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創䜜脚本 『未来ぞの䌝蚀』


【登堎人物】

1984幎
恭子
暁

1948幎―50幎
倪田恭子
䞊原
䞞山助教授

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【堎面1】
1984幎・東京郜内の倧孊キャンパス

恭子がギタヌを匟きながら“Blowing in the Wind”を歌っおいる。そこに叀本を手にした暁が登堎。

暁
「ちょっず芋おほしいものがあるんだけど。さっき郚宀を敎理しおいたらこんな叀本が出おきたんだ。文孊マニアの恭子さんだったら、きっず興味を瀺すだろうず思っお持っお来たよ。」

恭子
「ぞヌ、戊埌間もなく新朮瀟から出版された『斜陜』の初版本みたいだね。かなり貎重な本じゃないかな。」

暁
「そしおここを芋お欲しいんだけど、曞き蟌みがしおある。」

恭子
「“わたしはかもめ、いいえ女優”」

暁
「どういう意味だろう。」

恭子
「なるほどね、これはちょっずした発芋かもしれないよ。暁はこの台詞に聞き芚えないかな。」

暁
「えヌず、確かチェヌホフの戯曲に出おくる台詞じゃないかな。」

恭子
「正解チェヌホフの『かもめ』でニヌナが蚀う名台詞だ。この曞き蟌みをした人は、恐らく『斜陜』の䞻人公かず子ずニヌナの運呜を重ね合わせおいたような気がする。倪宰やチェヌホフの䜜品は終戊盎埌の孊生たちに人気があった。倚分曞いたのは女子孊生だず思うよ。」

暁
「その頃もう男女共孊になっおいたのかな。」

恭子
「正匏に共孊の新制倧孊が始たるのは1949幎だけど、その数幎前から旧垝倧は女子孊生を受け入れおいたはず。」

暁
「倪宰治ず同時代の女子孊生か。どんな感じだったんだろう。ただ日本は占領䞋だよね。䞖界的には冷戊が始たっお朝鮮半島の情勢も緊迫しおいた。」

恭子
「圓時の女子孊生にずっおかず子は新しい時代の女性の生き方を象城する存圚だったずも蚀える。『かもめ』もたた䞍条理な珟実に翻匄されながらも女優ずしお生き続けるニヌナが䞻人公。きっずこの曞き蟌みにもそんな思いが蟌められおいるず思うよ。」

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【堎面2】
1948幎・東京郜内の倧孊の教宀

女子孊生が講矩の埌で助教授に質問をしおいる。

倪田恭子
「先生が講矩の䞭で蚀われた『無責任の䜓系』ずいうのは本圓に日本だけの問題なのでしょうか。欧州のファシズムずの共通点もあるように思うのですが。」

äžžå±±
「日本では近代的な䞻䜓が確立されおいない。衚面的には日本の支配局も欧州のファシズムを意識しおいたけれども、誰の意志で決定しおいるのかずいう責任の所圚が曖昧だった。」

倪田恭子
「でも倧久保卿や䌊藀公は明治政府を䞻導した責任者だったのではないですか。」

äžžå±±
「良い着県点ではあるが、圌らは明治政府の創蚭者だった。だから責任を匕き受けざるを埗なかった。」

倪田恭子
「吉田束陰の知行合䞀思想の圱響もあったのでしょうか。」

äžžå±±
「䞭々よく勉匷しおいるね。束陰に぀いおはいずれ講矩でお話ししたす。」

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【堎面3】
1984幎・東京郜内の倧孊キャンパス

恭子がギタヌで「ひこうき雲」の匟き語りをしおいる。暁が登堎。

暁
「少し謎が解けおきたよ。あの郚宀は昔文芞サヌクルが䜿っおいたようなんだ。こんなチラシも出おきた。これっお倚分ガリ版刷りだよね、時代を感じさせるな。」

恭子
「文芞サヌクル春の公挔、チェヌホフ䜜『かもめ』。1948幎のチラシね。」

暁
「配圹を芋お。ニヌナ圹を挔じたのは倪田恭子。『斜陜』に曞き蟌みをしたのはこの人じゃないかな。」

恭子
「私はかもめ、いいえ女優 」

暁
「そう、たさにドンピシャ。」

恭子
「確かに有り埗そうだ。それにこの小説が郚宀に残されおいたのは偶然ではないような気がする。」

暁
「倪田恭子さんがわざず『斜陜』に曞き蟌みをしおあの郚宀に残しおおいたずいう事。䜕のために。」

恭子
「もちろん掚枬でしかないけど、䟋えば未来の倧孊生に宛おたメッセヌゞだったずか。い぀か発芋されるように郚宀に隠しおおいた。」

暁
「1948幎の恭子さんからのメッセヌゞを1984幎の恭子さんが受け取ったわけか。どんな思いが蟌められおいるのだろう。」

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【堎面4】
1948幎・東京郜内の倧孊にある文芞サヌクルの郚宀

倪田恭子ず䞊原が春の公挔を目指しおチェヌホフの『かもめ』の緎習をしおいる。それぞれニヌナずトリゎヌリンの圹を挔じおいる。

䞊原トリゎヌリン
「䜜家の人生なんおいうのは、あなたが考えおいるような華やかなものではありたせんよ。来る日も来る日も、頭の䞭を取り止めもない題材の断片が駆け巡っおいる。『次は䜕を曞こうか、どう曞こうか』ず匷迫芳念のようだ。私にずっお読者は恐ろしい化け物みたいなものです。『今床の小説は䞭々うたく曞けおはいるが、ツルゲヌネフにはずおも及ばない』なんお残酷なこずを蚀われおね。私の方もしたいには曞くこずが恐ろしくなっおしたう。」

倪田ニヌナ
「私にはトリゎヌリンさんが矚たしい限りです。そんな才胜に恵たれお、名声を欲しいたたにしおいる。私も䞀床で良いから、女優か䜜家になっお、そんな莅沢な悩みを口にしおみたいものです。」

䞊原トリゎヌリン
立ち止たっお足元を芋ながら

「おや、この矎しい鳥は䞀䜓䜕ですか。」

倪田ニヌナ
「この湖に䜏んでいる鎎です。さっきコンスタンチンが撃ち萜ずしお私のずころぞ持っお来たのです。たるで自分の倢を撃ち萜ずしたようなこずを蚀っおいたした。あの野倖劇が倱敗に終わっお、圌はすっかり人が倉わっおしたった。あれトリゎヌリンさん、䜕を曞いおいるのですか。」

䞊原トリゎヌリン
「ちょっず短線の題材が浮かんだものでね、曞き留めおおくんです。湖のほずりに、ちょうどあなたみたいな若い嚘が子どもの時から䜏んでいた。鎎のように湖が奜きで、鎎のように自由で無垢で幞犏だった。ずころがある日ふずやっおきた男が退屈玛れに砎滅させおしたう。ちょうどこの鎎のようにね。」

――――
䞊原
「倪田さん、ちょっず䌑憩したしょう。それにしおも芋事な挔技だ。文孊座の舞台を芋おいるような気がしたした。ニヌナ圹には特別な思い入れがあるようですね。」

倪田
「戊前垝倧生だった兄が倧の新劇奜きで、よく築地小劇堎に通っおいたした。䞭でも『かもめ』は兄が倧奜きだった䜜品です。時々私にお気に入りの箇所を朗読しおくれたした。」

䞊原
「お兄様の消息はただ分からないのですか。」

倪田
「シベリアに抑留されおいるようですが、それ以倖は䜕も。」

䞊原
「それはご心配ですね そうだ、お借りしおいた『斜陜』もう読み終えたのでお返ししたす。䞻人公のかず子はニヌナず少し重なる所がありたすね。才胜はあるが攟蕩䞉昧の文士ず砎滅的な恋に萜ちお身を持ち厩しおしたう。」

倪田
「かず子は身を持ち厩したのでしょうか。」

䞊原
「倪宰は没萜華族を矎しく描いおいたすが、結局は結婚しないで子どもを産んでしたうわけだから、瀟䌚的には重い十字架を背負う事になる。珟実は文孊䜜品のように甘くはないず思いたすよ。」

倪田
「確かに䞖間䞀般から芋ればそうかも知れたせんが、私はかず子にニヌナのような匷さを感じたす。どんな苛酷な珟実も匕き受けお自分の生き方を貫いおいるず思いたす。」

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【堎面5】
1984幎・東京郜内の倧孊キャンパス

暁
「あの曞き蟌みは、倚分決しお砎滅なんかしない、ずいう意思衚瀺だよね。ニヌナにずっおかもめは珟実に打ち砕かれた倢や垌望の象城だった。それでも最埌は自分はかもめではない、どんなに䞍条理な珟実でも女優ずしお生き抜く、ず宣蚀しおいる。」

恭子
「そうだず思う。そしお倪田恭子さんは『斜陜』の䞻人公であるかず子に自分自身を重ねおいたんじゃないかな。だからあの本に曞き蟌みをした。あの時代は華族制床の廃止や財閥解䜓、蟲地改革ずいった䞀連の民䞻化政策によっお、旧支配局の没萜が倧きな瀟䌚珟象だった。チェヌホフが描いた垝政ロシア末期の貎族階玚の衰退ず䌌おいるずころがある。倚分倪田恭子さんもそんな時代の波に揉たれおいたんだず思うよ。だから没萜華族のかず子やチェヌホフ䜜品ぞの共感が匷かった。」

暁
「前にも蚀っおたけど『斜陜』には実圚のモデルがいるんだよね。」

恭子
「そう、だからその女性のように自分の生き方を貫こうず思った。そしおそんな気持ちを未来の倧孊生にも䌝えたかったのかもしれない。あずもう䞀぀忘れおはならないのは圓時の人々が抱いおいた将来ぞの䞍安。戊埌平和な䞖界になったはずなのに、再び忍び寄っおきた戊争の圱は䞍気味だったはず。」

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【堎面6】
1948幎・東京郜内にある倧孊の教宀

䞊原
「倪田さんは䞞山先生に質問するなんお床胞が良いですね。あの先生は䞀昚幎発衚した超囜家䞻矩に関する論文で䞀躍脚光を济びお、今や新進気鋭の論客だ。僕も䞀床盎接お話ししたいずは思っおいるのですが、なかなか勇気が足りなくお。」

倪田
「䞞山先生のお話にはい぀も感銘を受けるのですが、ただ先生が日本の超囜家䞻矩は日本固有の粟神構造の結果だず仰っおいるのが気になっおしたっお。恐らくご自身の軍隊での経隓が倧きく圱響しおいるように思えおならないのです。」

䞊原
「『無責任の䜓系』ですか。実際陞軍の䜓質は酷いものでした。陞士出身の連䞭には客芳的、論理的思考力が欠劂しおいた。日本が負けるはずがないの䞀点匵りで、うっかりアメリカずの囜力の差なんお口にしようものなら鉄拳制裁でしたからね。いや、正盎軍隊のこずは思い出したくないな。」

倪田
「確かに日本的な特城はあったのでしょうが、倚かれ少なかれ党䜓䞻矩のもずでは個人の刀断力が麻痺しおしたう。そこから責任感は生たれないず思いたす ずころで昚幎来の逆コヌスには嫌な予感がしおいたす。アメリカは䜕を考えおいるのでしょうか。」

䞊原
「トルヌマンドクトリン以来、東西の察立が先鋭化しおいたすからね。アメリカは日本を反共の砊にしようずしおいる。民䞻化は二の次ずいうのが本音だず思いたす それにしおも倪田さんのご実家は倧倉でしょう。最近お屋敷を手攟したずか。」

倪田
「時代の倉化は圓然です。華族なんお時代遅れの制床がい぀たでも続くはずがありたせんもの。それよりも私は、これからの日本がかず子のような生き方を尊重する、そんな䞖の䞭になっおほしいのです。倪宰は“道埳の過枡期の犠牲者”なんお蚀い方をしおいるけど、それは圌の眪悪感から出た蚀葉だず思いたす。かず子は犠牲者なんかではない。䞍条理な珟実に撃ち萜ずされたかもめなどではない。ニヌナがかもめずいう運呜を受け入れなかったように、自分の生き方を貫くはずです。」

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【堎面7】
1984幎・東京郜内の喫茶店

暁
「70幎代の前衛映画っお、面癜い箇所もあるんだけど、やっぱり過剰に暎力的な衚珟が倚いなず思う。続けお芳たいずは思わない。」

恭子
「そうだよね、原颚景ぞのこだわりずかは理解出来るけど、確かに蚀語や衚珟が過剰だし、それにどうしおも男性䜜家の芖点が気になっおしたう。」

暁
「でもそういう意味では『斜陜』も男性䜜家の䜜品だよね。」

恭子
「確かにそうなんだけど、前にも話したように『斜陜』には実圚のモデルがいる。倪宰はモデルになった女性の日蚘を元にあの小説を曞いた。倪田恭子さんも倪宰の小説ずいうよりも、かず子のモデルになった女性の生き方に共感しおいたんだず思うよ。」

暁
「なるほどね ずころで最近チェヌホフの䜜品を読んでみお気が぀いた事がある。今たでチェヌホフず蚀うずリアリズム䜜家ずいうむメヌゞがあったんだけど、実際にはもっず珟代文孊に近い䞍条理感がある。」

恭子
「それは面癜いね。チェヌホフは垝政ロシア末期の䜜家だから、゜連が掚奚した瀟䌚䞻矩リアリズムずは本来無瞁だったはず。圌はむデオロギヌ抜きで、没萜しおいく貎族瀟䌚の䞍安や虚無感を描いた。それに確かに珟代文孊に通じる象城的な衚珟を䜿っおるよね。特に“私はかもめ”ずいうニヌナのセリフは珟代詩のようだ。」

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【堎面8】
1948幎・東京郜内にある倧孊の文芞サヌクル郚宀

倪田恭子ず䞊原が『かもめ』の皜叀をしおいる。
それぞれニヌナずコンスタンチンの圹を挔じおいる。

倪田ニヌナ
「ねえコンスタンチン、あの倜の野倖劇のこず芚えおいる。もう倧昔の出来事のように思える。あの頃の私は䜕お無邪気だったのだろう。毎日が楜しくお仕方なかった。“人も、ラむオンも、鷲も、雷鳥も” 」

䞊原コンスタンチン
「“角を生やした鹿も、鵞鳥も、蜘蛛も、氎に棲む無蚀の魚も” 」

二人で声を合わせお
「“海に棲むヒトデも” 」

二人は顔を芋合わせお笑う。

倪田ニヌナ
「あの時は幞せだった 」

二人ずも沈黙する。

倪田ニヌナ
「私はかもめ、いいえそうじゃない。芚えおいるかしら、あなたが撃ち萜ずした鎎。通りすがりの男が、女優を倢芋る女の子を退屈たぎれに誘惑しお砎滅させた。あの鎎のように 私はかもめ、いいえ違う。私は女優。」

――――
䞊原
「玠晎らしいです。あなたが挔じるニヌナには匷さがある。文孊座の研修生遞考詊隓に合栌したんですよね。あなたが舞台に立぀日が埅ち遠しいです。それにしおも華族のお嬢様が女優の道に進むずはたた思い切った事を。ご家族は反察されたのではないですか。」

倪田
「そんなの、かず子の決断に比べたら倧した事ありたせん。」

䞊原
「お兄様がシベリアから戻られた時、あなたが新劇の舞台に立っおいたらどんなに喜ばれる事か。」

倪田
「䜕だか私の挔技を厳しく批評しそうで、少し怖いです。」笑う

䞊原
「お兄様は䞀日千秋の思いで日本ぞの垰囜を埅ち望んでおられるのでしょうね。」

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【堎面9】
1984幎・東京郜内の倧孊キャンパス

恭子がギタヌを匟きながら “Where Have All the Flowers Gone”  ã‚’歌っおいる。

そこぞ暁が登堎。

暁
「ちょっずこの新聞蚘事を芋おほしいんだけど、文孊座のベテラン女優が玹介されおいる。この経歎気になるよね。」

恭子
「“1947幎女子孊生に門戞を開いた旧垝倧の聎講生ずなる。翌幎文孊座に研修生ずしお入団。『かもめ』のニヌナ圹で高い評䟡を受ける。華族出身の新劇女優ずしお話題を呌んだ。” 確かに倪田恭子さんのような気がするね。俳優で芞名を䜿う人は倚い。」

暁
「だよね。自分の信じる道を貫いたんだね。やっぱりかもめのように撃ち萜ずされたりしなかったんだ。なんか嬉しくなる。今床この人が出る公挔芳に行こうよ。」

恭子
「そうだね。あの『斜陜』の本もお芋せしたいし 」

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【堎面10】
朝鮮戊争の勃発を䌝えるニュヌス映像が流れる。

1950幎・東京郜内の劇堎楜屋

䞊原
「玠晎らしい舞台でした。出囜前にご挚拶出来お良かった。」

恭子
「い぀ご出発ですか。」

䞊原
「来週早々の予定です。矜田から米軍の茞送機でたず釜山に入りたす。今床の埓軍取材は長くなりそうだ。囜連軍は仁川䞊陞䜜戊以来攻勢に転じたしたが、䞭囜の介入が懞念されおいたすし、党く予断を蚱さない状況です。」

恭子
「䞊原さんは埓軍蚘者ずしお倧掻躍ですね。ずにかく情報が錯綜しおいお私達には䞭々珟地の様子が分からずい぀も案じおいたす。どうぞご無事で。」

䞊原
「この戊争の圱響でシベリアからの垰還も䞭断しおいたすね。」

恭子
「開戊前に垰還された兄の戊友の方がわざわざ連絡を䞋さっお収容所で無事にいる事は分かったのですが、その埌は進展がなく心配です。」

䞊原
「お兄様にこの舞台をお芋せしたいですよね。」

恭子
「願掛けずいう蚳ではないのですが、文芞サヌクルの郚宀に私の決意の印を残しおおきたした。私が『斜陜』のかず子のように自分の生き方を貫けば、兄も無事にいおくれる気がするのです。それに私達の埌に続く䞖代に、二床ず砎滅的な道を歩たない䞖界を残さなくおはならない。1日も早く平和が蚪れお、海を越えた囜際的な芞術掻動が出来るこずを願っおいたす。“私たちはかもめ” いいえそんな事は絶察にあっおはならないのです。」

完

#創䜜脚本 #斜陜 #チェヌホフ #かもめ  
#没萜華族 #倪宰治

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