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どこまで文字で描写するのか

読み手の解像度をかんがえて、
どこまで詳細に、それとも簡潔に書くのか、
書籍紹介・考察されている方がいらっしゃいました。
いろいろな連想を頂いたので自分も記してみます。

連想の一つに、90年代の新世紀エヴァンゲリオンで
庵野監督が話していた内容がありました。
以下、記憶ですみませんが庵野監督インタビューの一部要旨です。
(「アニメスタイル 2000年 第1号」紛失中)

「ジブリの伝説のアニメーター達が、大変な労力とコストをかけて
日常芝居や観察をきわめた『おもひでぽろぽろ』。
その映像が、僕にとってはインパクトがなかったんです。
そのショックがあって『ああ、この方向はだめだ』と」

「エヴァでは表情をスミ塗りしたり、顔が見えない止め絵が多い。
すると視聴者は『いまミサトさんどんな顔しているんだろう』
と、その人の想像できる最高の表情を勝手に浮かべてくれる。
演出と効率を考え抜いて、そういう方法にしたんです」

そんなお話でした。
「ぽろぽろ」の日常芝居も進化貢献したと思うけど
庵野さんの『想像された表情には勝てないんです
という迫力は、とても印象的でした。
詳しく描けば良いとは限らないのかと。

そういえば、昔のアニメの例えでいうと
「アニメーターの想像力に任せる」
ために、脚本や絵コンテの職人たちは
補足文も絵も簡略にしていたとも聞きます。

勝手にこれを小説に当てはめると
読者という 演出家・役者 の想像力に任せる
ために、簡潔な描写にする著者もいるのかなと思いました。

あと「ライトノベルの描写は簡潔に」
と時々言われますが、それはスピード感だけではなく、
読者が脳内に蓄えている、キャラ嗜好やジャンル設定を最大効率で引き出す、という意図もあるのかも。

そんなことをぼんやり考えました。
話がアニメやラノベにずれていたらごめんなさい。

追記:この記事は、園丘くすみさんの「どこまで描写するか ──『薄紫に萩をあしらった加賀友禅を着た美人』」という記事を拝読して、そこから連想して書いたものです。元記事では、描写の解像度と読み手の受け取り方について丁寧に考えられていて、私の記事はそこから少し別方向に脱線した雑感です。