「話が通じない」ストレスが減る、心理師が実践する対話の整理術
「この人とは、何を話しても嚙み合わないな」。そう感じて、そっと会話を切り上げてしまった経験はありませんか。
職場でも、家庭でも、私たちは日々、自分とは違う考え方をする人と向き合っています。相手を「変な人」と決めつけてしまえば、それ以上考えなくて済むぶん、心はラクになります。けれど、その手軽さの裏側で、私たちは何か大切なものを取りこぼしているのかもしれません。
先日、論理学者・坂本百大氏の『虚偽論入門』という本に出会い、自分自身の対話の仕方を見つめ直すきっかけをもらいました。医療の現場で働きながら公認心理師の資格を持つ私が、この本から受け取った「誠実な対話」のための3つの視点を、実感を交えてお伝えします。
なぜ、私たちは「話が通じない人」を切り捨てたくなるのか
人は、理解できないものに出会うと、不安になります。その不安から早く逃れるための一番手っ取り早い方法が、「あの人はおかしい」というレッテルを貼ることです。レッテルを貼った瞬間、思考は止まり、心はいったん落ち着きます。
けれど、これは問題を解決したのではなく、先送りにしているだけなんですよね。私自身、医療の現場で、価値観の違う相手を前に、心の中でそっとシャッターを下ろしてしまった経験が何度もあります。忙しい業務の合間に、じっくり相手の考えを聞く余裕なんて、正直なかなか持てません。
でも『虚偽論入門』を読んで、はっとしました。「変な人だなあ、合わないなあ」と感じたときこそ、相手の考えを最後まで聞いて、どうしてそう考えるに至ったのかを分析してみる。このクセこそが、分断を防ぐ最初の一歩なのだと、坂本氏は説いています。
論理学者が教えてくれた、誠実な対話のための3つの視点
『虚偽論入門』が教えてくれるのは、相手を言い負かすための武器ではありません。むしろ逆で、自分と他者の思考プロセスを深く理解し、誠実な関係を築くための「構え」です。私なりに、現場で活かせそうな視点を3つに整理してみました。
① 「変な人」で、思考を止めない
異なる意見は、いわば違う言語で話しているようなものだと私は思っています。同じ日本語を使っていても、育ってきた環境や積み重ねてきた経験が違えば、言葉の意味づけも、大事にしている前提も変わってきます。
たとえば治療方針の説明の場面で、インターネットで調べた情報を頼りに、こちらの説明とは違う考えを持って来られるご家族に出会うことがあります。以前の私は、内心「なぜわかってもらえないのだろう」と、少し身構えてしまっていました。けれど、いったん立ち止まって「この方はなぜこの情報を信じたくなったのだろう」と考えてみると、そこには不安な気持ちや、大切な人を守りたいという切実な思いが隠れていることがほとんどでした。
論破するための「がまん」ではなく、相手の論理を理解しにいく「チャレンジ」だと捉え直すと、同じ会話でも、こちらの心の負担がずいぶん軽くなります。
② 「誰が言ったか」より、「何を言ったか」
非形式的な虚偽の中でも、とりわけ強力なのが「対人論証」だと本書は指摘しています。ある発言の中身を検討する代わりに、発言者の立場や経歴を持ち出して、主張そのものを退けてしまう。私たちは「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」に、思っている以上に左右されているのです。
職場の会議でも、経験の浅いスタッフが口にした意見が、内容の良し悪しよりも先に「まだ新人だから」という理由で流されてしまう場面を、私も何度か見てきました。逆に、肩書きのある人の発言だからというだけで、中身を吟味せずに受け入れてしまうこともあります。かつて、権力にこびず孤独になっても自説を曲げなかった思想家たちがいたことを思い出すたび、私は「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」に立ち返る大切さを噛みしめています。
③ 言葉の奥にある「誠実さ」を見る目を持つ
坂本氏が繰り返し強調しているのが、話し手の「誠実性」を見抜く力です。その発言は、話し手が本当にそう信じている本音なのか。それとも、何かの目的のために組み立てられた戦略的な言葉なのか。
これは、情報が溢れる今の時代だからこそ、切実に必要とされている視点だと感じます。正しいかどうかを判断する前に、まず「この人はどんな思いでこの言葉を口にしているのだろう」と問うてみる。そうすることで、対話は単なる情報のやり取りから、人と人との触れ合いへと変わっていきます。
AIの時代だからこそ、この視点が必要になる
生成AIが書く文章は、驚くほど論理的で、流暢です。けれど、そこには「誠実であろう」という主体的な意志は存在しません。もっともらしく間違った情報を語ってしまう、いわゆる「ハルシネーション」は、形式は整っているのに中身は虚偽という、本書がまさに扱ってきた問題そのものです。
だからこそ、言葉の表面的な整合性だけでなく、その言葉の背後に責任を持つ主体がいるかどうかを見極める力が、これからますます問われていくのだと思います。
おわりに
ここまで、『虚偽論入門』から私が受け取った視点を、現場での実感を交えてお伝えしてきました。最後に、大切だと感じたことを整理しておきます。
「変な人」で思考を止めず、相手がそう考えるに至った理由を分析してみる
「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」に、意識して立ち返る
言葉の奥にある「誠実さ」を見る目を、自分にも他人にも向ける
論破ではなく理解を目指す「チャレンジ」として、対話を捉え直す
完璧な論理よりも、誠実であろうとする意志のほうが、対話を前に進めてくれる
話が通じない相手との時間は、決して無駄ではありません。むしろそこには、自分の思考の枠を広げてくれる、貴重な機会が隠れています。意志が弱いから話を聞けないのではなく、忙しい毎日の中で、そのクセをまだ知らなかっただけです。今日から少しずつ、目の前の「変な人」の話に、もう一呼吸だけ耳を傾けてみませんか。あなたの対話は、きっと変わっていきます。
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