切り抜きどうだ?|アマノ文筆クラブ
私の仕事は、思い出ビデオを作ること。
結婚式用を中心に、もう十年、やっている。
新郎新婦から、写真を、何百枚も預かる。
子どもの頃から、出会い、交際、時には喧嘩。そして、今日まで。
その中から切り抜いて、五分の動画に、繋ぐ。
笑顔。寄り添う二人。
それを音楽に乗せて、流す。披露宴で、いちばん盛り上がる場面だ。
出席者が、笑う。やがて、泣く。
新婦が、ハンカチを握りしめる。新郎が、洟をすする。
誇らしげな笑顔、ポロポロと涙をこぼす親族。
この仕事をやってきて、良かったと思う。
けれど、預かった写真を見ていると、わかってしまうことも、ある。
目を合わせていない二人。
写真用の笑顔。ピンぼけの奥の、気まずい距離。
そういう写真は、使わない。欲しい部分だけ切り抜いて、捨てる。
「切り抜きって、そういうことですよね」と、後輩が言った。
「都合のいいとこだけ、繋いで、物語にするわけだ」
まあな、と答えた。
「なんか、嘘くさくない、ですか」
嘘、か。
私は、少し考えて、言った。
「嘘じゃない。願いだよ」
——そう思うことにしている。
この二人が、いつまでも、この五分間みたいに、笑っていますように。
使わなかった写真の気まずさも、いつか、幸せに、溶けていきますように。
切り抜くたびに、私は、そう、祈っている。
先週、一本の依頼が、来た。
二年前に、私が作ったビデオの、再編集。
「離婚することになりまして。あのビデオ、証拠として使いたいので、データを」
私は、ビデオを見返した。
二人は、笑っていた。手を、繋いでいた。
証拠、という言葉が、頭の中で、鳴っていた。
二人は、なかったことにしたいのだ。
この五分間は、彼らの関係が、嘘だったことを示すために、使われる。
私は、もう一度、見返した。
やっぱり、二人は、笑っている。
少なくとも、その一秒だけは、本物だ。
私は、データを、送った。
フォルダには、使わなかった写真が、残っていた。
私は、一枚を、開いた。
離れて、違う方向を向いて立つ、二人。
でも、同じ、フレームの中に。
甘野充さんのアマノ文筆クラブに参加します。
