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水族館の楽しみ方が分からない

はじめに断っておくと、決して水族館が嫌いなわけではない。

むしろ、なんで好きじゃないのかが分からない。

たいていの趣味は楽しめて、好奇心も強いほうで、絶対に水族館を好きになる素質があるのに、まだ楽しめたためしがない。


自分が水族館をこれから好きになるために、そして数少ない同志のために。


水族館の楽しみ方が分からない、というと「えー!?」と言われる。ほぼ確実に言われる。


「何が分からんの?」と言われても、こちらも分からない。


数年前に海遊館を回った際は、30分もかからずに全部見終わってしまった。

チケット代 平日大人2,900円の元を取ろうと、後半は頑張ってゆっくり見たものの、すぐに目玉のジンベエザメに辿り着き、気づいたら出口だった。

もっと頑張ればゆっくり回ることもできるけど、自分が楽しめる快適なペースで歩いていたらそうなっていた。

水族館へ行くというより、水族館を歩いた、という感じ。お金を払った散歩。


自分でも、悲しいなあと思う。

《水族館が好きで、ひとりで休日に水族館へ出掛け大きな水槽を眺めながらゆっくりとした時間を過ごす》
そんな人間に憧れるし、もし分類するとすれば、確実に水族館が好きそうな人間側に分けられるのに、と。



じゃあ、なぜ水族館の楽しみ方が分からないのか。

まず第一に、"魚を見る"行為の正しいやり方が分からない。

水族館は、いわば魚類を見る場所。
でも、わたしは本当に「見た」だけで終わってしまう。

水槽の端に貼られている魚の名前と照らし合わせ、(ふーん、あれがあの魚ね)と、次の水槽に移る頃には忘れるような納得をして、おしまい。


少し目で追いかけてみても、(泳いでるなー)とか(これって食べれるのかな?)とか
そんな貧相な感想しか浮かんでこない。自分が虚しくなる。


第二に、人が多い水槽の前で立ち止まるのも苦手。

人だかりが出来ている水槽には、多くの人を惹きつけるだけの、さぞ魅力的な生物がいるんだろう。

ただ、人が集まっていて、しばらく待ったり、場合によっては人の合間から覗き見なければいけないなら、もういいやと思ってしまう。

自分よりも、もっと前向きに楽しく眺められる人が見るべきだ。
ほら、そこのちびっこが早く見れるようにわたしはここを諦めよう。

向かいの水槽では写真を撮っているな、写り込んでは悪いな。


そう思いながらスルーする。
だから、たいていクラゲがふわふわと幻想的に漂っているエリアは、遠目で見てさっと通過することになる。


みんな、クラゲを綺麗に撮ることに専念しているから。
大前提として、人が集まるものほど興味が出ないという天邪鬼な性格が邪魔しているのかもしれない。


そうやってどんどこどんどこ歩いていると、あっという間に道が開けて、外の光が差し込む明るい出口が見えてきてしまう。



第三に、申し訳なさが勝ってしまう。
(こんなジロジロ見てすみませんね)(ごはんはきちんと食べられていますか)(退屈ではありませんか)

どこで生きるのが幸せなのか、そもそもそんな感覚があるのかも分からない。

(ごめんね)と思うことすら上から目線で何かに酔っているのではないかと思うと、どんな目で見たらいいのか分からず、目を逸らすようにそそくさと歩いてしまう。


水族館は展示するだけではなく、学習や研究にも役立っていることを知っても尚そう思う。


わたしはみんなと違いますからね。
もしもの時は、見逃してくださいね。

(AIが突然暴走したらどうしよう)と考えてしまう時と同じように、水族館を歩くときは、魚にも命乞いをしているのだ。


そんな訳で、まだ水族館を全力で楽しんだことがない。
でも、もっと水族館を楽しんでみたい。
水族館の周り方に詳しい人といけば、違う景色が見えるんだろうか。


わたしは、美術館なんかでも、他人を待たずにずんずん進んだり、急に立ち止まったりするタイプなので、誰と行っても同じなのかもしれない。

いつか、(水族館さいこー!!)と思える日がきますように。



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