リハビリ職の「お金の遣い方」①――災害 と 娘の寝顔
またこのカフェバー――日常の " 脆さ "
あはははは
ということで
また この カフェバー
また この おじさん
来てしまいましたね 笑
今回は いつものように
読者役の AI君 & AIちゃん
が 寄せてくれた質問のひとつ
新人リハビリさんの「お金の使い方」
に答えなさい とのこと
いやはや
これも 逃げ出したいテーマ
ですねぇ
とほほ…
それは そうと
お元気にしてましたか?
善いお盆
過ごせてますか?
あ それはよかった
台風 大丈夫でした?
あの台風の進路
ちょうど わたしが住んでいるとこの
真上
通っていましたね
えぇ ありがとう
ぜんぜん たいしたことなかったです
一度 ゴーーーって きましたけど
新潟の冬の嵐に比べれば
たいしたことなかったです
それより 雷 怖かったですぅ 笑
新潟の雷って
数は少ないんですけど
一撃の威力が
世界トップクラスなんです
一発で 甚大な被害を起こす
でも こっちの 雷は
なんていうか 連続で落雷しますよね?
ほんと すぐそこで落ちている感覚
真上で ピカッ ゴロゴロ
が繰り返される あの感覚
ちょっと 怖いです 笑
コシヒカリ は 新潟ですけど
こっちは
ゴロピカリ
あ! それは群馬のお米でしたね 笑
それはそうと
今は 千葉が洪水で大変ですね…
亡くなられた方もいるとか…
あなたは 大丈夫でしたか?
はやく 元の生活が送れますよう
お祈りしましょうね
…
さて
何を飲みましょうね?
まだ 明るいけど
ちょっと アルコール飲みます?
はははは
え?
ちょっと ギャップが大きい?
ギャップって 何のです?
あ…
災害のお祈りをした後から
いきなりの アルコールってことですか?
う~~~ん
そっかぁ
まぁ わかりますよ
あなたの気持ちも
不謹慎
ってことですよね?
え?
そこまで 強い言葉ではない?
あ そっか
なるほど
うん
(手をあごに当てて
テーブルを見つめる)
…
…
じゃぁ 注文する前に
美味しい お水をいただきながら
わたしの 考えを
述べさせてください
(店員さんに
注文はちょっと待ってねと
お伝えします)
2004年三条市水害――ボランティアと未熟な私
前に わたし
自分の母校の高校があった街(三条市)が
水害で大変な被害にあったとき
ボランティアに行った
という話をしましたよね?
あのとき ちょっと 想ったんですよね
ボランティア活動が終わって
家に帰るでしょ?
車で 30分くらいの距離です
家に帰ると
いつもの 日常
なんですよ
被災地では
配給されたパンばかりで
「新鮮な野菜が食べたい…」
と言っている被災者さん
たくさんいました
お風呂にも 十分入れないから
正直 " そういう " においのする
被災者さんも
いましたよ
車で 30分
たった それだけの距離で
こちらは 日常が
あたりまえのように
過ぎていく
家に帰るたび
想いました
『いいのかな?』
って…
でも
『俺は ボランティア活動をしている』
と想い
『俺は いいんだ』
って 自分に言い聞かせていました
お野菜食べて
お風呂入って
お布団で寝る
その当たり前の日常を
享受してよい
なぜなら わたしは
ボランティア活動をしているから
という 考えでしたね
これ
あまり 感心しない 考え方です
他者基準だった私――未熟さ・醜さ
ボランティア活動をしているうちに
気づくこと
が ありました
被災地は 被災地のまま
なのに
報道は どんどん 減っていく
新しい ニュースに
とってかわられる
わたしの 家族が
三条市の話題を
口にしなくなる
たった 車で30分の距離なのに
自分の 日常が 侵されていないから
遠くの国の災害
のような 感覚になっている
当時の 未熟なわたしでは
深く考えられなかったけど
なんとも
気持ちの悪い感情を
抱きましたね
決して 口外しなかったけど
正直に言いますけど
ボランティア活動をしている自分を
していない人よりも
上
に 置いていました
一方で
仕事も何もかも失った自分を
極度に 卑下 もしていたから
当然の 労役
のようにも とらえていました
こんなこと 初めて 口にしています
他者基準で生きていることさえ
気づけていない 男の
愚かな考え
でしたね…
当時のわたしの
こころ
ひどい状態です
人間の一番の根っこである
こころ
が
ひどい男でした
ひどい ひどい
やだ やだ
はははは
同じ年中越地震――" 無関心 " ではなかったけど…
あの時の 新潟って
災害の年
でしたね…
えぇ 2004年です
三条市の水害が 7月
そして 10月に
中越地震 が起きるんです
最大震度7
68人の方が亡くなられたんです


あ この写真は当時随分報道されましたね
お母さんとお子さん3人が生き埋めになってしまったんです
この道って 当時わたし
よく使っていたんです
ちょっと 近道なんですよね
本当に ショックでした
わたしも ここで被災した可能性ありました
残念ながら お母さんと 3歳くらいのお姉ちゃんが
亡くなってしまうんですけど
4日ぶりに2歳の男の子が救出されるんです
地元で伝え聞いた話では
今は 立派な男性に成長しているそうですよ
わたし この道
未だに 走れません
たぶん 今後も走れないでしょうね…
1万人近くの人が
応急の仮設住宅で 過ごされました

そしてね
その年は20年ぶりの 大雪でね…
新潟市のわたしたちも 大変でしたけど
被災地は もっともっと 大変だったはず…
その年だけじゃなくて
次の年も大雪でした…
地震をなんとか耐えた家屋が
雪の重みで 随分倒壊したって聞きました

このときは わたし
介護の仕事をしていて
ボランティアには 行けませんでした
近い場所ではなかったし
「わたしには 仕事がある」
という意識で…
無関心ではないものの
何も しませんでした
2007年中越沖地震――ボランティアへ
その後
新潟医療福祉大学 という大学へ
すすみます
理学療法士を目指したんです
2007年
中越沖地震
が 発生するんです
その数か月くらい前に
能登半島地震
が ありましたから
あの頃って
本当に地震が多かったですね
最大震度 6強
これYahoo!のサイトからの写真です




こうして 写真をみているだけで
なんか 想い出しちゃいますね…
その時ね
大学が ボランティア活動を
斡旋するんです
当然 参加しました
現場では
三条市のボランティア経験が
少し 役に立ったかもしれません
ボランティアにいくと
いろんな人に 出会うんです
もちろん 多くの人は
いい人です
でもね
被災すると…
本性というか… なんというか…
" そういうところ " が
露出してしまう人がいるんです
そういう人 見ていて
想ったんです
『あぁ ここにも いるんだな…』
って
批判する人――私の中にもある要素
三条市の水害の時にも
被災者の中に
いました
被害者意識 が
とても強くって
自治体や
行政を
唾を飛ばして
批判するんです
お気持ちは わかるし
その気持ちを
誰かに 聞いてもらいたいってことも
わかっています
そういう方々を
批判したいんじゃないんです
ただね
こういう人たちって
この人が
いつもの日常
を 享受しているとき
日本のあちこちで起きる
災害のニュースを
どんな意識で みていたんだろう?
って
想ったんですよね
わたし自身の ひどい人間性を
さしおいて
生意気なことを 想ったものですが…
『あなたは そのとき
何をしていたんですか?』
って
正直 想いました
嫌な 気分でした
被害者意識 丸出しで
誰かを批判する
その要素は
わたしの中にも
ありました
だから
嫌な気分を
持ったんですよね…
…
この問題は
わたしの こころの中の
深いところに
ずーーーっと
眠ったままでした
ときどき 災害のニュースで
問題意識が 目を覚ましますが
それを 深く見つめることは
わたしは まだ
できずにいました
そして「3.11」――同年 長女誕生
時は過ぎて
2011年
わたしは 理学療法士として
病院に勤めていました
「ダメPT」時代が
もう少しで終わるころ
でした
そして
数年かかった
不妊治療が 功を奏し
元妻が 妊娠したことを知ります
そのすぐあと
3月11日に
東日本大震災
が 起きるんです
…
あの頃のことを
ことば にするのは
全く被災していない わたしでも
まだ 難しいです
無事に
その年の
クリスマス当日に
長女が 誕生します
胸の苦しみ――無力感
その後
わたし
災害に遭う
子ども
を 想像してしまうと
胸がかきむしられるような
感情を抱くようになりました
テレビで たくさんのニュースが
流れてきました
「欧州難民危機」
「シリア」
「アイラン・クルディ君」
「ロヒンギャ」
「リビア」
そんな言葉が
思い浮かびます…
あ 水 おかわりします?
ちょっと 水 飲ませてください
(水を飲む)
はぁ…
今回
話 重い
ですね
(苦笑)
ごめんなさいね
続けても 大丈夫ですか?
はい
どうも ありがとう…
腕の中で眠る娘――浮かぶ " 2文字 "
「災害 や 紛争が 起きる
でも 自分の生活には 影響がない」
このパターン が 繰り返されました
距離が
近い/遠い
ボランティアに参加
できる/できない
で
自分の中の 罪悪感が
変化するのは
何か おかしい
と
想うようになりました
でも
関心だけ向けていている
だけでは
この気持ちは
解決できませんでした
祈り
に 力があるのかどうかは
わたしには わかりません
ニュースに触れ
祈り
のような 感情を
わたしは 自然に抱きます
でも
どこか
無力感も
感じるのです
そんなときに
ふと
まだ赤ん坊の 娘が
抱っこをするわたしの腕で
両手を胸の前で 握ってね
スヤスヤ
眠っていたんです
その顔を みていて
想ったんです
『寄付しよう』
ってね
当時は まだ
元妻からの
経済的ハラスメントは
ありませんでした
お小遣い制
ではありましたけど
わたし
そのときに
少ない小遣いの中から
さらに わずか なんですけど
寄付を始めることに したんです
本当に 恥ずかしいくらい
少ない 金額なんですけどね
毎月
クレジットカードから
引き落とされる形で
世界の難民問題に取り組んでいる
あるところ(国連難民高等弁務官事務所)へ
寄付を開始したんです
もう
10年以上
になります
その後
元妻の影響で
十分食べることが
難しくなっても
やめませんでした
やめる
という
発想自体
浮かびませんでしたね
自分が 苦しい状況だからこそ
やめなかった
とも いえるかもしれません
いまでも
続けていますよ
誤解――「寄付は " 偽善 "」
お金は 汚いもの
という 認識が
この国で成長する中で
どこか 植え付けられた
気がします
お金持ちは
悪いことをしている人
例の
「越後屋 おぬしも悪よのぉ」
ですよ(苦笑)
ですから 寄付って
「金持ちが
悪いことをして設けた金を
贖罪のように
世間にアピールする
偽善だ」
という イメージがあったんです
ほんと ごめんなさいな
誤った 認識なんですけど…
でもね
その誤解を
完全に 払拭はできていない段階でしたけど
娘の顔を見て
寄付をすることが
できたんですよね
お金について
まだまだ 無知だったときですけど
わたしの お金に関する
認識の 変化は
まず そこから 始まった気がします
心境の変化――できることを
寄付を始めてから
意識が
少しずつ
変わってきました
ニュースを見て
日常を送る 自分に
罪悪感のような感情を
抱くことが
だんだん 小さくなっていきました
かわりに
こう 想うようになりました
『娘が 元気に 健康に
育っていけるよう
何もない 日常に
感謝して
この日々を
大いに 謳歌して
妻や娘が 笑って暮らせるようにしよう
そして この日々の幸せの一部を
お金にのせて
困っている人に
お届けしよう』
『できることは
それだけだし
それだけしかできないなら
それを しよう』
…
そんな風にね
想ったんですよ
その後家庭に関することは
わたしなりに がんばったけど
まったく うまく いきませんでしたけどね…
どうしようもないくらい
うまくいきませんでしたねぇ
はははは
でも
バツイチ 独身の身となり
娘たちにも 会えない日々でも
寄付は 続けていますよ
誤解しないでくださいね
寄付をしなければ
日常を楽しんではいけない
という 意味では
決してありませんよ
" わたしの場合 " は
という 意味ですからね
ふるさと納税――暮れに想い返す
ふるさと納税
って 制度ありますよね?
あれ
いい制度ですね
ありがたく 活用させてもらっています
元妻の影響が無くなった
去年から 始めています
返礼品?
あ それ
関心ないんです
もらったことないです
去年の暮れに
その年にあった 災害を
想い返しました
そして
少ないですけど
ふるさと納税を利用して
それぞれの 地域に
寄付したんです
今年もします
熊本県にも
寄付すると想いますよ
報道されていないだけで
今でも大変な地域ってありますから
寄付を募集している自治体
ちゃんと見ないとですね
結び――個人的な意見です
というのが
わたしの 考えです
" わたしの " ですよ?
ですから
この考えを
押しつけるつもりはないんです
でも みなさん
お金のこと
考えると思うんで
参考になればなって
お話させていただきました
さて
どうします?
わたしは そういう理由で
ここで アルコール飲もうと
想っているのですが…?
赤ワインなんて
いかがです?
(つづきます
けど
次はもう少し 軽いお話がしたいなぁ 笑)
リハビリ職の「お金の遣い方」①
――災害 と 娘の寝顔

UnsplashのRicardo Mouraが撮影した写真
