニズムが解明できることがあるわけで、つまり私たちはそう言ったものの挙動を“見”たいわけです。
では、目に見えないものを見るためには一体どうすれば良いのでしょうか?
目では見えないものを見る
ちょっと考えてみてくださいよ。目で見えないくらい小さいものをどうやって可視化できますか?
前提として、直接見るのは不可能です。電子顕微鏡ですら対象物に電子線を当てたときに得られた物理情報を画像に再構成しているのであって、直接そのものを見ているわけじゃない。自分がタンパク分子くらい小さくなれれば、直接見ることができるかもしれませんが笑。
じゃぁどうやっているかというと(あまり専門的になると逆にわかりにくいのでかなりざっくりいうと)、タンパク質を光らせてその光を見るんですよ。例えば見たいタンパク質にだけくっつく物質を用意して、これが光るようにしておく。するとその物質がタンパク質にくっついて、同時に光を出すことでその存在が私たちの目に光として見えてくるわけです。核酸の場合も、核酸の中にシグナルを発する分子を取り込ませて、そのシグナルを見たりします。
我々研究者は客観的でなければならない
研究者は独自の視点やアイデアで独創的な研究をします。そう言った点では主観的というか、オリジナリティがあるわけですが、実験データに関すること(取得、解析、解釈)については、極限まで客観的でいないといけないのです。
そういう意味で、上の議論を引き合いに出せば、ウエスタンでバンドが出て、任意の処理でもってバンドが薄くなったとして、「タンパクが減った」と言い切っている研究者の多いことよ。あなたが見ているのはタンパク質そのものじゃなくて、抗体の先に着いた酵素が基質を分解した時に出す光であり、励起光を浴びて出す蛍光なのです。
だからより正確には「シグナルが減弱した」程度で留めておかないと、それはもう本質を知らないと思われるかもしれません。
究極的には上で書いたような内容なのですが、とはいえ実際のところはタンパク質の挙動の変化と、光のようなシグナルの変化が対応していると前提すれば全てが上手く説明できます。だからシグナルの大小をタンパク質の増減と一対一対応させることがしばしばあります。僕自身もまぁそれでいいんじゃない?と思いますし、上で書いたようなことを理解してさえいれば、普段はタンパク質が減った増えたと言っても差し支えないと思います。
研究って、結局見えないくらい小さいものを間接的に捉えているのではないかと。そこに直接性があるのか?アーチファクトを見ているのでは?コントロールを置いても限りなく真実に近づくだけであって、真実そのものでは無い。医学・生物学界隈では、この99%正しそうというのを、一旦真実としましょう、とコンセンサスをとっているに過ぎないのではないか、と思うのです。
エピローグ
ここまで読んでいただきありがとうございました!
もっというと、岡嶋二人の小説「クラインの壷」に、「今自分がみている景色は本当にそこにあるのか?何者かに見されられた、或いは見た気にさせられているだけなのではないか?」という疑念を抱いた主人公がいるように、物体を見るということ自体が光を目で検出して脳で処理して認知しているわけで、そこに本当にそのものがあるか、直接的な確証なんてありませんよね?
そういうことを極限まで問い続けて、すべての存在を疑った結果、哲学者デカルトは最後の最後に自身の存在だけは疑えないことに行きつき、「我思う、故に我あり」という言葉を残したわけです。
その「我」も本人が自認しただけで、他者から観察できない限り存在を証明できたわけではないと思んですけど🤔まぁここは専門外なので詳しいひと解説求むということで。
今回は生化学実験について、そこで見ているものは何か?を考えてみたのですが、ちょっとマニアックすぎました。もう書いちゃったので投稿しますが、これはなんとも…うーん。ダイエット企画みたいな内容の方が読みやすいけど、、こういうの考えるの好きなんですよね。違う角度から見たなんていうと聞こえが良いですが、穿った見方や斜に構えた感じが東大っぽいかも、と自分でも思いました(普段は素直なんですよ🤣)。
私が大学院時代お世話になった教授も、「誰もが見れるものを見て、誰もが思い付かないものを見出す」と言っていました。その習慣が染み付いているのかも。
ではまた。

