日本仏教の各宗派は「仏教」の名称を捨てよ
大乗仏教はインドやその北部から中国に伝わり、朝鮮半島に至った。
そこから日本に仏教がからもたらされた。
よく言われているのは、欽明天皇13年(552年、壬申)10月に百済(くだら。当時、朝鮮半島を3分していた国のひとつ)の聖明王(聖王)が使者を倭に使わし、仏像や仏典とともに仏僧を倭に伝えたことである。
欽明天皇は金色に輝く仏像(金メッキ)を見て、「仏像の顔、キラキラし」と讃嘆した。
この驚きで欽明天皇はすぐさま仏教徒になってしまった。
これは「日本書紀」に記されていることで、「日本書紀」がかなりいい加減な歴史書だとわかっている今は、まともに信じる人は少ない。
だいたいそれ以前から朝鮮半島から渡来人が入って来ているので、彼らが仏教を知っていれば、天皇の耳に入らずに日本で仏教が広まっていたと考えられる。
そのため今は、「仏教伝来」とは言わず、「仏教公伝」と言われるようになっている。
しかし天皇が仏教を国家鎮護の宗教としたことで(釈迦が聞いたら驚くだろう。釈迦は個人個人が悟ることを目的とした教えしか説かなかった)、仏教寺院は国から保護され、民衆の多くは仏教徒になった。
後に最澄(伝教大師)と空海(弘法大師)が中国に渡って、中国で大成された仏教を日本にもたらしたことで(空海の真言密教は仏教とバラモン教を融合させたもののようだ)、日本は仏教国家になった。


しかし、いずれにしても、釈迦の本当の教えに近い小乗仏教とはまるで違う大乗仏教である。
今の日本仏教のほぼすべてはその大乗仏教である。
しかも、親鸞が出るに及んで妻帯が普通になり、女犯(にょぼん)の戒が守られなくなった。
今でも妻帯を禁じている宗派はあるらしいが、僧たちの多くは女性を招き入れて女犯を楽しんでいる。
私が札幌でタクシー運転手をしていたときには、ススキノのソープ街から乗せた客たちの言う住所に行くと、そこは大きな寺だったということがよくあった。
彼らは一様に毛糸の帽子をかぶっていた。
丸坊主の頭を見られないようにしていたのだろう。
日本に仏教がもたらされた当初は僧たちは厳しく戒律を守っていて、性欲がこうじると幼い僧を相手に性欲を発散していた。
それを寺院では許していた気配があるので、それもどうかなと思う。
男色が悪いとは一概に言えないが、男色だろうと要するに射精したいということだろうから、となると女犯の戒を破ったと言ってもいいと思うのだ。
釈迦の定めた戒律は厳しく、魚食をも禁じた。
それで日本では精進料理が開発されたが(開発したのは中国かな?)、今の僧たちの多くは肉食もするし魚も食べるし酒も飲む。
もちろん女性も抱く。
さらには、人が死んだらお経を上げて布施をもらう。
寺院の墓場に墓を建てて管理する。
釈迦が見たら、こんなのは私の教えではないと憤るだろう。
釈迦は死んだ人の墓を建てることになど無関心だったし、実際、釈迦の墓は残っていない。
なのに仏舎利(釈迦の骨)が中国と日本の各寺院にあるというのはあり得ない。
今の僧は死人の戒名を考えたり位牌を作ったりし、残された家人から金を巻き上げる。
その上、自分の寺に墓石を建てさせ、そこに骨壷を入れさせて、管理料を取る。
恐るべきは、死んでこの方は成仏したのですと、ワケ知り顔で家族をケムに巻くことである。
成仏とは、仏の境地に達することであり、死んだら仏になるのではない。
仏教が伝わってから、日本では肉食が忌まれるようになった。
このことで日本人の体格が矮小になったと言われる。
現代の人たちは、たとえ仏教徒でも肉食するしソープに行くし妻帯する。
私はそれでいいと思う。
釈迦の定めた戒律なんて守れるはずがないほど厳しい。
だから私は、釈迦の教えは天才の道だと思っている。
けれど天才なんてそういない。
その点で、釈迦の教えを歪曲した大乗仏教はすべての人がすぐ仏になれると説いているので、画期的な教えかもしれないとも思う。
ただ、釈迦の教えとまるで違うのだから、大乗仏教の経典を奉じる日本の仏教各宗派は、今すぐ「仏教」という名称を捨てるべきだ。
