【映画感想】「ヒス構文」の原型を見つけた話【となりのトトロ】
久しぶりに金曜ロードショーで『となりのトトロ』を見た。
やっぱりジブリはすごい。
ストーリーだけではなく、映像と音で記憶を刺激してくる。
田舎道、草むら、夕暮れ、風に揺れる木々。
そして、ひぐらしの鳴き声。
なぜ、ひぐらしの声はあんなに切ないのだろう。
同じセミなのに、アブラゼミにはあまり感じない「夏の終わり」の気配がある。
夕暮れの風景にひぐらしの声が重なるだけで、
「あの頃の夏休み」
の存在しない記憶が勝手に呼び起こされる。
実際には私が過ごした幼少期とは年代も田舎具合も違うのに。
ジブリは、こういう説明されていない感情を映像と音で引き出すのが本当にうまい。
そんなことを考えながら見ていたら、妙なことに気づいた。
「ヒス構文」の原型を見つけた
話は変わるが、「ヒス構文」という言葉をご存知だろうか?
毒親を持つ女性芸人が広めたミーム的な言葉で、子供相手にヒスる親の構文の事である。
相手の発言を極端に解釈したり、二択に持ち込んだりして、最終的に「じゃあ私が悪いんでしょ?」のようなヒステリックな結論に持っていく話し方を指す。
例えば、
「今日は疲れたから外食にしたい」
と言っただけなのに、
「じゃあ私が毎日ご飯を作ってることなんてどうでもいいんだ?」
となる。
いや、そこまでは言ってない。
この論理の飛躍が「ヒス構文」の一例である。
本来ジブリと全く無関係の言葉だが、本編を見ていた時に思ったことがあった。
お母さんの入院が長引き、メイが「お母さんに会いたい」と駄々をこねる場面。
「お母さん入院長引くんだって」
サツキがなだめようとしても、メイは納得しない。
「いやだ!」
そこでサツキが、
「じゃあ、お母さん死んじゃってもいいの?」
という趣旨のことを言う。
メイは当然、
「いやだ!」
となる。
一見してイヤイヤ期特有のあるある話のようだが、ここに私は「お母さんヒス構文」の原型を感じた。
メイの会話と何が似ているのか
メイが嫌なのは、
「お母さんの入院」
であって、絶対に
「お母さんに死んでほしい」
ではない。
むしろ、お母さんに会いたいからこそ入院が嫌なのだ。
それなのに、
「入院が嫌」
↓
「じゃあ、お母さんが死んでもいいの?」
と、極端な二択に変換する。
ただし、これはヒス構文そのものではない。
メイはまだ幼いので、複雑な状況を理解させるために、サツキが「お母さんに生きていてほしいか?」という単純な二択に変換している、とも考えられるからだ。
むしろ、子どもとの会話では合理的な方法なのだと思う。
私も子供とのコミュニケーションで無意識下で使っているかもしれない。
例えば子どもに、
「お風呂入りたくない!」
と言われて、
「お風呂入らないとバイキンだらけになってバイキンザウルスになっちゃうぞ〜!」
という。
これは、子どもの何気ない会話を、ある意味極端な二択に変換している。
ところが、この癖が大人同士の会話にも残ったらどうなるか。
「友達の家で食べたカレー美味しかった」
↓
「私の作ったカレーは美味しくないってことね!?」
↓
「じゃあ私が料理下手だから食べたくないんだ!?」
↓
「じゃあ私が悪いんでしょ?」
……と、どんどん話が大きくなる。
つまり私の仮説は、
子どもとのコミュニケーションで使われる「わかりやすい二択化」が、繰り返されることによって、子供を極端な二択でコントロールする癖がつく。
大人同士の会話になってもその癖が抜けずに持ち込まれてしまい、ヒス構文に近づいていくのではないか。
というものだ。
「論理の飛躍」と考えるより、
相手の発言を感情まで勝手に翻訳して、極端な形で返してしまう。
そう考えると、少し分かりやすい。
もちろん、これは完全に私の妄想である。
……そんなどうでも良い事を、ひぐらしの鳴き声に切なくなりながら、考えてみた。
