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モダン・ダイアローグ 17 風を読む者


風を読む者


登場人物

ソクラテス ……問いを重ねる老人
                         
ニカンドロス …いくつもの港で商いを
                          続けてきた老いた貿易商

青年 ……………成功した商人の手順を
                          書き写し、初めての船荷を
                          買いに来た者

油売りの女 ……港の倉で、油と壺を売る女


港の倉の前に、油の壺が並んでいた。
青年は三十まで数えると、
初めへ戻って、もう一度数えた。
数え終えてから、懐の紙を開いた。
油売りの女が尋ねた。

「買うの?」
「もう少し待ってください」
「数は変わらないわよ」

青年は紙の端を折った。
ソクラテスが、壺をよけて近づいてきた。

「何を確かめているのかね」
「間違えていないかを」
「三十ではなかった?」
「数は合っています」
「では、何が違いそうなのだろう」

青年は紙を広げた。
細かな字で、何行も書いてあった。

「去年、三十の壺から始めて、
 今は船を三艘持っている人がいるんです」
「ずいぶん大きな壺だったらしい」
「油を売ったんです」
「どこで?」
「東の港です。ここで買った値の三倍で」

ソクラテスは、倉の中を覗いた。

「君も、そこへ持っていく?」
「はい。船の場所も取ってあります」
「その紙に、そう書いてある?」
「本人の話を聞いて、書き写しました」

青年は、いちばん上の行を指した。

「誰よりも早く港へ来る。
 最初の利益を使わず、次の荷に回す。
 迷っている間に、先に動く」
「君は、いつ来たのかね」
「夜が明ける前です」

女が、倉の扉に肩を預けた。

「開いてなかったでしょう」
「待っていました」
「私が来たとき、寝ていたわね」

青年は紙を畳んだ。

「昨夜も、何度も読んでいたので」

女の向こうから、老人が一人歩いてきた。
脇に帳面を挟み、
外套の裾を片手で持ち上げている。
水たまりを越えると、裾を離した。

「ニカンドロス。今日は五十だったね」
「ああ。値は?」

女が答えた。
ニカンドロスは、壺を一つ見下ろした。

「少し上がったな」
「壺が上がったのよ」
「先月返した空壺は、いくつあった」
「四十七」
「それを使えばいい。残りの三つだけ、
 新しい壺の代をつけてくれ」

女は倉へ入り、帳面を持って戻ってきた。

「洗う手間はいただくわよ」
「しっかりしてるな」

青年が、二人の間へ顔を向けた。

「僕も、その値段になりませんか」

女は青年の足元を見た。

「空の壺を持ってきた?」
「持っていません」
「なら、壺も買ってもらわないと」

ニカンドロスが青年を見た。

「初めてか」
「はい」
「どこへ運ぶ」
「東の港です」
「向こうの買い手は?」
「着いてから探します」

老人は、青年の手にある紙を見た。

「何を読んでいた」
「商売のやり方です」
「壺の返し方は書いてあるか」

青年は紙を開いた。

「ありません」

ソクラテスが尋ねた。

「君も、東の港で売るのかね」
「いや。川向こうの染物屋へ納める」
「同じ油なのに?」
「使う者は、あちらにもいる」

青年が言った。

「ソクラテス。
 同じものでも、値段が違うんです」

貿易商が、もう一人の老人を見た。

「ソクラテスというのは、あんたか」
「私を知っているのかね」
「名前を。もう少し若いと思っていた」
「君には言われたくないね」

ニカンドロスは笑って、
帳面を近くの木箱へ置いた。

「それで、向こうの値はいくらだ」

青年が答えた。
老人は首を傾げた。

「いつの値だ」
「去年、その人が売ったときの」
「今年の値は?」
「まだ知りません」

ニカンドロスは女を見た。

「今朝、東から船が入ったな」
「入ったよ。船乗りなら、井戸のところ」

青年は井戸の方を見たが、動かなかった。
ソクラテスが尋ねた。

「去年、三倍で売れたのはなぜだろう」
「誰よりも早く、油を集めたからです」

ニカンドロスが言った。

「去年は海峡が閉じていた」

青年が顔を上げた。

「そうなんですか」
「軍の船が通っていた。
 南からの油が入らず、向こうの倉は
 空に近かった。今は、南の船も入っている」
「では、その人が儲けたのは、戦争のせい?」
「油を集めて運んだのは、その人だろう」
「なら、僕も運べば」

老人は、青年の紙を指した。

「海峡も、去年と同じに閉めるか」

青年は、紙へ目を戻した。
油売りの女は倉の中へ入り、
空壺を一つずつ運び出し始めた。
ソクラテスが尋ねた。

「だが、その商人は、
 海峡が閉じたときに油を運ぶことを
 思いついたのだろう。
 それを学ぶことはできないかね」
「できる」
「ならば、この紙にも価値がある」
「その人は、何を見て油を選んだ?」

青年は紙を読み返した。

「書いてありません」
「誰から、倉が空だと聞いた?」
「それも」

ニカンドロスは、井戸の方へ顔を向けた。

「では、先にそこの船乗りと話した方がいい」

青年は紙を畳みかけ、やめた。

「でも、このとおりにやれば、
 自分と同じところまで行けると」
「誰が言った」
「その人です」

ニカンドロスは、木箱へ手をついた。

「この話を聞くのに、金を払ったか」
「銀貨二枚です」
「そうか」

ソクラテスが尋ねた。

「君は、金を取って教えることに反対かね」
「船大工にも、算術を教える者にも払う」
「では、何が気になる」
「同じところまで、というところだ」
「よい道を教えたのかもしれない」
「道を教える者が、
 到着地まで売っているように聞こえた」

青年は懐から、小さな布包みを取り出した。
結び目をほどくと、硬貨が重なっていた。

「三年後には、自分の船を持つと、
 毎朝声に出して言うんです」
「今朝も?」

ソクラテスが尋ねた。

「言いました」
「何か変わったかね」
「ここへ来る勇気が出ました」

ニカンドロスが、青年の包みを見た。

「なら、そこまでは役に立ったな」

青年は頷いた。
油売りの女が、空壺を地面へ置いた。

「で、何を買うの」

青年は壺と紙を見比べた。

「その人は、始める前に疑ったら駄目だと」

ニカンドロスは、女の帳面へ手を伸ばした。

「私は、値段も数も疑ってから買う」
「それは、商売を知っているからでしょう」

老人の手が止まった。

「僕には、何を疑えばいいかも分かりません。
 だから、この商いの全てが書いてあるものが
 欲しかったんです」

女は帳面を木箱へ置いた。
開いた頁に、何人もの名前が並んでいた。
ソクラテスが貿易商へ尋ねた。

「君は、初めから分かっていたのかね」
「初めは、壺の数さえ間違えた」
「いまは?」
「数え直す。別の者にも数えさせる」
「努力を重ねたわけだ」
「数え直さなければ、また間違えるからな」

青年が尋ねた。

「でも、そのくらいは誰でもします」
「私の船で働いている連中もする」
「その人たちも、船を持っているんですか」

ニカンドロスは、
遠くで荷を運んでいる男たちを見た。

「持っておらん」

ソクラテスが尋ねた。

「では、君はなぜ持てたのだろう」
「その話なら、長くなる」
「時間はある」

女が帳面を指で叩いた。

「私にはないよ」

ニカンドロスは、自分の買う数を確かめた。

「五十。支払いは来月の初めでいいな」
「いつもどおりに」

青年が尋ねた。

「先に払わないんですか」
「染物屋から代金を受け取ってから払う」

青年は油売りの女を見た。

「僕も、売ったあとで払えますか」
「あんたからは払ってもらうよ」
「同じ油なのに」

ソクラテスが少し笑った。
青年は笑わなかった。

「この人なら、売れなくても払えるから?」

女はニカンドロスを見た。

「売れなかったときにも、払ってくれたから」

青年は、布包みの硬貨へ目を戻した。

「最初は、どうしたんです」

ニカンドロスが答えた。

「叔父が、名前を貸した」
「金を借りるために?」
「ああ。貸した男は、
 私より先に、叔父を知っていた」
「僕の叔父は、向こうの港を知りません」

ニカンドロスは、青年を見た。

「ここにはいるのか」
「ええ。桶を作っています。
 この金は、そこで働いて貯めました」

老人は、女の帳面を閉じた。

「私の最初の荷は、羊毛だった」
「なぜ、羊毛を?」
「叔父が買い手を知っていた」

青年は布包みの端を持ち上げ、
硬貨がこぼれないように寄せた。

「そこを真似するには、
 叔父から替えないといけませんね」

ソクラテスが、ニカンドロスを見た。

「君の話を売るなら、
 その叔父も一緒につけるべきらしい」
「叔父は、人に使われるのが嫌いだった」
「ますます真似しにくい」

青年が少し笑った。
ニカンドロスは、
自分の帳面の留め紐を結んだ。

「だが、叔父の名で借りた金も、
 返したのは私だ」
「よく働いたのだね」
「働いた。まだ暗いうちに起きたし、
 夜に帳面もつけた」
「この青年の紙に書いてあることと、
 似ているではないか」
「似ている」
「ならば、それを続けさせてはどうだろう」

ニカンドロスは、青年の紙を見た。

「朝起きた時刻は同じでも、
 待ってくれている相手が違う」

ソクラテスが尋ねた。

「相手も、風も、積荷も違う。
 それでは、失敗した者はいつでも、
 自分以外のものを挙げられるね」
「儲けた者には、訊かんのか」
「何を?」
「自分の力でなかったものは、何かと」
「君には、尋ねているつもりだよ」
「叔父のことを訊いたのは、この子だ」

ソクラテスは青年を見た。

「私の手柄にするところだった」

ニカンドロスは、結び目から手を離した。
ソクラテスが尋ねた。

「油が届かなければ、買った者は困る。
 風のせいだと言われてもね」
「届かないと分かったら、まず知らせる。
 別の油を探すにしても、
   相手には時間が要るからだ」
「では、無事に届けば、よい仕事をしたと?」

ニカンドロスは、少し考えてから話し始めた。

「一度、船いっぱいに荷を積んだ。
 船長は減らせと言ったが、私は断った」
「沈んだ?」
「着いた。風がよくて、早く着いた」
「それで?」
「儲かった」

青年が顔を上げた。

「なら、あなたが正しかったのでは」
「船長は、次から私の荷を断った」
「儲かったのに?」
「あの男には、次も船員を帰す仕事があった」

ニカンドロスは、港に並ぶ船を見た。

「別の船を探して歩いた。
 あれは帳面を見ても分からん」

ソクラテスが尋ねた。

「しかし、今は自分の船がある。
 あの船長に断られたから、
 船を持つ気になった、とも語れそうだね」

ニカンドロスは、
ソクラテスの顔へ目を戻した。

「そうとも語れるな」
「失敗も、君を成功させた?」
「あんたなら、その話を買うか」
「叔父もつくのかね」

ニカンドロスは、
結んだばかりの紐を指で弾いた。

「うまくできた話にはなるな」

井戸の方から、男たちが戻ってきた。
一人が女へ手を上げ、
桟橋の方へ歩いていった。
青年が、その背中を見た。

「全部違うなら、
 僕には何ができるんでしょう」

ニカンドロスが答えた。

「まず、今日の風を読むことだ」

ソクラテスが、貿易商を見た。

「それは、幾らで教える?」
「金は取らん」
「そうではない。
 風を読むまで、この青年を幾らで雇える?」

ニカンドロスは口を閉じた。
青年が布包みの硬貨を分け始めた。
大きい方の山を、手のひらで覆った。

「これは、来月払う家賃です」

ソクラテスが尋ねた。

「それも、油にするつもりだった?」
「月が変わるまでに帰れば、
 間に合うと思っていました」

ニカンドロスは、青年の手を見た。

「船は遅れる」
「知っています」
「売れ残ることもある」
「知っています」

青年は手をどけなかった。

「だから、知っている人と同じにすれば、
 減らせると思ったんです。そういうことを」

ソクラテスは何も言わなかった。
ニカンドロスは木箱に腰を下ろした。

「その叔父は、いつ代金を受け取る」
「桶を渡すときです」
「作る前に、いくらか受け取ることは?」
「初めての客からは、半分」
「なぜだ」
「取りに来なくなる人がいるからです」

青年は、覆っていた硬貨から手を離した。

「油も、先に買う人を探せばいいんですか」

女が倉の中から言った。

「その人が欲しい油ならね」

青年は、壺を見た。
それから、女の方を向いた。

「見せるために、少しだけ買えますか」
「小さい瓶ならあるよ」

女は倉から瓶を取り出し、
甕の油を注いで、栓をした。
値を聞いてから、青年は銅貨を渡した。
残りの硬貨を布へ戻し、結び目を作った。

「東から来た人にも、これを見せて訊きます」
「何を?」

ニカンドロスが尋ねた。

「向こうでは、どんな人が買うのか。
 それと、今はいくらなのか」

ニカンドロスが頷いた。

「壺は、そのあとか」
「まだ買うとは決めていません」

女が尋ねた。

「今日の船は?」
「船頭に、取り消すと伝えてきます」
「取っておくために払った金は戻らないよ」
「はい」

青年は、懐の紙を開いた。
しばらく見てから、もう一度折った。
ソクラテスが尋ねた。

「それは、持っていくのかね」
「売った金を全部使わないことは、
 覚えておいた方がいい気がするので」
「次の荷へ、全部回す?」

青年は布包みを懐へ入れた。

「家賃を払ってからです」

ニカンドロスが木箱から立ち上がった。
青年は、老人の帳面を見た。

「それを見せてもらうことはできますか」
「どこを」
「何を、どこに書くのか。
 僕は、叔父に言われた数をつけるだけで」

老人は紐をほどき、
買い入れた品と支払った金の頁を開いた。

「明日の朝なら、倉にいる」
「夜が明ける前に来ます」
「扉が開いてからでいい」

油売りの女が、空壺を並べながら笑った。
ソクラテスが帳面を覗いた。

「それなら、人の真似をしてよいのかね」
「欄はな」

ニカンドロスは、帳面を青年の方へ向けた。
青年は女に筆を借り、
持っていた紙の裏へ、同じように線を引いた。
品の名と、支払った金を書く場所を作った。
最初の行に、
商人の話を聞くために払った銀貨二枚を
記した。
その下に、小瓶と油の代をつけた。

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