高床式建物は倉庫とは限らない
主に弥生時代の地層から、竪穴式住居と高床式の建物と思われる遺跡が発掘されている(高床式建物の遺跡は縄文時代の地層からも発掘されることがある)。
竪穴式の遺跡に関しては、研究者でなくとも「住居だった」と考えられる。
しかし高床式の建物の場合、柱を埋め込んだ穴しか発掘されないので、「倉庫だった」と考える研究者が多い。



縄文、弥生、どちらの遺跡でも高床式の建物は集落の中心にあることが多い。
そのことから、集落のリーダーが住んだところだとか、当時は巫女(みこ)が集落の人々の精神的支柱だったので、巫女のための祭祀の建物だったと考える人がいる。
しかし多くの研究者は「倉庫だった」と考えている。
理由は、「高床式の遺跡にはカマドの跡がないから」だという。
高床式であれば、床は地面より上にある。
そんなところにカマドなど作らないだろう。
あったとしても遺跡として残らない。
私は、倉庫として使っていた場合もあるが、住居として使われていた場合もあったと思う。
というのも、高床式建物は日本の専売特許ではなく、東南アジアに今も昔もよくあるものであり、それらは倉庫としてではなく住居として使われているからだ。



彼らはどこで火を焚いて炊事等をするのか?
高床式住居の下の地面で行うのである。
上が床なので、雨が降っていても煮炊きができる。
以上のことから、高床式建物は倉庫や祭祀場とは限らないと思う。
