そうか、運がいいってそんな仕組みだったんだ
こんにちは!シライシです。
今日たまたま見かけたオンライン記事に、「経営の神様」稲盛和夫さんに関連したものがあったんです。
いやー、何とも魅力的なタイトル。笑
あやかりたい僕は、強欲さ丸出しで(笑)すぐに読んでみたんです。
経営者の方のお話ですから、当然ながら内容はスピリチュアル的なものではなく、至って現実的かつシンプルなものでした。
要約すると、
「運」は偶然ではなく、不運な状況の中でも、それを忘れるほど目の前の仕事に没頭した先で生まれる。
若き日の稲盛氏は、次々と仲間が辞めていく赤字続きの会社に孤独な状況で取り残され、その惨めな現実を忘れるために研究に没頭した結果、それによって大変な成果をあげて人生を好転させた経験がある。
その経緯から、稲盛氏は「不運なら、運不運を忘れるほど仕事に熱中してみなさい」と説くようになった。
この経験則は、近年の心理学における「フロー(我を忘れて没入する状態)」の研究でも裏付けられている。
フローは才能ではなく、置かれた状況の中で誰でも選び取れる特性である。
結論、「運は巡ってくるものではなく、没頭の果てに自分の手でたぐり寄せるもの」
といったところでしょうか。
うーん、納得。
思えばこういうのって、仕事や社会的な大きい成果じゃなくても、ごく個人的なことでたくさん積み重ねてきている「小さな成果」ってあるもんだなーって思うんです。
いちばん身近なことだと、失恋の傷が新しい恋で癒された、とか。笑
「あの失恋がなかったら、今の恋人との出会いはなかったと思うと、何て自分はラッキーなんだ!」みたいな。笑
ただそれが、
恋愛に没頭したから出会うのか、仕事に没頭していたらたまたま相手が職場にいたのか、それは分かりませんが。笑
そう考えると、「目には目を」「恋には恋を」みたいな、同じもので没頭する必要はないんですよね。
そうしないと、例えば僕の場合だと、
バンドを解散したことで受けた傷は、一日でも早く新しいバンドを組むことで癒すんだー!!!
みたいな狂気が発生してしまいます。笑
そんな考えに陥ってしまうと、少なくとも新しいバンドを組めるまでの間は、解散のモヤモヤを引きずっていなきゃいけなくなるでしょうし、そこからさらに、モヤモヤの矛先を、解散を選んだ自分自身に向け始めると思うんです。
「お前のせいでこうなってるんだろ」って。
そんなに自分を責めたって、何も生まれないし、自分で自分にストレスかけることになるし、
何より悲しいし虚しい。
没頭する対象を間違えると、好転どころか負のスパイラルに陥ってしまう。
そう考えると、対象選びは間違えないようにしないとなー、って、改めて感じます。
人から見たら小さい成果でもいい。
自分に出来る生産的なもの・成果を喜べるものから始めていかなきゃ、って。
自分のための音楽を作る。
僕がいまから没頭することです。
宣言とも言えます。
自分のための音楽を作る。
運が良くなるかどうかは分かりませんが。笑
