善意の列から、黙って抜ける【NO同調圧力】
どもども、柴犬アンやで。
今日はな、ちょっとめんどくさい話するで。
善意の話や。
「善意がめんどくさいって
お前、開始3行で
だいぶ敵作りそうやな」
風太郎が、おにぎりの海苔を巻きながら言うた。
ちゃうねん。
善意がイヤなんやない。
アンは、善意を
「みんなでやりましょう」
にされるのが苦手やねん
「なるほど。善意の団体ツアーが苦手なんやな」

そうそう。
自由行動にしてほしいねん。
ただな。
こんなこと言うてるアンにも
黒歴史がある
昔、24時間テレビの募金に行ったことがあるねん。
しかも武道館まで。
「めっちゃ参加しとるやないか」
若かったんや。
あのころのアンには、夢があった。
武道館へ募金に行く。
当時、番組のMCはSMAP。
ということはや。
募金箱の前にキムタクがおる。
アンが募金する。
キムタクがアンを見る。
そして言う。
「アン、ありがとな」
「待て。途中からお前の脳内24時間テレビになっとるぞ」
せやけどアンの中では、ほぼ放送決定してた。
アン、武道館へ行く。
ところがな。
着いたら、とんでもない人や。
人。
人。
人。
武道館の周りを、募金する人の列がずらーっと続いてる。
最後尾がどこか分からへん。
「キムタクまで何キロあるねん」
アンは並んだ。
暑い。
進まん。
また進まん。
ちょっと進む。
止まる。
前の人の背中を見る。
また進む。
アンの頭の中では、そのたびにキムタクが近づいてくる。
「アン、ありがとな」
近づく。
「アン、ありがとな」
また近づく。
「お前、その一言だけで2時間もたせたんか」
もたせた。
そして約2時間。
ようやく武道館の中へ入った。
アンはちょっと毛並みを整えた。
赤柴人生、最大の晴れ舞台や。
キムタク。
中居くん。
誰がおってもええ。
アン、来たで。
誰もおらへん。
「え?」
芸能人。
おらん。
SMAP。
おらん。
キムタク。
もちろん、おらん。
あるのは募金箱。
アンは募金箱を見た。
財布を開けた。
10円玉を出した。
チャリン。
「2時間並んで10円!?」
うん。
「最低やな、お前」
いやな柴犬やった。
でもな。
いま思うと、あの10円には妙に正直なアンがおった気もする。
困ってる人を助けたい。
それもゼロではなかった。
でも本音を言えば、
キムタクに会いたかった。
「アン、ありがとな」
って言われたかった。
それが消えた瞬間、
アンの善意も190円ぐらい消えた。
「最初いくら入れる予定やってん」
そこは国家機密や。
善意って、案外きれいなもんだけでできてへん。
誰かに褒められたい。
参加してる自分をちょっと好きになりたい。
みんながやってるから、自分もやる。
そんな気持ちも混ざる。
それ自体を、アンは悪いと思わへん。
人間も柴犬も、そんな完璧ちゃうしな。
でもアンは昔から、
善意そのものより、
善意が「みんなでやるもの」になったときの空気が苦手やった。
アンが子どものころ、小学校で赤い羽根共同募金があった。
教室で募金を集めて、赤い羽根が配られてた。
記憶では
募金した子も、してへん子も
みんな赤い羽根を
もろてた気がする
胸元に赤い羽根。
教室を見渡したら赤い羽根。
赤い羽根。
赤い羽根。
「お前、途中から鳥の巣みたいになっとるぞ」
もちろん、困っている人を助けることはええことや。
募金したい子が募金する。
それもええ。
でもな。
小さかったアンには、なんとなく別のものも見えてた。
みんなやってる。
先生も勧めてる。
赤い羽根もみんな持ってる。

ここで「やらへん」と言うたら
自分だけちょっと違う子になる
誰も怒ってへん。
誰も強制してへん。
でも、空気だけがこっちを見てる。
アンは、あの感じが昔から苦手やった。
卒業するときにもあった。
「担任の先生に花を贈ろう」
1人300円。
みんなで先生に感謝を伝えよう。
ええ話や。
せやけどアンは断った。

アンには、担任よりずっと世話になった先生がおったからや。
「300円が惜しかったんちゃうんやな」
ちゃうわ。
300円の問題やない。
誰に感謝するかまで、みんなと同じにせんでええやろと思っただけや。
アンが感謝したい相手は
アンが決めたい
花を贈りたい人が贈ればええ。
担任の先生が好きな人は、ありがとうと言えばええ。
でも、
「卒業なんやから」
「みんな出してるから」
「先生も喜ぶから」
そこまで積み重なると、感謝のはずやったものが、だんだん提出物みたいになってくる。
会社に入ってからも同じやった
退職。
結婚。
出産。
そのたびに色紙が回ってくる
「ひと言お願いします」
「風太郎、ほとんど話したことない人の色紙、何書く?」

「今後ますますのご活躍を」
「出た。会社の色紙で大量発生するやつ」
「ほな、新天地でも頑張ってください」
「2匹目きた」
なんで親しくもない人に
気持ちを製造せなあかんねん
お祝い金もそう。
500円お願いします。
1000円お願いします。
もちろん、本当にお祝いしたい相手なら出す。
世話になった人が辞めるなら
自分で言葉を伝える
アンはむしろ、そっちのほうが好きや。
色紙の小さな四角の中に、
「お世話になりました」
と書くより、
帰り際に本人の顔を見て、
「あのとき助けてもろたん、覚えてるで。ほんまありがとうな」
と言うほうがええ。
相手が欲しいのは、色紙そのものやなくて、
「ああ、自分のこと覚えてくれてたんやな」
という、生の声ちゃうんかなと思う。
テレビの募金番組を見ていても
同じような違和感を
持つことがある
募金そのものを否定する気はない。
必要なところへお金が届いて、助かる人がおる。
それは大事や。
ただ、
「現在これだけ集まりました」
「こんなに多くの善意が寄せられました」
と大きく見せられると、アンの中で何かが引っかかる。

「善意が数字になる瞬間やな」
そう。
100万人が100円ずつ出したなら、その100円を出した人たちの善意や。
テレビ局には、人を集めたり知らせたりした役割がある。
でも、
視聴者が出したお金まで
全部まとめて
番組の勲章みたいに見えた瞬間
アンはちょっと距離を置きたくなる。
街角にもある。
ボーイスカウトなんかの子どもたちが並んで、
「募金お願いしまーす!」
と声を合わせてる。

あれもアンは苦手や。
子どもが一生懸命声を出してる。
横を通る。
目が合う。
財布はポケットにある。
周りの人は募金してる。
何もせず通り過ぎると
こっちが冷たい人間みたいな
気持ちになる
「誰も冷たいって言うてへんのにな」
そうやねん。
そこがやっかいやねん。
アンとしては、子どもに募金箱を持たせるより、
自分たちで何か仕事したり、活動したりして作った1000円を
「これ、どこに届けよう」
って考えるほうが、よっぽど福祉の勉強になる気がする。
金額は小さくてもええ。
自分の時間を使った。
自分で考えた。
自分で届け先を選んだ。
それなら、その1000円には自分の意思が入ってる。
そして最近、ちょっと似たものをnoteでも感じた。
バトン企画や
これは先に言うとくけど、バトン企画そのものを悪いと言いたいわけやない。
楽しく参加してる人もおる。
紹介された人が喜ぶこともある。
知らんかった書き手に出会えることもある。
始めた人にも、回してる人にも、悪意なんかない。
しかも、たいていちゃんと書いてある。
「無理のない範囲で」
「参加は自由です」
「回さなくても大丈夫です」
そこは守られてる。
「ほな問題ないやん」
そう。

そこが一番やっかいなんや。
自由やねん。
ほんまに自由やねん。
誰も、
「3人に回さなかったら不幸になります」
なんて言わへん。
昔の不幸の手紙やチェーンメールとは違う。
でも、
「素敵な輪が広がっています」
「こんなにたくさんの人へつながりました」
「ついに100人!」
と言われた瞬間、
つなぐことが「良いこと」として輝き始める。
すると、止めた人のところに
小さな影ができる
誰にも責められてへんのに、
「アンのところで止めてもうたな」
と思う。
これ、不思議やろ。
自由はちゃんとある。
出口のドアも開いてる。
でも出口の横に、
「みんな楽しんでます!」
って、でっかい看板が立ってる感じや。
「例えが遊園地の出口やな」
アン、帰りたいだけやのに。
アンにもバトンが来た。
ありがたいと思った。
紹介してくれた人には、ちゃんとお礼を言った。
でもアンは次へ回さんかった。
3人なんて選ばれへん。
アンの好きな人は3人どころやない。
それに、アンが好きな人やからこそ、
「これ次お願い」
と宿題みたいなものを渡したくなかった。
相手は楽しいかもしれへん。
でも、迷惑かもしれへん。
そこはアンには分からん。
せやから、アンのところで土に埋めた。

「バトン埋葬したんか」
供養や
「縁起でもないわ」
アンはこれからも、たぶん同じようにする。
色紙が回ってきても、書きたくなかったら書かない。
募金箱があっても、募金したくなかったら入れない。
バトンを受け取っても、次へ回したくなかったら回さない。
でも、
「私は参加しません!」
なんて宣言もしない。
「この企画には問題があります!」
なんて演説もしない。
参加してる人を批判もしない。
楽しんでる人のところへ行って、水を差すこともしない。
ただ、乗らない。
これ、アンは「静かな不参加」
って呼んでる
拍手もしない。
ブーイングもしない。
誰ともケンカしない。
ただ、自分の席から立って帰る。
でもな。
難しいのは、そのあとや。
帰り道で、胸の中に
小さいやつが出てくる
「感じ悪かったかな」
「みんなやってたのに」
「協調性ないと思われたかな」
「300円ぐらい出したら済んだのに」
「バトン止めちゃったな」
「風太郎、こいつ誰?」
「お前の脳内裁判長や」
めちゃくちゃ判決早いねん。
しかも全部有罪や。

せやからアンは、その裁判長にも言い聞かせる。
嫌いやからやらんかったんちゃう。
誰かを困らせたくてやらんかったんちゃう。
みんなが間違ってると思ってるわけでもない。
ただ、
「自分の気持ちまで
団体行動にせんかっただけや」
って。
同調圧力から自由になるって、
周りの人を論破することやないと思う。
「こんなのおかしい!」
って戦うことでもない。
一番難しい相手は、周囲やなくて、
参加しなかったあとに自分の中から出てくる、
「お前、ちょっと
イヤなやつやったんちゃう?」
という声なんやと思う。
「ほな、その声が出たらどうするん」
風太郎が聞いた。
アンは床に置いてあったおにぎりの包みを見た。
「帰る」
「どこへ」
「自分の気持ちに」
「急にええこと言うやん」
「そのおにぎり半分くれたら、もっとええこと言えるで」
「善意を要求すな」
善意って、もっと自由でええと思う。
募金したい人はする。
花を贈りたい人は贈る。
色紙を書きたい人は書く。
バトンをつなぎたい人はつなぐ。
そして、
何もしない人も、そのままでええ。
誰にも見られず100円を寄付する人もおる。
お金は出さへんけど、困ってる人の荷物を持つ人もおる。
寄せ書きはせんけど、帰り際に「ありがとう」と本人へ伝える人もおる。
バトンは回さんけど、好きな記事を読んで、スキを押して、コメントを書く人もおる。
善意は、同じ制服を着なくてええ。
誰かが作った
「良いことの列」に並ばなくても
自分なりの良いことはできる
だからアンはこれからも、
みんなが並んでいる列を見て、
ええなと思ったら並ぶ。
違うなと思ったら、
何も言わず横道へ行く。
そのとき、少しだけ胸がざわついてもええ。
「あれでよかったんかな」
と思ってもええ。
その気持ちまで消そうとせんでええ。
風太郎が玄関で靴を履きながら言うた。
「自分で選んだんやったら
それでええんちゃうか」
アンは赤いバンダナをぶるっと揺らした。
「せやな」
善意を否定せん。
人の善意も邪魔せん。
でも、
自分の善意の使い道だけは、
自分で決める。
それでええ。

アンは今日も、
誰かの作った列から
黙って横道へ曲がる
風太郎もついてきた。
「お前について来たんちゃうぞ。こっちにコンビニあるだけや」
「善意でアイス買うて」
「それはただの恐喝や」
