父と政治の話で絶縁しかけた著者が、2500年前の知恵にたどり着いた話
「事実を伝えているのに、なぜ伝わらないんだろう」。ニュースやSNSでのやり取りのなかで、そんなもどかしさを感じたことはありませんか。
私自身、医療の現場で「正しい情報」と向き合う日々のなかで、何度も同じ壁にぶつかってきました。データを示しても、論理で説明しても、相手の考えは変わらない。むしろ意固地になってしまう。そんな経験をお持ちの方は、決して少なくないはずです。
今回、『レトリック思考』という一冊の本を読み、その"伝わらなさ"の正体が、実は2500年前の古代アテネですでに解き明かされていたことを知りました。この記事では、その学びを、私たちが日々直面する陰謀論やデマ、家族との対話にどう活かせるかという視点でお伝えしていきます。
なぜ「正しい事実」が届かないのか
「事実を積み重ねれば、いつか相手はわかってくれる」。私たちはついそう信じてしまいますが、これは残念ながら、対話が難しくなっている場面ではあまり機能しません。
『レトリック思考』の著者ロビン・リームスさんは、言語学者として、保守的な家庭で育ちながらリベラルな学問の世界に進んだ人です。政治について父親と何度も議論を重ねながら、双方が膨大な事実を突きつけ合うのに、まったく噛み合わないという経験をされてきたそうです。これは、今の日本の家庭や職場でも、驚くほどよく見かける光景だと私は感じています。
著者が本のなかで残しているひとことが、私にはとても腑に落ちました。現実の世界における事実は硬く動かないものですが、人と人との対話の場に持ち出された事実は、驚くほど不確かで、繊細で、傷つきやすいものになる、というのです。事実そのものは変わらなくても、「対話のなかでどう扱われるか」によって、その強さはまるで別物になってしまう。ここに、私たちがつい見落としてしまう落とし穴があるのだと思います。
「隠されていないこと」に人は惹かれる
もうひとつ、興味深い視点があります。古代ギリシャ語で「真理」を意味する言葉は、もともと「隠されていないこと」というニュアンスを持っていたそうです。つまり、当時の人々にとっての"真実らしさ"とは、論理の正しさよりも「覆いを外して見せてくれた」という感覚に近かったのです。
これは、現代のSNSやポピュリズムの動きとぴったり重なります。丁寧に練られたスピーチよりも、思わずこぼれ出たような本音の言葉のほうが、なぜか信頼できるように感じてしまう。整えられた言葉には「何か隠しているのでは」という不信感が生まれ、逆に粗削りな発言には「本当のことを話してくれている」という錯覚が生まれる。陰謀論が、公式な発表よりも「誰かがこっそり教えてくれた話」のかたちを好む理由も、ここにつながっているように思います。
まるで、整った庭園よりも、手つかずの野原のほうが「ありのまま」に見えてしまうようなものです。見た目の丁寧さと、中身の誠実さは、本来まったく別のものなのに、私たちの感覚はしばしばそれを混同してしまいます。
事実は脆く、感情は強い
私が特に大切だと感じたのは、「事実」と「感情・価値観」では、対話における"しぶとさ"がまったく違うという指摘です。
事実は、定義からして反証できるものです。だからこそ、対話の場に出された瞬間から、常に検証され、覆される危険にさらされています。一方で、恐怖や誇り、家族への愛といった感情や価値観は、そもそも「正しいか間違っているか」を客観的に決めることができません。だからこそ、一度その人のなかに根づくと、どんな反論を受けても、かえって強化されてしまうことすらあるのです。
これは私にとって、専門的な知識としても、実感としても、深くうなずける話でした。人は自分の信念を批判的に見直すよりも、守り固めることを本能的に選んでしまう生き物です。誰かの陰謀論的な考え方を「間違っている」とデータだけで正そうとしても、なかなかうまくいかないのは、この心理のしくみを考えれば、むしろ自然なことだったのだと思います。
争っているのは"どの階層"か
では、どうすればいいのでしょうか。本書が示すヒントのひとつが、対立の"階層"を見極めるという考え方です。
議論がすれ違うとき、実は双方が同じテーマについて話しているようで、まったく違う階層で話していることがよくあります。①そもそも問題は存在するのかという「事実の問い」、②それはどんな種類の問題なのかという「定義の問い」、③どれほど深刻で急を要するのかという「質の問い」、④具体的にどう行動すべきかという「政策の問い」。この四つのどこで意見がずれているのかを見極めるだけで、対話の空気は大きく変わります。
たとえば、片方が「そもそも起きているかどうか」を話しているのに、もう片方が「だから何をすべきか」を語っていたら、それはもう議論としてかみ合うはずがありません。私はこの視点を知ってから、意見が対立する場面で「相手は今どの階層の話をしているのだろう」と一呼吸置いて考えるようになりました。それだけで、無駄に感情がぶつかり合う瞬間が、確実に減ったように感じています。
論破ではなく、問いを差し出す
本書のもうひとつの柱が、古代アテネの女性修辞学者アスパシアの対話術です。彼女は相手を打ち負かすための主張を組み立てるのではなく、問いを投げかけることで、相手自身に気づきを促したと伝えられています。
この姿勢は、著者が最終的にたどり着く「レトリック思考」そのものにもつながっています。相手を論破して勝つことを目指す対立(アンタゴニズム)ではなく、意見の違いを緊張感のまま抱え続ける対立(アゴニズム)にとどまる知性です。文末をピリオドではなく、クエスチョンマークで終えるようにする、という著者の表現が、私はとても好きです。
断言は、たしかに力強く聞こえます。ですが、断言だけの対話は、いつか相手の心を閉ざしてしまいます。問いは一見弱く見えるかもしれませんが、実は相手の考えを動かす、もっとも粘り強い力を持っているのだと、私はこの本から教えてもらいました。
まとめ
最後に、今日お伝えした内容を整理します。
一つ目は、対話の場での事実は、私たちが思う以上に脆く、感情や価値観のほうがずっと粘り強いということ。二つ目は、整えられた言葉より、荒削りな本音のほうが"真実らしく"見えてしまうという、人間の感じ方のクセがあること。三つ目は、意見がぶつかったときこそ、事実・定義・深刻さ・行動という四つの階層のどこで食い違っているのかを見極めることが、遠回りに見えて一番の近道だということです。
陰謀論やデマと向き合うとき、私たちはつい「正しい情報さえ届ければいい」と考えてしまいます。ですが、本当に必要なのは、相手を打ち負かす言葉ではなく、相手自身が気づくための問いなのだと思います。
あなたが次に誰かと意見が食い違ったとき、ほんの一瞬でいいので、断言の代わりに問いを差し出してみてください。それだけで、これまで平行線だった対話が、少しずつ動き始めるはずです。あなたには、その一歩を起こす力が、もうすでに備わっています。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
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