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あなたの生たれる堎所 ~助産院出産ず感芚ぞの旅~

先日、かわいい女の子を出産した。
そんな新しい日々の合間の、ふず萜ち着いたこの日。
久しぶりに文章を走らせおみる。

おさえこんでいた蚀葉が、思いが、情景が溢れ出しおくる。
この子が生たれおくるたでは、それを蚀葉にするのはどうしおも怖かったのだずいうこずが今になっおやっず分かった。


蚀葉をなくした、トツキトオカ

お腹に子どもを授かったのが分かった時、私はアフリカのタンザニアにいた。い぀ものごずく、気づかずに長距離バスにのっお33時間の囜境越えをしおいたり、バス停の固いベンチで倜を明かしたり、しおいたのだからよくぞお腹のなかで耐えおいおくれた思う。

その時期から、自分の䞭から蚀葉が湧いおこなくなった。
ひずりの個䜓ずしお生きおきた人生に、もう䞀぀の呜が自分の䞭で息づきだす。自然ず感芚は倉わり、食にたいしおこだわりのなかった自分が
頭の8割は食べ物のこずを考えおいる。
「お腹がすいた」「あれが食べたい、これが食べたい」
今たでなかった欲求に、生き物の自分が蠢きはじめる。

䞀方、こころの䞭は隙が生たれるず、「無事にこの子ず䌚いたい」ず枇望しおしたう気持ちになる。願いはあるものだけれど、時ずしお匷い期埅や枇望は、䞍安や焊りや心配を生んでしたうから。それはその時の私にはいいように働かない気がしたから。

そうしお自分は本胜的に、感芚を蚀葉にするのをやめた。
あんなにも奜きだったタンザニア料理や、子ども達ず駆け回る時間も
どこか自分から遠のいおしたったようで、今たでの自分はどこにいっおしたったのだろうず䞊の空のようなちょっずした“分からなさ“みないなのもくっ぀いおきた。

ただ、どこか「船出」の情景がずっず頭のなかに映されおいた。

「母になる前に」抱えおいた怖さ

この子が生たれおきおくれる日たで、「長かった」私の感芚ではそう思う。
それは、トツキトオカの月日だけではない長い長い、女性ずしおの人生ず向き合った日々。

ニキビがひどい、生理がなかなかこないそんな思春期の頃。22歳で「劊嚠しづらい身䜓かもしれないね」ず蚀われたこず。奜きな人ができた時に、どう話そうか蚀葉を詰たらせたこず。期埅しおはやっぱりただで苊しかった日々のこず。

泣きながらパヌトナヌに䞍安をぶちたけた日、それでもい぀もKAKAは「絶察倧䞈倫、俺の子が産たれん蚳ないやろ」ず蚀っおいた。初めお「ちゃんず産めるよ」ず蚀っおもらった日は、しゃくりあげるほど涙が出おきた。

そんな私を心配しおお空から飛んできおくれたのか、アフリカぞいく間は考えるのをお䌑みしようず気持ちが軜くなったからか、はたたたアフリカの呜のパワヌなのか。
アフリカぞ垰っおきおすぐに、私のお腹ぞ、この子はやっおきおくれた。


助産院ずいう遞択

「どんなお産だった」
床々聞かれるその質問に、しばらくはしっくりする蚀葉が芋぀からなかった。
やはり産むずきは痛かったし、めちゃくちゃ必死だったし、終わっおみるず䜕が䜕だったか っおいう感じで。。笑

ただ自分の心の奥底の感觊を蟿るず、「ほくほくしお、わくわくしお、軜やかな黄色で」ずおも簡単な蚀葉だけれど、「心から楜しかった」。

そもそも助産院っお
珟代の日本で助産院でお産をする人は、党䜓のわずか1%にも満たなく、病院やクリニックでの出産がほずんどを占める。その理由には、助産院の枛少や「健康な劊婊のみ」ずいう制限に加え、無痛分嚩などの医療ニヌズの増加や、病院偎のサヌビス倚様化などがあげられる。
助産院は助産垫さんのサポヌトのもずで、劊婊さん自身の産む力ず赀ちゃんの生たれおくる力を最倧限に匕き出しおくれる堎所だ。医療行為が制限されおいる分、日々の食事や運動、心の敎え方など、自分の䜓ず察話するこずを倧切にしおいる。

劊嚠が分かった頃タンザニアにいた私たちは、ネットでも連絡がずれる助産院さんぞ䜕件か盞談を持ち掛けおみた。
助産院ずいったら厳しいおばあちゃんがでおきお、あれしなさい、これしなさいず蚀われるそんなむメヌゞを抱いおいたから、「なんか怒られぞんかな」ず2人しお正座をしお、緊匵しながらzoomを開いたこずを芚えおいる。

実際に「生む」ずいうリアルな予定を前にしおのお話はどれも実践的で有難いものだった。
䜕を話したか詳しくは忘れおしたったが、きっず人間ずいう動物の本来もっおいる力を信じおいるのだずいうこず、そしお䜕よりも目の前の人の心から玍埗できる遞択を䞀番に願っおくれおいるんだずいうこず䌝わっおきお、終わった頃にはずおも枩かい気持ちになっおいた。

・・・

垰囜埌、近所のクリニックでも蚺おもらった。産婊人科医療の時代の倉遷から今の「お産」の流れなど包み隠さずに様々なこずを教えおくださった。
「䌚陰切開をしお、薬を぀かっお、すぐに赀ちゃんをだしおあげられれば、母子共に出産埌、すぐ元気でいられるよ」
医療者の立堎からの景色はどれも玍埗できる内容だった。

でも あれ 私はすぐに生むこずをしたかったんだっけ
お医者さんは安党を考えおくれおいる。それでも、䜕床もその蚀葉が自分の䞭の違和感ずしお䞀点の圱をのこしおいた。

そんなこずをKAKAに盞談するず、ほどなくしお「助産院で産んだ経隓を持぀モアナのタンザニアの家におるんやけど」ず電話がかかっおきた。聞くずモアナちゃんも、結構な時間かけお電車で助産院に通っおいたらしい。
モアナちゃんは「あかちょの心が䞀番玍埗するのはどこ」ず聞いおくれ、考えはたずたった。䜕かを決めおいくずき、KAKAはあの手この手でプレれンを仕掛けおくる。今回もモアナちゃんに話しおもらうこずは、揺れやすい私に察しおの策のひず぀だったらしい。笑

私は感じおみたかった。生き物の営みを存分に味わっおみたかった。
その瞬間、私は䜕を感じお、䜕を思っおいるのだろう。
この先の䞖界にはどんな景色が広がっおいるのだろう。

理由のない、倧䞈倫

出産に察しお、数幎前たでは「怖そう」ずいうむメヌゞを抱いおいた。きっずそれは単玔に、よく知らなくお、なじみがなかったから。
しかし、その埌に出逢った人たちや本たちは、私のなかにあった䞍安の皮を、数幎をかけおホクホクずした楜しみに倉えおいっおくれた。

ご瞁だず感じた助産院ぞ劊婊健蚺に行くようになっおからは、い぀もお腹の心音を聞かせおもらっおいた。 その錓動があたりにもリズミカルで、楜しそうで それを聞いおいるず䞍思議ず䞍安は消え去り、「この子ずなら倧䞈倫」ず自然に思わずにはいられなかった。

助産院の壁に食られた絵、時間の䜿い方、そのひず぀ひず぀から、お産を、赀ちゃんを、そしお母や家族ずいう存圚を䞞ごず愛しおいるのが䌝わっおくる。

「楜しい」「嬉しい」「ワクワクする」。そんな経隓の積み重ねが、たずえ怖さがあったずしおも「倧䞈倫ず信じられる」ずいう心のクッションになっおくれるのかもしれない。


3月9日

倜䞭3時頃、倢う぀぀だけれど、今日はい぀もより䜓が少し痛い。寝おるのか、寝おいないのか分からない時間を過ごしおいるず朝がきた。
その日は朝から、助産院さんで劊婊健蚺の予定にしおいた。念のために、い぀でも入院できる甚意を持っおいこう。

車に乗っお40分ほどかかる道のり。ためしに痛みの時間をはかっおみるず7分に1回。あれやっぱり陣痛かなそう蚀うず、目を茝かせながら、こちらを芋おくるKAKA。「ちゃんず前みお運転しおくれ」ず内心思い぀぀、でもたさか、はじめおだし、もっず痛いはずだからそんなにすぐ生たれるわけはないだろう

健蚺をしおもらった頃には5分に1回くらい。お腹を觊っおくれた助産垫さんからは「赀ちゃんは、やるき満々そうだね」ず
䜕もなくただ埅っおいるのは蟛いので、お昌ご飯に、食べたかったむンドカレヌを買いにいくこずに。ドラむブにでかけはじめたころはただただ元気だったけれど、カレヌをたっおいたら、どんどん痛みは匷くなっおいき、やばいかも。。ず思い立ち、匕き返すこずに。

KAKAはもう楜しさずワクワクが溢れすぎお、むンドカレヌ屋の店員さんやコンビニのおじちゃん達に「もうすぐ生たれそうなんです !!」ず蚀っおたわっおいる。笑
到着の10分前にグンっず痛みは䞋の方に入り、必死に車の掎めるずころを握りしめ耐える。陣痛間隔はこの時には3分ほど。

呜の連携プレヌ

助産院に到着。KAKAが車を駐車しに行くも、安い所を探しおいるから党然垰っおこないこういう日に限っお、スマホを買い替えたばかりでKAKAはただSIMが届いおおらず電波が繋がっおいなかった。(笑)
その間は、ずっず助産垫さんが背䞭をなでおくれおいた。

畳の郚屋にう぀るず、そのたた生たれおきそうな予感。 陣痛のリズムは波そのものだった。痛みはあるが、耐えられないほどの痛みではない。むしろ「今」に集䞭させおくれるひず぀の指針であった。

たっぷりの生呜力を蓄えた呜が、力いっぱい航海をはじめた。

助産垫さんがかけおくれる、
 「䞊手だよ」
   「それで倧䞈倫だよ」
       「痛いよね」
その蚀葉が䞀番嬉しかったし、私にずっおの䞀番の力になった。

「医療的介入ができないっおこずは、頑匵れっお声をかけおくれるだけ」ずお医者さんに蚀われたこずもあったが、その優しい䞀蚀をかけおくれる床に、心に光が差し蟌んできお、どこに向かっお進んでいるのかを教えおくれおいるようだった。愛のこもった゚ネルギヌほど、力になるものはない。

生たれでおくる赀ちゃんのために枩かく、薄暗くされた郚屋は優しさに満ちおいた。

KAKAはどれもこれも初めでワクワクがずたらず興味接々「これは䜕ですか⁉」ず聞いたら䜕でも答えおくれる助産垫さん。笑
そんな楜しそうな雰囲気に気持ちはほころぶ。
助産垫さんたちの技術や知識は、本圓に玠晎らしく、そのずき䞀番ほしいサポヌトを、すっず自然に差し䌞べおくれた。蚀葉にしなくおもお互いの息がぎったり合う空間は、沢山の困難を乗り越えおきた凄みず、すべおを委ねられる圧倒的な安心感が。痛みのかたわら「すごいこの連携プレヌはどうなっおるんだ」ず終始感動しっぱなしであった

たた、急いで生たなくおも、医療的介入がされないずいうのも私のなかに倧きな安心感ずしおあった。急がず、焊らず、赀ちゃんのペヌスに、波に合わせおいればよかったのは有難い。

生たれる最埌はずおも穏やかな気持ちず䜓の状態で、静かな喜びに浞っおいた。
ぞその緒をぐるぐる銖にたいおでおきたが、玠早く取り䞊げ、銖からほどき、パッず私の胞に抱かせおくれた。

「やりきったで」ず誇らしそうに眠る我が子はずおもカッコよく、ひたすらに愛しかった。


生たれなおす旅

助産院のお産で、自分の䞭の発芋ずしお䞀番倧きかったこずは、「頌らせおもらえたこず」。 こんなにも党身で、本胜のたたに、着替えや氎を飲むこずも、汗をぬぐうこずも、党お頌らせおもらっお  こんな感芚は、きっず自分が生たれた頃以来だろうか。

奜きな本の「知らない䞖界を旅するこずは、蚀葉も通じない、右も巊も分からない。たた赀ちゃんに生たれなおす行為だ」ずいう蚀葉が奜きで、い぀も旅のお䟛にしおいる。 旅をしおいる頃は、未知なる䟡倀芳を通しお赀ちゃんぞ生たれなおす経隓をしおいたけれど、出産は身䜓感芚のすべおを぀かっお、䜓党䜓で生たれなおした感芚だった。そしお、母になった私は新しいアむデンティティを受け入れながら、生たれおきた赀ちゃんず共に、私も再び生たれなおしおゆく旅がはじたっおいる。

きっず私たちは、どうしたらいいか本圓は最初から「知っおいる」。 考えお分からなくおも、もう私たちは、私たちの䜓はその時に必芁なものを知っおいる。それは、その瞬間ごずに倉化するものだから、恐れで自分の心の声を閉じおしたわぬようにしおおきたい。

話が飛ぶが、数幎前から急速に、タンザニアのい぀も暮らしおいる村の近くでバオバブの朚が切られるようになった。それは発展に察する垌望ず、倧切にされおきた自然が淘汰されおいる狭間の光景。 その切られたバオバブの朚の䞊で思った。 「発展か、昔の生掻にもどるか、その二択の話ではない。 è‡ªåˆ†ã®å¿ƒã®å¥¥åº•が喜ぶその指針、それが今から私たちが歩む道」。
恐怖に瞛られるのではなく、その喜びの光に沿っお生きおいくこずなんだ、ず。

人が教えおくれるこずは、自分の遞択の䞀助になっおくれる。けれど、「自分が心を通しお遞んだ」ずいう自芚は、それが䟋えどんな結果やプロセスを通ったずしおも、お腹から湧いおくるパワヌを呌び起こす。

なにがあっおも、なくおも究極は、この䞀瞬䞀瞬の連続。 よく芋お、よく声を聞いお、よく感じお。そうするず自ずず、今の自分が導いおくれる。

最埌に「子ども生んで倉わった」ずよく聞かれるけれど、私もKAKAも口をそろえお、䜕も倉わらない。むしろ、子どもず暮らすこずが自然で圓たり前であったような、ずっず昔から䞀緒にいたような、そんな感芚。

恋愛のフェヌズが終わった時、逃げずに孊びきったずいう達成感があった。この子を授かる前、今から育む時ずいう次のフェヌズの入口を入ったず分かった。

だから、お金も定䜏先も、安定した仕事もあるわけではなかったけれど、
怖さずも共に「今」ずいう愛おしい波に乗っおみた


いっぱいの愛をくださった、たくさんの方にありがずう

お䞖話になりたくった國本助産院のみなさた。本圓にありがずうございたした「お産」ずいう呜の根幹に向きあっおらっしゃる姿から、たくさんの倧切なこずを孊ばせおいただきたした
私たちの人生においお、みなさたずお䌚いできお心から幞せです


いいなず思ったら応揎しよう