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椎名林檎「丸の内サディスティック」

東京という街の熱量と、洗練された「構造」を 併せ持つ、いまや世代を超えた人気曲をシェアさせてください。

椎名林檎の「丸の内サディスティック」です。

1999年のアルバム『無罪モラトリアム』に収録されている楽曲です。歌詞に描かれるのは、東京に上京したばかりのOLの、赤裸々で刺激的な欲望の数々。 「リッケン620(ギター)頂戴(欲しいけれど)19万も持って居ない御茶ノ水(の楽器街)」というリアルな渇望から、「ベンジー(浅井健一)、グレッチ(ギター)で(ハートを)殴って(ほしい)」というロックへの盲信、「ラット1つ(PCのマウスをクリックする仕事、ギタリストの定番エフェクター「RAT」の意味とのダブルミーニング)を商売道具にしているさ」、そして夜の街の喧騒を「(夜職の多国籍の皆様は)国境は超えても(夜職という職業自体)盛者必衰」と鮮やかに切り取るワードセンス。

当時の新宿や丸の内の湿った空気が、そのままパッケージされているかのような緊迫感があります。

しかし、この曲が単なるアヴァンギャルドな楽曲で終わらず、四半世紀が経った今も愛され続けている理由は、その完璧な「フレームワーク(構造)」にあります。

バックで流れているのは、グローヴァー・ワシントン・Jr.の名曲などで知られる高名なブラックミュージックの王道「Just the Two of Us」のコード進行。 この極めて洗練されたコードループを採用しつつ、その上で泥臭くも鋭利な言葉のシグナルを踊らせるという設計思想(ミクスチャー)が、鳥肌が立つほど見事です。

当時のカルチャーをリアルタイムで知らない若いバンドマンたちが、今やこの進行を「丸サ進行」と呼び、一種のコードの共通仕様(プロトコル)として受け継いでいる点にも、この曲の普遍性を感じます。

私たちは日々、ルーティンという「フレーム」の中でタスクをこなしています。だからこそ、そのフレーム(構造)をただ盲目的に受け入れるのではなく、その上で自分だけの尖った「真実」や「主体的な熱量」をどう表現していくか。
そんな、システムを飼い慣らすためのハッカー精神を、この曲のアーキテクチャは教えてくれるような気がします。


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