『ふぇありぃべる』の解散ライブは、少年刑務所だった
「おかえりなさいませ、ご主人様ー!」
坊主頭が整然と並ぶ体育館に、私の場違いな絶叫が響き渡った。
今から十数年前、私はメイド服を着て、少年刑務所のステージに立っていた。
いわゆる「慰問」というやつだが、なぜか、ただの一般人でしかない私が、その大役を担うことになったのだ。
ことの成り行きは、こうだ。
20歳頃、新宿からそう遠くない場所でラーメンを食べた帰りに、道で見知らぬ50代くらいのおじさんに声をかけられた。
「キミ!今日ここでライブやってるんだけど、出演者が足りないんだ。カラオケレベルでいいから歌ってくれないか」
どんな展開だよ、と思ったけれど、当時の私は世間知らずの極みだったので、「いいですよ」と二つ返事で地下へと続く薄暗い階段を下りていった。
そこは、ライブハウスというより「だだっぴろい会議室」といった風情の場所で、不揃いなパイプ椅子が並んでいた。アコースティックギターを持った40代くらいの男が「何歌う?」と聞いてきた。
私が歌詞を見ずに歌えるのは洋楽くらいなもので、「スタンド・バイ・ミー」を選んだ。
客がパラパラと入ってきた。そこにいたのは、5人ほどの客と、道を歩いていただけの私と、ギタリスト。そして私を拾ったおじさん……たぶんプロデューサーだ。
チャッチャーチャラチャッチャ〜♪
When the night has come〜♪
歌いながら、自分の声がだだっぴろい空間に虚しく散っていくのを感じた。
ほぼぶっつけ本番で歌い切った私に、パラパラと乾いた拍手がおきた。その熱量の低さから、私の「スタンド・バイ・ミー」が、誰にも寄り添えていないことだけはわかった。
けれど、そのおじさんーー仮に「マーさん」としておこう――だけは、妙に私のことを気に入ったらしい。
「キミ、度胸あるね!」
そう言われ、連絡先を交換した。
数日後、マーさんに呼び出されて例のライブハウスへ向かった。
ライブハウスの事務所に置かれた、ガムテープで補強された茶色のボロボロな合皮ソファ。そこにマーさんが座り、向かいには私と同い年くらいの女の子が座っていた。
「あー! きたきた!」
「遅れてすみません」と言いながら、私は空気を読んで女の子の隣に座った。
マーさんは信じられないほど軽いトーンで、こう言い放った。
「キミたちのユニット名、決まったよ。『ふぇありぃべる』!」
ふ ぇ あ り ぃ べ る…??
……なるほど、どうやら私はこの隣の女の子とユニットを組むらしい。そして、その名前が『ふぇありぃべる』。……ほう。
ひらがなで、ふぇありぃべる。
わざわざ書くのも憚られるが、「妖精の鐘」という意味なのだろう。
20歳を過ぎた女二人に「妖精」を背負わせるとは……しかもひらがな表記という狂気。
けれど、断る勇気はなかった。こうやって、気づけば変な方向へ流されていく人もいたんだろうな、と今なら思う。
だって、もう『ふぇありぃべる』なんていうイカれた名前をつけられてしまったのだから、やるしかないのだ。
私たちは言われるがままに、衣装に着替えた。
それは、フリルたっぷりのメイド服だった。当時はメイドカフェ全盛期。それにしても、なぜメイドさん? その理由は、すぐに判明する。
私たちの初ステージは、某少年刑務所への慰問だった。
どうして。慰問ってもっと、名の知れた人がやるもんじゃないのか。私が人前で歌った経験は、この前の「スタンド・バイ・ミー」だけだというのに。
さすがに慰問ということで、前回のようなぶっつけ本番ではなく、練習だけは重ねた。
そして当日。メイド服に身を包んだ20代の女二人が、護送車に乗せられて刑務所の高い門をくぐった。
いよいよ、幕が上がる。
「おかえりなさいませ、ご主人様ー!」
舞台袖から勢いよく飛び出した私たちの声が、刑務所の体育館の冷え切った空気を切り裂く。
その瞬間、しまった、と思った。
目の前に座っているのは、これから何年もかけて更生を誓う少年たちだ。ここは、二度と戻ってきてはいけない場所なのに「おかえり」は、あまりに不適切だ。けれど、一度振り上げたメイドのフリルは下ろせない。
私は「プロとしてやり切る」という覚悟を胸に、満面の笑みでステージの中央に立った。
あの時、ソファに座るマーさんは言った。「メイドさんが流行ってるじゃん? だから、秋葉原から来たメイドさんで歌おう!」
今考えても、意味がわからない。更生を願う場所なのに、こちらの設定はすべて「嘘」なのだ。メイドでもなけりゃ、秋葉原から来たわけでもない。当然、歌手でもない。
私たちは、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を歌った。これまた、少年たちが「おぉ!」となるような選曲でもない。
間のMCで、知っている限りのメイドっぽいセリフ「萌え萌えキュンキュン!」を精一杯吐き出しながら、彼らの更生を願い、
私たちは歌った。
『ふぇありぃべる』は歌った。
歌うしかなかったから。
あの日、ライブハウスで虚しく空回りしていた私の歌声が、隣の彼女の声と重なり、体育館の空気を震わせる。
そうして歌い切った私たちに待っていたのは……
大喝采だった。
本当は拍手すら許されない彼らだったけれど、その時だけは、特別な許可が出た。
あの寂しい「スタンド・バイ・ミー」の夜とは違う。体育館に、割れんばかりの拍手が反響している。
結局、そのデビューステージが、『ふぇありぃべる』の解散ライブでもあった。
あまりのマーさんの胡散臭さに、私は彼を着信拒否にした。一緒に歌ったあの子も、その後連絡がつかなくなった。
数年後、渋谷のライブハウスの前で、あの日のギタリストとばったり会った。「大丈夫だったか?」と心配され、あの後マーさんがライブハウスの金を持って消えたことを知らされた。
思い出は、得てして美しく語られがちだ。
けれど、この話を思い出すたびに、私はどうしようもない居た堪れなさに襲われる。
お調子者のマーさんも、私に心配の声をかけてくれたギタリストも、そしてなにより、あのとき隣で一緒に歌った彼女も……。
みんなみんな、私の人生から幻みたいに消えてしまった。
そして、あの日の少年たち。
メイドでもない。秋葉原から来たわけでもない。歌手ですらない。
本当は、手本になるべき大人こそが、彼らに誠実であるべきだったのに、それでも私はステージに立った。
そこに一番、居た堪れなさを覚える。
それでも、時折思い出しては祈る。
どうか、あの時のみんながこの世界のどこかで達者であってほしい、と。
少年たちが何の罪で刑務所にいたのか、私は知らない。取り返しのつかないことをした子もいたかもしれない。
だから私は、無責任に「みんな幸せになってほしい」とは言えない。
けれど、せめてちゃんとご飯を食べて、風邪をひいたなら薬を飲んで、働いて、そして罪を償い続けてほしいと思う。
あの日彼らが私にくれた拍手には、たしかに熱があった。
だからあの温かさだけは本物だったと思いたい。
……結局のところ、私はあの日を少しでもマシな思い出として抱えていたいだけなのかもしれない。
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奇特な方だ。たいへん奇特だ。