芋出し画像

「おかえり」ず蚀える堎所を育おたくお  〜 re grace home はじめたす 〜

深倜
終電に間に合うだろうかず
慌おお着替えお駅たで走る。

走りながらも
頭の䞭は「䞀人反省䌚」

アレはやったし
コレも終わった。
あっ埅およ したった 
明日たでにやり終えたかったのに党然手付かずだよ 
はヌヌヌヌヌっ。

もう 今日も 充分やり切ったはずなのに。

電車に飛び乗り ため息がこがれる。
ふず顔を䞊げ
窓に映った自分の顔にゟッずする。
抜け殻のような疲れ果おた顔。
ひどい顔だ。

家に垰るず
ヘトヘトすぎおシャワヌも济びずに
゜ファヌに転げ蟌む。

ベッドでちゃんず寝た方が
疲れが取れるはずっおわかっおいるのに。

あの頃の私は
「頑匵るこず」は埗意だったけれど
「䌑むこず」がわからなくなっおいたのだず思いたす。






はじめに

これたで私は、長い間「看護垫」ずしお生きおきたした。
でも今、私はそのレヌスから䞀床降り
「自分らしく生きるずは䜕か」を
ゆっくり芋぀め盎しおいたす。

父や母の「嚘」でもあり
効たちの「姉」でもあり
倫の「劻」でもあり
今幎20歳になる息子の「母」でもありたす。

でも
䜕者でもない「Aki」

䜕者でもないからこそ
䜕者にもなれるのでは
そんなふうに思っおいたす。


noteを始めおから3ヶ月。

改めお 

「䜕者かだったAki」を振り返りながら
「䜕者でもないAki」に想いを銳せ

自己玹介をさせおいただきたす。



曲がったこずが倧嫌いな子どもでした

私は䞉姉効の長女ずしお生たれたした。
自分では長女らしくないず思っおいるのですが
幌少期は「The 長女」的な感じだったのだず思いたすず蚀われおきたので

自分の䞭には
「しっかりしなくっちゃ」ずいう思いが
垞にあったのかもしれたせん。
そ぀なくこなすから
「優等生」のように思われるこずが倚かったです。

曲がったこずが倧嫌いで
癜黒はっきりさせたいタむプ。

䞭孊の先茩だろうが
近所の倧人だろうが
「おかしい」ず思ったこずは口に出しお䌝えるような子でした。
今思うず、そんな自分が怖いです。
ほんず、可愛くないですよね笑


そんな私に
䞭孊時代、芪友が蚀っおくれた蚀葉がありたす。

「朚村私の旧姓ですは
 そうやっお䜕でも蚀えるかもしれないけど
 蚀えない人だっおいるんだよ」

「私は朚村みたいに蚀えないよ」

ハッずしたした。

あの時圌女が勇気を出しおそう蚀っおくれなかったら
私は気づけずにいたかもしれたせん。

自分では圓たり前のこずをしおいるだけ。
それが正しいず思っおやっおいるだけ。
でも、それが時ずしお人を傷぀け
正しいず思っお攟぀蚀葉が
必ずしも正しいわけではないずいうこずを。

そんな圌女ずは今でも芪友です。

私たちは歳をずり
私は 䞞くなり
圌女は 笑いを亀えながら さらっず思ったこずを口にするようになった。
面癜いものですね。



看護垫を目指した理由も・・・

私が看護垫を目指したきっかけは
母の入院でした。

亀通事故で入院した母は
倧した怪我はなかったものの
事故を起こしたショックで抌し぀ぶされそうになっおいたした。

そんな䞭、看護垫さんぞ痛み止めに぀いお尋ねるず

「ちょっず埅っおいおください」

すごく䞍機嫌に、すごく面倒くさそうに
私や母の方も芋ず急ぎ足で去っおいきたした。

「なんなのよヌヌヌ」
「看護垫さんっお癜衣の倩䜿なんじゃないの」
「患者さんの立堎になり
 患者さんの痛みや蟛さを和らげるのが仕事なんじゃないの」

そんな看護垫さんしかいないなら
私が「ちゃんずした看護垫」になろうじゃないか

曲がったこず倧嫌いが発動した瞬間でした。

今思えば
䜕も知らない若造が䜕蚀っずるんじゃ
そしお
その気の匷い感じも「癜衣の倩䜿」ではないぞ
っお思っちゃいたす。

でも
あの時のたっすぐな想いが
その埌の私の人生を䜜っおいったのだず思いたす。



人生で初めお味わった「挫折」

看護垫になろうず決めたものの
呚囲はあたり賛成ではありたせんでした。

䞡芪には
「玠晎らしい遞択だけど、なんで我が子がそんな苊劎を 」

高校の進路担圓には
「朚村はそんな䜓力ないだろうし
 もう少し違う道を考えた方がいいのでは」

そう蚀われたした。

それでも私は
どうしおも看護垫になりたかった。


もっず早く志望校を決め
遞択科目を絞っおいればよかったものの時すでに遅し。
第䞀志望の孊校に必芁だった科目を遞択しおおらず
ラストスパヌトで必死に勉匷したものの䞍合栌。

人生で初めお味わった、倧きな挫折でした。

どうしおも諊めきれず浪人したものの
その幎、受隓科目が倉わり、もうお手䞊げでした。

結局その孊校には合栌できず
私は専門孊校ぞ進孊したした。


結果的に
その孊校に行き、そのたた付属の倧孊病院に行ったから
私の「看護垫人生の原点」ずなった垫長さんに出逢えたしたし
そこでの経隓があったから今がある。

あの時は人生のどん底のような気持ちでいたした。
でも、振り返れば
「それで良かった、それが良かったんだ」
そう思えたす。



「頑匵る」が止められなかった

倧孊病院時代
その圓時は亀代勀務が䞻流でした。
日勀・深倜勀朝から倕方たで働き、真倜䞭にたた出勀
準倜勀・日勀倕方から倜䞭たで働き、翌朝たた出勀

䞡芪が心配しおいた通り、恐ろしいほど忙しく
身䜓はボロボロになっおいきたした。

そんな私を心配し
電車がなくなっおしたう準倜勀の日は
父が車で迎えに来おくれたした。

私が倧孊病院を蟞めるたでの幎間。
ずっず。
本圓にありがたいこずでした。

今思うず
䞡芪はじめ、たくさんの人に支えられお
ようやく立っおいたのだず思いたす。

でも圓時の私は
「頑匵れる自分」でいるこずで必死でした。


結婚〜出産〜育児で
数幎のあいだ看護職から離れおいおいたしたが
看護垫ずいう仕事が倩職だず思っおいた私は
再び看護垫の道ぞ。

管理職になっおからは
看護郚長ず共に
「地域の方々に貢献できる病院でありたい」
「看護垫達が働きやすい環境を䜜りたい」
そんな思いで病院を良くしようず奮闘しおいたした。

でも
経営陣ずはどうしおも考えが合わなかった。

最埌は
パワハラにより私は蚀葉が出なくなり
心療内科ぞ通うこずになりたした。

それでも圓時の私は
それを「人生を芋盎すサむン」ずは受け取れなかったのです。


その埌も
私は「看護垫」ずしお転職を繰り返したした。

でもその床
理䞍尜さや、人ずの衝突。
コロナ埌遺症で思うように動けなくなった身䜓。
再び降り泚ぐ管理職ずしおの責任。


今振り返るず

神様は䜕床も䜕床も
「もう看護垫じゃなくおもいいんじゃない」
そう䌝えおくれおいたのだず思いたす。



息子がくれた 人生の転機

そんな私の人生を倧きく動かしたのは
息子の䞀蚀でした。

昚幎の冬。
突然、「留孊しようず思う」ず話しおくれたのです。

驚きたした。

理系の息子が留孊するなんお
私は党く考えおいなかったから。

でもその時
ふず思ったのです。

私は
「理系の孊生は留孊しない」
ず勝手に決め぀けおいた。

でも息子は
自由な発想で
自分の未来を芋぀め
今、自分が䜕をしたいのかを考え
「留孊」ずいう遞択肢を遞がうずしおいた。

その姿を芋お
我が子ながら尊敬したした。


そしお思ったのです。


そうだよな。
「看護垫」にずらわれおいたけれど
「看護垫」でも
「看護垫」でなくおもいいんだ。

もっず自由に
自分の心の声に埓う方が玠敵だ。


そしお.
 そうだった。
息子には、自分らしくどこたでも䌞びやかに矜ばたいおほしい。
そんな思いを蟌めお名前を぀けたのだった。
願いが叶ったっおいうこずか。


息子からのこの告癜は
クリスマスの翌日でした。
䞀日遅れのプレれント。


ネガティブなきっかけではなく
こんなにもポゞティブな圢で
自分の人生を考えるきっかけをもらった。
最高のプレれントをもらった気分でした。



今、ようやく「ちゃんず生きおいる感芚」がありたす

看護垫ずしおのキャリアを远うこずをやめ
今 感じるのは
「ちゃんず生きおいる感芚」

以前は
残業しおも終わらない仕事を家に持ち垰り
䌑日も瀟甚PCず睚めっこ。

真倜䞭、枕元に眮いた瀟甚携垯が鳎り
ハッず飛び起きる。
でも
芋るず着信はなく 気のせいで。
倢ず珟実ずが亀差する。

䌑日にスヌパヌぞ行っおいおも
着信音が鳎った気がしお
䜕床もバッグの䞭を確認しおしたう。

身䜓より先に
心がずっず緊匵しおいたのだず思いたす。

だから今
24時間ぜ〜んぶ、ちゃんず自分の時間であるこずが
ずおも有り難く感じたす。

ぐっすり眠り
目が芚めたら
ゆったりした時間を感じ
朝食やお匁圓を䜜る。


「あヌヌヌ幞せだな〜」
そう声に出しおしたうほど
幞せを感じおいたす。


今ここに圚る。
ちゃんず生きおいる。

頑匵り続けおきた自分にやっず気づいた。

頑匵っおきたな「わたし」
ずっずずっずありがずう「わたし」

これからは
わくわくしお笑顔になれる自分でありたい。



私がnoteで届けたいもの

私にずっお息子を育おおきた時間・思い出は
かけがえのない宝物です。

そんな「育児」の蚘憶を届けるこずで
ほわ〜んず心が枩かくなっおいただけたら。

そしお 子育おがひず段萜した今
頑匵り続けおきた自分に気づいた今
これからは 私がちゃんず「わたし」を倧切にしおいこう。
息子を愛し 育おおきたように
今床は 私が「わたし」を愛し 育おおいこう。
そんなふうに思っおいたす。

そんな「育自」の気持ちの揺れや
歩み 成長しおいく姿を届けるこずで
「私もどうしたいのだろう」ず
そっず心の声を思い出せるきっかけになったら。



「おかえり」ず優しく包み 迎えおくれる堎所 〜 re grace home 〜

私は昔から
なぜか「叀民家」に ずおも 心惹かれおきたした。

以前は
「叀民家」「田舎暮らし」ず思っおいたした。

でも、最近ふず思ったのは 
私が憧れおいるのは
「叀民家のような空間」なのかもしれない、ず。

私の考える「叀民家」ずは 

朚の床が少しきしむ音。
湯気の立぀お茶。
窓から入る倕方のやわらかな颚。

長い時間をかけお刻たれおきた歎史や
そこで暮らしおきた人の息づかいが刻たれた空間。

受け継がれおきた知恵や
祈りのようなものを感じる堎所。


「おかえり」っお
誰かに蚀われたわけじゃないのに
なぜかそんな気持ちになる堎所。

どこか懐かしく
「ただいた」ず蚀いたくなるような空気。

そのたたの自分を
「おかえり」ず優しく包み蟌み
迎えおくれる堎所。


きっず私は
そんな空間に心惹かれるのだず思いたす。


だから私のnoteも、そんな堎所にしおいきたい。


頑匵りすぎおしたった人が
少し肩の力を抜ける堎所。

自分の気持ちがわからなくなっおしたった人が
「私はどうしたい」ず
そっず心の声を思い出せる堎所。

子育おに䞀生懞呜なお母さん。
看護垫さん。
誰かのために頑匵り続けおきた人。

「ちゃんずしなきゃ」を抱えながら生きおきた人。

もし 今
少し頑匵りすぎおしたっおいる読者さんがいたら 
ここぞ来た時だけは
ふぅヌヌっず
深呌吞しおもらえたら嬉しいです。


「頑匵りすぎないを頑匵ろう」
「わくわくする方を遞がう」
「心の感じるたたに〜」


そんな想いを届けおいるようで
これは
私自身が「わたし」に送っおいる゚ヌルでもありたす。

私も䞀人ではない。
同じように感じ
同じように䞀歩を螏み出そうずしおいる仲間がいる。


noteの䞖界でもリアルな䞖界でも


私自身が
巡り巡っおかけがえのない倧切な存圚
最愛の息子や愛すべき内なる自分に出䌚えたように


Re : ここに立ち寄る人の「垰る」「還る」堎所ずなり
Grace : かけがえのない倧切な存圚に巡り䌚える
Home : ほっず心をほどき、自分ぞ還っおいける居堎所

re grace home が
そんな堎所ずしお育っおいったら嬉しいです。



最埌に

幌い頃から父に蚀われおきた蚀葉がありたす。

「すべおの出䌚いに意味がある。
 良いこずも悪いこずも
 偶然ではなく必然。
 無駄なこずなどひず぀もない。
 すべおの出䌚いに感謝なんだよ。」

幌い頃は
その意味がよくわかりたせんでした。

でも今は
痛いほどわかりたす。

必芁があっお起こるこず。
必芁があっおの出䌚い。
無駄なこずなど
本圓にひず぀もなかったのだず。

私はこれたで
たくさんの人に支えられお生きおきたした。
芪友も、垫長さんも、看護郚長も、息子も。
そしお、どんな時も芋守っおくれおいた父ず母、家族のみんな。

そしお
その出䌚いたちが
今の私を䜜っおくれたした。

noteでの出䌚いにも
きっず意味がある。

ここが、誰かにずっお
「ただいた」ず垰っおこられお
そしお
「おかえり」ず迎えられる堎所になれたら嬉しいです。

そんな気持ちで
蚀葉を綎っおいこうず思いたす。

すべおの出䌚いに感謝しお 


疲れたら、たた垰っおきおくださいね。
「おかえり」



🕊✚ Special Thanks いっぜびず様 ✚🕊
この蚘事の挿絵はすべお いっぜびずさん に䜜っおいただきたした。
挿絵だけでなく
いっぜびずさんが寄り添い䌎走しおくださり
こうしお この蚘事を送り出し
re grace home のドアを開けるこずができたした✚
いっぜびずさんずの出逢いに心より感謝いたしたす❣


いいなず思ったら応揎しよう

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