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特攻碑公園~カミカゼに祈る丘


真珠湾攻撃の実像

出水基地を宿舎として予行訓練を積んだ隊は11月26日、空母「蒼龍」「飛龍」に乗り込み、
ハワイへ向けて出発。
12月8日、真珠湾に奇襲攻撃。
 
碇泊していた戦艦8隻中7隻撃破。
飛行場6ヶ所を襲撃、355機中231機撃破。
死者2402人(内、一般市民68人)。
負傷者1382人(内、一般市民35人)。
日本の国力としては大戦果です。
 
ただし、軍艦・飛行機の破壊に重点を置き
すぎて、修理工場や石油タンクは破壊されずに残された。
 
想定外なのは、米空母2隻が外出中で行方
がわからないことでした。
南雲忠一司令は反撃を恐れて第二次攻撃を
せず帰路についてしまった。

大事な前提として、真珠湾基地が機能停止したワケでは全くなかったのです。
破壊された戦艦7隻の内4隻は引き揚げられて修理され、戦争中に再就航していたのです。
 
真珠湾攻撃は、宣戦布告無しの不意打ちでした。
この時のアメリカの反感は、そのままずっと
"アメリカ人の対日感情"に残り続けてます。
「こいつらは何をやってもいい相手」だと。
 
真珠湾攻撃は、作戦単体としてはまぁまぁ成功でした。
しかし歴史という観点では大きな過ちだったのです。
 
 

地下壕の遺構

特攻碑公園の紹介を続けます。
ここは海軍出水航空基地の跡地で、当時の
遺構が4つ残されています。

一つが、空爆で焼け残ったこの衛兵塔。

2つ目が、地下壕です。
4つあった入り口の内、2つは空爆で潰れ
ましたが、あとの2つは残って、中に入る
ことができます。

ここは東側の入り口です。

ここが2つの入り口の中間であり、最深部
です。
造る方はこれだけでも大変でしょうけど、
それほど広くはありません。
有事の際に基地の全員がここに避難するの
は不可能だと思います。

右は「銀河」の外装パーツ
左は練習機の尾翼の骨組み

西側入り口から出ます。

現在は住宅地で、その向こうがゴルフ場に
なってますが、どちらもかつては出水基地
の敷地でした。
 
 

慰霊碑の丘

国力の劣る日本にとって、勝機は短期決戦
でアメリカの戦意をくじくしかない。
しかし結局は失敗し、1944年10月レイテ沖
海戦をもって連合艦隊は事実上壊滅。
 
もう勝ち目が無いことは明らか。
それでも東京で惰眠を貪っている大本営は
「停戦を試みるのは、どこかで1回勝ったら」
とゲーム感覚だった。
 
戦力をほぼ失った海軍が「何とか1回勝つ」為に始めた狂気の攻撃が、[特攻]。
爆弾を積んだ戦闘機を体当たりさせる自爆
攻撃でした。

「神風特別攻撃隊菊水銀河隊。」
「昭和20年3月18日、特攻戦死。」
「海軍航空出水基地特攻隊銀河隊出撃之地」

慰霊碑がいくつも建てられています。
この出水基地からも200人以上の特攻隊員
が出撃し、沖縄近海の米軍艦に突っ込んで
死んでいったのです。
 
しかしこの行為自体、日本海軍が戦争継続
能力を無くした証拠。
勝利を目前にした米軍がこんなことで勝ちを譲ってなどくれない。
 
当初は米軍を驚愕させた特攻でしたが、数
を重ねるにしたがって慣れてゆき、特攻機
は至近で撃破されて命中しなくなりました。 

「出水海軍航空隊無名戦士之碑」

敗戦の年の6月になると大本営は本土決戦
を正式決定。
特攻をする資源すら勿体なくなり、中止になりました。
何の意味も無い人命の損耗だったのです。

殉職した特攻隊員の名前がびっしりと書き込まれています。
 
この碑すら、氷山の一角にすぎません。
他の基地も含む特攻隊員の総数は約4千人
一体誰が責任をとれるのでしょうか?
 
特攻の考案者、大西瀧治郎中将は玉音放送
の翌日に切腹(文字通り)しました。
バカ1人の切腹など後の血祭り、何の慰めにもなりません。

現代の日本は、民主主義社会です。
数年に一度、選挙で為政者を選びます。
私たちは考えなくてはなりません。
その候補者は、戦争というものを真面目に
考えているか。
先の戦争にきちんと向き合っているか。
 
 

特攻神社

特攻碑公園の北東の十字路を挟んだ反対側
に、[特攻神社]というストレートな名前の
神社があります。

その名の通り、特攻の殉職者達を祀る神社です。

実際の特攻隊員は、こんな勇ましい立ち振舞いだったのだろうか…?
 
実は、この神社を建立したのは、前の記事で
紹介した箱﨑八幡神社の宮司です。
 
特攻は、まだ20・30代の若者の人生の幕引きとしては最悪です。
その特攻隊員を専門に冥福を祈る場を造るというのは意義があります。
 
ただ、何か特攻を美談化しているような…

ともあれ、彼らに祈らねばならないことには変わりはありません。
静かに手を合わせます………
 
残念なことに、見えた限りでは、参拝者は
私1人だけでした。
特攻碑公園もこの日は私以外には5人しかいなかった…
 
 

死出の滑走路

特攻碑公園の西のゴルフ場を北に回ります。

ここが、出水航空基地の3つ目の遺構です。

ん?
ただの道路じゃないかって?

「今」は、ただの生活道路です。
しかしちょっと雰囲気が違います。
全くブレずに真っ直ぐ、長く延びている。

この道は、元々出水基地の滑走路だったのです。

最重要の道路なので、丈夫に造られていたのでしょうか?
補修されてそのまま生活道路として使われています。
周囲は現在、工場地帯です。

出水基地は、真珠湾攻撃予行訓練の宿舎。
この道から錦江湾へ飛び立って、本番でも
空母[蒼龍][飛龍]が待つ単冠湾へこの道から
飛び立ったのですね。

滑走路北より出水基地方面を振り返る

その3年3ヶ月後には、200機以上の特攻機
がこの道から飛び立ち、旋回して南の海の
米艦隊へ向かって行った………
 
 
出水基地の遺構その4は、次回に跨ぎます。