K-POP第2世代とは?アイドルが「海の外」へ出た時代 — 東方神起・BIGBANG・少女時代・KARAと、日本がK-POPを知った夏

いま日本でK-POPは特別なジャンルではありません。音楽番組にも出るし、コンビニの雑誌にも載るし、中高生が韓国語の歌詞をそのまま口ずさみます。でもこれが当たり前になったのは、思ったより最近のことです。第1世代が「韓国の中でアイドルという形式」を作ったとすれば、第2世代はその形式を持って初めて国境を越えた世代でした。そして最初の行き先が、日本でした。

第1世代が終わった場所から、第2世代が始まった

H.O.T.が2001年、ジェクスキスが2000年に解散して第1世代は幕を下ろします。(この時期の話はH.O.T.とジェクスキスの記事にまとめています。)その空白を埋めるように登場したのが、次のラインナップでした。

  • 東方神起 — 2003年12月26日デビュー、5人組(SM)

  • SUPER JUNIOR — 2005年デビュー、12人組 → 2006年キュヒョン加入で13人組(SM)

  • BIGBANG — 2006年8月19日デビュー、5人組(YG)

  • KARA — 2007年3月デビュー、4人組 → のちに5人組へ改編(DSP)

  • Wonder Girls — 2007年デビュー、5人組(JYP)

  • 少女時代 — 2007年8月5日デビュー、9人組(SM)

  • 2NE1 — 2009年デビュー、4人組(YG)

第1世代と決定的に違う点が二つありました。ひとつは活動期間を長く見ていたこと。第1世代が3〜5年で解散したのに対し、第2世代はデビュー時点から長期活動を前提に設計されています。実際、東方神起とSUPER JUNIORは今も活動中です。

もうひとつは、最初から海外を視野に入れていたこと。日本語や中国語のトレーニングが練習生カリキュラムに入り始めたのがこの頃です。

(上の人数はデビュー当時のものです。その後メンバーの変動があったグループも多く、その背景は別の記事で改めて取り上げます。)

風船からペンライトへ — 色が足りなくなった時代

第1世代の応援グッズは風船でした。H.O.T.が初めてグループ固有のシンボルカラーを使い、SHINHWA(신화/シンファ)はオレンジ、g.o.d(지오디)は水色を使いました。白・オレンジ・水色という、誰でも分かる基本色です。

問題はグループの数が増えてから起きます。色は限られているのにチームは次々に出てきて、やがて重なり始めました。シンボルカラーはそのグループの領域のようなものなので、色がかぶるとファンダム同士の深刻な対立に発展します。いちばん有名なのが、Fin.K.L(ピンクル)と東方神起の赤をめぐる対立でした。第1世代のガールグループと第2世代のボーイグループが、同じ色をめぐってぶつかった形です。

そのため第2世代から、色の名前が急に複雑になります。Wonder Girlsはパールバーガンディ、少女時代はパステルローズ、SHINeeはパールアクアグリーン、SUPER JUNIORはパールサファイアブルー。「パール」「パステル」「メタリック」といった修飾語が付き始めたのは、美的な好みからではなく、かぶらない色を探さなければならなかったからです。

そしてこの時期に、応援グッズそのものが風船からペンライト(응원봉/ウンウォンボン)へ移っていきます。風船はファンがステージに向かって一方的に振るものでしたが、ペンライトは性格が違いました。ステージ上の歌手と客席をつなぐ媒介になったのです。

いまK-POPの会場で何万本ものペンライトが一斉に色を変えて波打つ演出——その出発点がここです。そしてその前には、色が足りなくて争っていた風船の時代がありました。

SM 対 YG — 対決構図の第2ラウンド

第1世代がSMのH.O.T.と大成企画のジェクスキスだったとすれば、第2世代の軸はSMとYGでした。東方神起とBIGBANGは、方向が正反対です。

東方神起は「完成形」でした。5人が一分の狂いもなく合わせる群舞——韓国では「칼군무(カルグンム=刃の群舞)」と呼びます——と、緻密に組まれたボーカルの配分。事務所が設計して磨き上げ、完成した状態でステージに出す、SM式の完成度の代表作でした。

BIGBANGも5人組でしたが、向きが逆でした。2006年8月19日にデビューしたこのチームは、「自己プロデュース型アイドル」という概念をK-POPに初めて持ち込みます。メンバーのG-DRAGONが自ら曲を書き、アルバム全体のプロデュースを担当しました。「거짓말(LIES)」「하루하루(HARU HARU)」「Fantastic Baby」はそうして生まれた曲です。ステージ衣装もメンバーごとにばらばらで、群舞の角を合わせるより、各自の色が見えるほうを選びました。

同じ5人なのに、一方は「ひとつに見せる」ことを、もう一方は「五人に見せる」ことを選んだ。ここが第2世代を象徴しています。今のアイドルが自分の曲を書くのが特別でなくなったのも、BIGBANGが先に通した道です。

少女時代(9人)と2NE1(4人)も、同じ構図のガールグループ版でした。人数からして違います。少女時代が9人で作る華やかな群舞と明るいコンセプトだとすれば、2NE1は4人がそれぞれ強い個性で押し切るほうでした。「ガールグループはかわいいか清純でなければならない」という前提を2NE1が揺さぶり、以後ガールグループが選べるコンセプトの幅が大きく広がります。

そしてSMは、別方向の実験もしていました。SUPER JUNIORです。2005年に12人でデビューし、2006年にキュヒョンが加入して13人体制になりました。今の基準でも大所帯ですが、当時は前例がありません。人数が多いのでユニットに分けて同時に活動し、バラエティ・演技・ミュージカルへ散らばってはまた集まる、という動き方が可能になりました。メンバーが多いほど大衆との接点が増えるという計算で、この構造はのちにもっと多人数・ユニット制のグループへと受け継がれていきます。

東方神起 — 韓国のトップスターが、日本で「新人」からやり直した

第2世代の話で、日本の読者にいちばん響くのはここだと思います。

東方神起は2003年のデビュー直後から韓国で最上位のグループでした。ところが2005年4月に「Stay With Me Tonight」で日本デビューしたとき、彼らは事実上の無名の新人です。韓国で何万人の前に立っていたグループが、日本では小さなライブハウスから、路上のプロモーションからやり直しました。

そして4年後の2009年、東京ドーム単独公演に立ちます。2013年には海外アーティストとして初めて日産スタジアムでの単独公演を開きました。

「韓国で成功したから日本でも通じるだろう」ではなく、いちばん下から積み直す。この経路が、以後のK-POPグループの日本進出の標準になります。

2010年の夏、KARAと少女時代がほぼ同時にやってきた

日本でK-POPが「知っている人だけが知るもの」から「みんなが知っているもの」に変わった瞬間をひとつ挙げるなら2010年の夏です。

KARAが2010年8月に「ミスター」で日本デビューし、オリコンウィークリー5位に入りました。アジアの女性グループとしては初めてのことです。その年のオリコン新人セールス部門1位もKARAでした。いわゆる「ヒップダンス」がバラエティやCMを通じて広まったのもこの時期です。

少女時代も同じ2010年8月に日本デビューし、10月に「Gee」でオリコンウィークリー2位を記録します。こちらもアジアの女性グループ史上初でした。

2組が数か月の間に相次いで上位に入ったことで、日本のメディアが「K-POP」をひとつのカテゴリーとして扱い始めます。いま日本でK-POPが好きな30〜40代の方には、この時期が入口だったという人が多いはずです。

Wonder Girlsはアメリカへ — 2009年、K-POP初のビルボード

同じ頃、別の方向へ行ったチームもありました。

Wonder Girlsは2007年の「Tell Me」で韓国で社会現象級のヒットを飛ばしたグループです。ところが全盛期の真っ只中でアメリカへ渡ります。そして2009年、「Nobody」の英語版がビルボードHot 100の76位に入りました。K-POPグループとして初のHot 100入りです。

76位という数字だけ見ると地味に思えるかもしれませんが、当時としては前例のない出来事でした。ただ、代償もありました。アメリカ活動に集中する間に韓国での空白が長くなり、その間に国内の勢力図は他のグループが埋めていきます。

結果としてWonder Girlsのアメリカ行きは、「成功した進出」というより「先に扉を叩いた事例」として残りました。そしてこの前例の上で、第3世代がもう一度アメリカ市場を叩くことになります。

YouTubeとパリ — 「アジアの外」が見え始めた瞬間

第2世代が第1世代と根本的に違っていた条件がもうひとつあります。YouTubeです。

第1世代の頃は、韓国の音楽番組を海外で見る方法が事実上ありませんでした。第2世代の半ばからは、ミュージックビデオが公開当日に世界中で再生されます。会社が進出していない国にファンが先にできる、という構造がここで初めて生まれました。

その結果が目に見えた出来事が、2011年6月10日のパリ公演です。SM所属の歌手たちが揃って立ったこの公演に、1万4千人が集まりました。アジアの外でK-POPの合同コンサートがこの規模で開かれたのは初めてのことでした。

まとめ — 第2世代がやったこと

第2世代は、K-POPの文法を新しく作った世代ではありません。その文法は第1世代が作りました。第2世代がやったのは、その文法を持って外に出たことです。

日本で一から出直し、オリコンの上位に名前を刻み、ビルボードの扉を叩き、パリで公演をしました。いま日本でK-POPが特別なことでない理由は、15年前に誰かがそれを特別なことにしておいたからです。

世代全体の流れはK-POPの「世代」って何?の記事にまとめています。メンバーの脱退や契約をめぐる出来事については、別の記事で改めて取り上げる予定です。

いいなと思ったら応援しよう!