マリーアントワネット──「知らなかった」ことの重さ
“マリー・アントワネット” 上下 シュテファン・ツヴァイク 著
マリー・アントワネットは、フランス革命の犠牲者として語られることが多い。少し奔放な普通の女の子が、政略結婚によって突然「王妃」という役割を与えられ、苦労せずに好き放題できてしまった。なんの責任感もなく、ただ贅沢だけを味わい、その地位の危うさにも気づかない。周囲が崩壊し、すべてが手遅れになってから、ようやく王妃としての自覚が生まれる。
時代の波に翻弄されながらも、家族のために、そして自分のために、彼女ははじめて運命と向き合う。
責任を知ったあとに描かれたクチャルスキーによる肖像画に、私は心を奪われた。あの絵の中のマリーは、贅沢の象徴でも悪女でもない。もう逃げ場がないことを知っている人の、静かな覚悟の顔をしている。
あの時、彼女は本当に「鈍感」だったのだろうか。それとも、知らなくて済むように育てられていたのだろうか。
マリーの母、マリア・テレジア。彼女は世界一の恐帝でありながら、ものすごく過保護な母でもあった。彼女は娘に、何度もこんな言葉を送っている。
「笑いなさい」
「好かれなさい」
「慎みなさい」
「政治に口を出してはいけません」
「あなたは、感じの良い王妃であればいい」
それはすべて、娘を守るための言葉だった。同時に、娘の“考える権利”を少しずつ奪っていく言葉でもあった。マリーは政治の中心から遠ざけられ、学問は最低限、危険な思想や現実は見せられず、「愛嬌があり、人に好かれる娘」として育てられる。生き残れる女の子にするための、守る籠だった。
けれどフランスに嫁いだ瞬間から、その籠は性質を変える。ヴェルサイユは彼女を王妃として演出し、役割通りに振る舞わせ、政治には触れさせず、消費と象徴だけを担わせた。守るための籠は、いつのまにか、人形としての籠になっていた。本人は守られているつもりで、実際には使われていた。
しかもそこに、悪意のある人間ばかりがいたわけではない。
母は守るつもりだった。
宮廷は秩序を守るつもりだった。
国家は同盟を守るつもりだった。
それぞれが正しいつもりで、マリーはいつの間にか「考えないで済む場所」に閉じ込められ、考えなかったことで、断頭台に送られた。
だから私は、クチャルスキーの肖像画のマリーに惹かれる。やっと責任を知り、やっと現実に触れ、やっと大人になってしまった人の顔。美しいのではなく、痛いほど、誠実なのだと思う。
贅沢三昧のマリーアントワネット伝説はたくさんある。だけど、本当にそうなのか、何がそうさせたのか、彼女の人柄に触れる機会はあまりにも少ない気がする。
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私たちは、マリー・アントワネットがどんな人だったかを知らない。
でも、彼女が「何も知らずに生きていた場所の外側で、何が起きていたのか」は、物語として残されている。
チャールズ・ディケンズの『二都物語』は、
まさにその“外側”で、人がどんなふうに壊れていったのかを描いた物語だ。
ここから、
「彼女はどんな人だったのか」という問いが、
「その時代は、人をどうしてしまったのか」という問いに、静かに裏返っていく。
