母が残した、葉っぱのフレディ
「これで映画を終わりにしたい」
がんを患っていた母が、亡くなる直前に残した言葉です。
母は、自分が主役だった人生を一本の映画に重ね、その終わりを静かに受け入れようとしていたのかもしれません。
60歳で生涯を終えた母は、その言葉を残す少し前にも、私たち三人の息子に、別の形で思いを伝えようとしていました。
それは、言葉ではありません。
一冊の絵本。
『葉っぱのフレディ ―いのちの旅―』
元気だった母に、突然見つかったがん
母が59歳だった春のことです。
母は鎖骨を折りました。それまでは元気で、鎖骨を折った後も普段どおりの生活を送っていました。
ところが、当初は骨折と診断されていたものの、なかなか治りませんでした。
そこで詳しく検査をした結果、がんであることが分かりました。
父は、母にがんを告知しないと決めた。
私は、本当のことを伝え、母自身がこれからの時間をどう過ごすか決めるべきだと考えました。
しかし父は、
「お前たちには分からない。夫婦にしか分からないことがある」
と言い、考えを変えません。
当時の私は、どうしても納得できませんでした。
今でも、告知しなかったことが正しかったのか、その答えは分かりません。
亭主関白だった父と、妻の支え
父は、昭和の亭主関白そのもののような人でした。
父は、母の性格を誰よりも知っていたからこそ、がんと告げれば一気に気力を失うと考えていました。
母が病気になってからは、仕事から帰ると母の介護を続けていました。医師から余命を告げられ、その事実を夫という立場で受け止めながら、父なりに奇跡を信じていたのだと思います。
昼間は妻が、母の介護や家事を支えてくれました。
妻には、今も感謝しています。
当時は父の判断に反発していた私も、今では父もまた苦しんでいたのだと分かります。その父もすでに亡くなり、当時の本当の思いを聞くことは、もうできません。
母は気づいていたのだと思う
がんが見つかってから、母の病状はどんどん悪くなっていきました。
自分の体のことです。
家族が何かを隠していることも、自分が普通の病気ではないことも、母は気づいていたのではないかと思います。
普段の母は、おっとりしていて、少し天然なところのある人でした。
きっと、自分の体に起きていることには気づいていたはずです。
それでも母は最後まで、
「私はがんなの?」
とは聞きませんでした。
「もう長くないの?」
とも聞きませんでした。
母が何を思いながら、家族の様子を見ていたのか。
本当のことを知りたかったのか。
それとも、家族が隠そうとしている気持ちを、何も言わずに受け入れていたのか。
今となっては、確かめることはできません。
「子どもたちに読んでやって」
秋になり、母はまだ自分で歩き、買い物に行くことができました。
ある日、父と買い物に出かけた母は、本屋で一冊の絵本を見つけました。
『葉っぱのフレディ ―いのちの旅―』
母は同じ本を三冊買い、私たち三人の息子に一冊ずつ渡しました。
「本屋に行ったら、良い絵本があったから、子どもたちに読んでやって」
母は、孫たちのために買ってきたように言いました。
当時、三人の息子には、それぞれまだ幼い男の子がいました。
兄の子は3歳。私の子は2歳。弟の子は、まだ生まれたばかりでした。
母は、自分の孫たちに読んでほしいと思って、この本を選んだのでしょう。
けれど、本を受け取った私は、その題名を見ただけで、別の意味も感じました。
この本を通して、母は私たちに何かを伝えようとしている。
本を渡した母と、受け取った私たちの間では、言葉がなくても十分に伝わっていたように思います。
本の中に残っていた葉っぱ
母から渡された『葉っぱのフレディ』を、私はすぐに読みました。
それから長い年月がたちました。
今回、この記事を書くために、本棚にしまっていた『葉っぱのフレディ』を久しぶりに取り出しました。
本を開くと、一枚の葉っぱが挟まっていました。
押し葉のように乾いたその葉っぱには、目と鼻と口が描かれていました。
幼かった息子が拾った葉っぱに顔を描き、この本の中に挟んでいたのです。
そのことを、私はすっかり忘れていました。
母が孫のために買ってきた絵本。
私の妻が息子に読み聞かせた絵本。
そして、その中に残されていた、息子が顔を描いた一枚の葉っぱ。
一冊の本と一枚の葉っぱが、長い時間を越えてつながっていました。
いのちの旅
『葉っぱのフレディ』では、秋になると葉っぱが一枚、また一枚と木から落ちていきます。
葉っぱの死は、そこで終わりではありません。
落ちた葉っぱは土にかえり、木の栄養となり、やがて新しい葉っぱを育てていきます。
久しぶりに読み返しながら、母はこの本をどのような気持ちで選んだのだろうと考えました。
自分もいつか木から落ちる一枚の葉っぱなのだと、感じていたのでしょうか。
けれど、死んですべてが終わるのではない。
自分の命も、子どもや孫たちへとつながっていく。
母は、私たちにそれを伝えたかったのかもしれません。
そして同時に、死を必要以上に怖いものだと思わないように、自分自身にも言い聞かせていたのかもしれません。
母の本当の気持ちは分かりません。
母は何も語らないまま、亡くなりました。
しかし、母が残した
『葉っぱのフレディ』は、
今も私の本棚にあります。
その本の中には、息子が顔を描いた一枚の葉っぱが挟まれています。
母が残したものは、一冊の絵本だけではありませんでした。
母が亡くなった年齢を越え、26年余りの時を経てこの本を読み返した今、母が託した思いを、ようやく受け取れたような気がします。
命は終わるのではなく、形を変えながら次へとつながっていく。
母から私へ、私から息子へ。
まさにそれは、長い「いのちの旅」だったのだと思います。
