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ルート66を行く 夢の? カリフォルニア州東部

アリゾナ州を通りすぎ、州境のコロラド川を渡ります。ここからルート66は最後の州カリフォルニアに入ります。
1930年代、ダストボウル(砂嵐)に追われて夢の場所を求めた中西部の農民達は、カリフォルニア州に入りホッとしたのではないでしょうか。ここで自分達の生活を立て直し、良い生活を送ることができるという安堵感があったはずです。しかし、カリフォルニア州はとても広大で、緑が繁りオレンジが収穫できる夢の場所は、ここから続く広大なモハベ砂漠の向こう側なのでした。
現在なら車で3時間くらいでモハベ砂漠を走ることができますが、1930年代は2日から3日かかったはずです。途中には小さな宿場町がいくつかあり、そこで水を貰ったり簡素な食べ物を買ったりしたのでしょう。そして灼熱の世界です。安住の地までもう少しの場所で、多くの高齢者や子供たちが命を落としてしまったのです。

今回は、このモハベ砂漠を横断し、夢のカリフォルニアと思われたバーストーまでの過酷なルートを旅します。
旧道ルート66は、州間高速道路40号線と並行して残っているところが多いです。ただ、ひたすら続く砂漠なので旧道を走る車は少ないです。
私はこの区間はラスベガス旅行も含め車で30回程通過した経験があります。普段は、ここは暑く何もないので通り過ぎてしまうのですが、今回の旅ではゆっくりと砂漠に点在する町を巡って行こうと思いました。

アリゾナ州からコロラド川を渡るとのカリフォルニア州側にニードルズという町があります。ここからスタートしましょう。

Needles
大陸横断鉄道が作られた際に、コロラド川を渡る橋が必要だったので、橋の建設と橋の維持の要員配置のために鉄道会社が設置した集落が始まりです。そして鉄道を維持するための人々がこの集落を発展させてきました。街が一番輝いたのは1908年にハーヴィー・ハウスが駅にオープンした時です。大陸横断する客がこの町で列車を降り、高級なハーヴィー・ハウスで食事をしたり宿泊をしました。1949年にホテルは営業を辞めてしまいましたが、アメリカの歴史的建造物に指定されています。

この町が最も華やかだった時代のハーヴィー・ハウス

鉄道の技術が発達し、今はこの町に主要な鉄道事業はないようです。4,000人程がこの町で生活しているようですが、産業らしい産業は見当たりません。

ニードルズを出発します。ここからがモハベ砂漠です。しばらくは乾いた大地が続きます。30年代初頭にアメリカ横断道路を計画し、ルートを考えた時、北はデス・バレーがあり、仕方なくこのルートを選んだのでしょう。現在でもかなり過酷な場所です。ルート66ができた頃は、多くの人がこの辺りで亡くなったと思います。映画「怒りの葡萄」では主人公のお婆さんがこの辺りで亡くなりました。

ここで丘陵を越えます。

ゴーストタウン化したGoffs

Goffs
以前もゴフスを通り過ぎたことはあります。なんとなく人が住んでいるなあと感じましたが、ちょっと怖くて町で車を降りたことはありませんでした。
今回、ここに行ったら、住人はもうほとんど去ってしまったのかなと感じました。まだ人の気配はしますが、多くの建物は空き家や廃墟になっています。店やガソリンスタンドなどもオープンしていませんでした。
車で30分も走ればニードルズがあり、そこには快適な生活があります。ルート66を通る旅行客はほとんどいません。こうなると収入も絶たれこの町に執着する必要もなくなるのでしょう。
おそらくあと10年もすると、ここは廃墟が並ぶゴーストタウンになると思います。現在は、生きていた町とゴーストタウンの中間という珍しいタイミングにある町でした。

ゴフスを出て次の町であるアンボイまで向かいます。なんと、旧ルート66(ナショナル・トレイルズ・ハイウェイ)は、通行止めとなっていました。おそらく誰も使わないのと、過酷な環境で道が破損しているのだと思います。仕方なく州間高速道路40号でアンボイを目指します。
この辺りは砂漠です。360度砂漠が広がっています。多少の隆起があるので真っ平ではないですし、砂ばかりということでもなく乾燥した土地です。ここもアメリカなのか、と思いますし、カリフォルニアのイメージとは結びつきません。

ルート66でも有名な場所、アンボイ

Amboy
アンボイの町はよくCMやポスターで見る景色です。有名なサインと有名なガソリンスタンドがあり、道にはRoute66のマークが書かれています。
これぞ「ルート66」という場所です。
このガソリンスタンドは営業はしておらず現在は店内が土産物店とカフェになっています。混んでいるわけではないですが、常に観光客が訪れていました。
ここはインスタ映えする撮影スタジオのような場所です。誰もが一生懸命写真を撮っていました。
隣のモーテルは営業していませんでした。20年前にここにきた時はガソリンスタンドもモーテルも営業していました。おそらくここに宿泊する人が減ったのでしょうか。あるいは水やガソリンをここまで運ぶ手間の方が大変なのかもしれません。

アンボイを出発します。旧道は道の舗装が悪いです。この炎天下でアスファルトはすぐに割れてしまうのだと思います。所々で工事をしていました。45度を超える場所で道路工事をするのはとても大変です。行政もこの旧道を廃道にした方が楽だと思いますが、数少ない住人と数少ない観光客のためにインフラを維持しているようです。

Bagdadの跡

Bagdad
映画で有名な「バグダッド・カフェ」はバグダッドという町にはなく、少し先のニューベリー・スプリングスにあります。映画ではこの町にある設定でした。さて、バグダッドの町はどこにあるのでしょう。地図にあるバグダッドに到着しましたが、見えるのは草原ばかりです。
かつてここには小さな集落がありました。バグダッドと呼ばれ数軒が軒を並べて生活を営んでいたそうです。ここに街がある理由はルート66を通る旅行者の休憩施設だったり商品やガソリンを売る店が必要だったからです。ちょうどニードルズとバーストーという大きな街の真ん中です。ルート66が栄えた頃は、たくさんの旅行者がここで休息したのでしょう。
しかし高速道路ができ、モハベ砂漠を一気に横断できるようになると、この町は急速に廃れ、店は閉業し、人は去っていきました。そして現在は当時の遺構すら壊されてしまっていました。建物があった場所には草が生えていないので、建物は最近まであったのだと思います。

Siberia
ウィキペディアによるとこの町はゴーストタウンと記されています。州間高速道路ができたタイミングで町は無くなってしまったのだそうです。シベリアという町名から、シベリアあたりからの移民が住んでいたのだと思います。今もZIP CODE(郵便番号)はあるそうでしが、そこには何もありませんでした。

ラドローの廃墟

Ludlow
1870年代に入植が始まり、近くで金が採掘されたのだそうです。1940年代にはルート66を旅する人向けのガソリンスタンドなどができて宿場町として賑わいました。その後中国人の家族が住んでいてカフェを営んでいたそうです。彼らも1960年代には街を去ったそうです。
現在は、ガソリンスタンドが数件営業しています。
その他は、ゴーストタウンになっていて当時の建物が廃墟化して残っています。この廃墟群、撮影するととてもいい感じです。(くれぐれも敷地内に入ることはやめましょう。)

ArgosLavicPisgah、と地図にある町を通りましたが、そこには何もありませんでした。かつてここに繁栄があったのだろうとすら感じることのできない草原が広がっていました。

Newberry Springs
ニューベリー・スプリングスまで来ると住宅地が登場します。おそらく次の大きな町であるバーストーが近いので、郊外という感じなのだと思います。寂れていますが、レストランやカフェもありました。しばらくぶりに人の気配を感じる場所です。住人は数十人でしょう。ここでどのような生活を送っているのか興味がりましたが、住人には出会えませんでした。

モーテルの建物は撤去されています

しばらく走るとモハベ砂漠で一番有名なバグダッド・カフェが見えてきました。ここはもともとルート66沿いのレストランでしたが、映画の撮影に使われて大人気となりました。映画公開後に店名を映画に合わせ「Bagdad Cafe」に変えたことで、世界中から映画を見たファンが訪れる名所になったのです。とは言っても映画は1987年公開です。時と共に観光客は減り、併設されていたモーテルは廃業、その後建物自体が取り壊されてしまいました。
私は2000年頃に初めてここを訪れましたが、当時はまだモーテルの建物は残っていました。映画のポスターになっている給水塔もありました。しかし2020年代になるとレストランの営業もやめてしまい、現在はお土産物店となっています。あの不味いコーヒーが飲めないのです。
2025年に訪れたら、建物はさらに老朽化していました。給水塔は、砂漠に倒れて放置されています。このままだとあと数年で店の建物自体がなくなってしまうのだと感じました。もし映画「バグダッド・カフェ」が好きなら、早めにここを訪問することをお勧めします。

バグダッド・カフェからの夕日

バグダッド・カフェのある場所から次の街であるバーストーまでは数十分です。町に近づくにつれ住居が増えてきました。

バーストーの入口

Barstow
バーストーも旧道ルート66の宿場町として発展しました。現在はロサンゼルスとキングマンの中間地点として、ロサンゼルスとラスベガスの中間地点として栄えています。ロサンゼルスからラスベガスに車で向かったことがある人なら、この街を通ったはずです。
モハベ砂漠にいくつかあった宿場町で、生き残ったのはバーストーだけです。そのほかの宿場町は、今回通ってきたようにほぼ無くなるか、集落としてなんとか人が住んでいる状態です。それと比べると何故バーストーは今も繁栄が続いているのでしょうか。単に地の利だけでこれだけの繁栄が得られたわけではありません。

実はここバーストーも標高は高く660mもあります。フラッグスタッフから延々と標高を下げてきたのですが、まだここでもかなりの高さがあるのです。ロサンゼルスは海抜0mに近いので、この2都市の間には600m近い峠があるのです。現代の車は、この峠道(カホン・パス)を一気に走ることができますが、列車はそういうわけにいきません。峠の中に緩やかな斜面を作る必要があり、グネグネと線路を蛇行させ600mの高低差を登ったり降りたりしています。
近年は貨物需要が増え、鉄道会社のBNSFは、ダブルスタックタイプの貨車を100両編成で走らせていますので、かなりの重さです。この200個のコンテナを引っ張り上げたり下ろすために、ヘビー級の機関車を複数輌繋いで峠を越えるのです。そのために貨物車輌を整えたり機関車を接続するための基地が峠の上と下に必要です。峠の上側の基地がバーストーになります。因みに峠の下の基地はサン・バーナディーノです。

鉄道の重要ポイント・バーストー

毎日100を超える長大編成を峠に通すためにバーストー側の貨物基地では、編成を整えます。重い貨車が重力で坂を下ろうとします。勝手に下ると速度が出てしまいカーブで脱線してしまいます。そうさせないように貨物編成の前にブレーキの効く大型の機関車を複数連結、さらに100両の途中と最後尾にも機関車を連結し、各機関車に乗っている機関士は無線で連携を取りブレーキをどうかけるのかを調整していくのです。
バーストーには、この貨物編成を調整する作業員、機関士、峠の管理を行う人々、保線士などが住んでいます。
バーストーは、ただの宿場町というより、鉄道の街としても機能しているということなのです。

我々観光客は、バーストーで、給油したり食事をして次の町に移動してしまいますが、この町の駅に行くととても面白いです。かつて大陸横断鉄道を利用して旅した人が泊まったハーヴィー・ハウスが今も駅前に残っています。営業はしていませんが、当時の面影を感じます。

ハーヴィーハウスが残っていました

そして駅の奥には巨大な操車場があります。峠を下るために機関車を増結したり、峠を登り切って休んでいる長大編成を見ることができます。よく見ると人がひっきりなしに動いていますし、次々と100両の編成が駅にやってきます。これほど大きな操車場は、なかなか見たことがありません。

バーストーの操車場

ルート66を走ってきて感じるのは、常に道路と並走して鉄道が通っていたことです。どんなに寂しい場所でも、都会でも常に鉄道が並走していました。時々、長い長い貨物列車と並走したり、すれ違ったりしました。踏切で30分以上も貨物列車が通り過ぎるのを待ったりもしました。たまにアムトラックの客車を見ると、嬉しかったです。
アメリカでの長距離交通は、徒歩から馬車、鉄道、車と発展し、現在の主流は航空機となっています。それでも鉄道貨物と車はまだまだ頑張っているなあと旅を通じて感じました。中でも鉄道のシステムがどうなっているのかを知る意味ではバーストーの操車場は見応えのあるものでした。

Cajon Passを下るBNSFの長大貨物車輌

今回走ったカリフォルニア東部は、高地にあるモハベ砂漠でした。この砂漠は灼熱に照らされ水もない過酷な場所です。30年代の車でこの砂漠を越えられた人はどのくらいいたのでしょう。それに比べ、現代の車は高性能です。エアコンを使い、快適に砂漠を数時間で走破してしまいます。

私は今回初めてモハベ砂漠をゆっくりと旅しました。旧道を走ると30年代の大陸横断の過酷さを疑似体験できました。もはや建物すら残っていない町では、そこにあった営みを思い浮かべました。廃墟が残る場所では、もっと鮮明に当時の景色を想像することができました。
ロサンゼルスから日帰りでも行ける場所にこの景色が広がっているのも不思議です。といっても昔はロサンゼルスまではまだまだ先だったのです。

次回はカホン・パスと呼ばれる峠を降り、いよいよ本物の夢の場所カリフォルニアのロサンゼルスに向かいます。






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