「昼寝しよ」と思えたことが、少し意外だった
ここ最近、昼の酷暑ぶりに対して、朝夕は涼しかったりと寒暖差のせいなのか、あまり熟睡できていないような感覚があります。
朝起きても、しっかり回復した感じがしない。
その影響なのか、日中も、そこそこしんどい日がありました。
そんなある日、クライアントワークを終えて、次にnoteの検証をするまでの間に
「昼寝しよ」
と思いました。
実際にリビングで少し寝ました。
たったそれだけの話です。
でも後から考えると、自分にとっては「昼寝したこと」よりも
「昼寝しよ」と普通に思えたこと
の方が、少し意外でした。
以前なら、たぶんそのまま作業していた
自分は昔から、追い込まれると休まなくなる傾向があります。
やることがある。
何とかしなければいけない。
そうなると
「休んでいる場合じゃない」
となりやすい。
時間が足りなければ、自分の稼働時間を増やす。
多少しんどくても、そのまま進める。
最後は体力でごり押す。
それで実際、何度も何とかしてきました。
だからこのやり方自体を、間違っていたとは思っていません。
必要だった場面もあったと思います。
ただ最近は
「このやり方をずっと続けるのは、ちょっと違うかもしれない」
と思うようになりました。
以前ほど、体力で何でもかんでも、ごり押しできる感じもしなくなってきた。
それなら別のやり方も考えた方がいい。
少し前にも、そんなことを考えていました。
でも、それと実際に休めるかどうかは別の話です。
頭では
「無理しない方がいい」
と分かっていても、いざ昼間に寝ようとすると
「いや、やることあるよね?」
と自分の中から内なる声が止めてくる。
以前の自分なら、そっちの方が自然だった覚えがあります。
今回は、罪悪感が出てこなかった
ところが今回は、それがありませんでした。
最近ちゃんと眠れていない感じがする。
日中もしんどい。
クライアントワークはやった。
このあとnoteの検証もする。
だったら、
「無理しても仕方ないな」
と思いました。
そして
「こんだけやってんだから、昼寝くらいさせてくれ(笑)」
誰に言っているのかは分かりません。
たぶん自分に言っています。
でも、それ以上の審議はありませんでした。
「今寝たら、その分作業時間が減る」
「昼間から寝ていていいのか」
「もっと頑張れるんじゃないか」
そんなことを考え続けることもなく、そのままリビングで横になりました。
この「何も起きなかった」ということが、後から考えると少し面白かったんです。
休むための許可を取らなくてよくなったのかもしれない
以前の自分には、頭の中に監督官のようなものがいました。
ちゃんとやっているか?
怠けていないか?
もっとできるんじゃないか?
何かにつけて、そんな確認が入る。
だから休むときにも
「なぜ今休んでもいいのか」
という理由が必要だったように思います。
これだけやったから。
体調が悪いから。
このあと頑張るから。
何かしら理由を並べて、ようやく休める。
言ってしまえば、休むために自分から自分に許可を取っていたようなものです。
でも今回は
「しんどい」
「無理しても仕方ない」
「じゃあ寝るか」
で終わりました。
もちろん、最近あまり眠れていなかったという理由はあります。
クライアントワークを終えたという事実もあります。
ただ、それを材料にして
「以上の理由により、本日の昼寝を許可します」
みたいなことをやらなかった(笑)
そこが以前とは少し違う気がします。
一日を投げ出したわけでもない
昼寝といっても、ベッドでがっつり寝たわけではありません。
熟睡して夜に響くのも嫌だったので、リビングで寝ました。
だから起きた瞬間に
「完全復活!」
というほどスッキリしたわけでもありません。
それでも、その後は比較的楽になりました。
そして、またnoteの検証に戻りました。
考えてみれば、本当にそれだけなんですよね。
クライアントワークをする。
疲れていたから少し寝る。
起きたら、また別の作業をする。
何かを諦めたわけでもありません。
一日を休みにしたわけでもない。
その日の自分の状態に合わせて、途中に昼寝を挟んだだけです。
今なら
「まあ、こういうのでいいんだよな」
と思います。
でも以前の自分にとっては、この「たったこれだけ」が案外難しかったのかもしれません。
自分の扱い方が、少し雑になった
「自分を大切にしましょう」
と言われると、昔の自分なら少し構えていた気がします。
自分を大切にするとは何なのか?
ちゃんと休むとはどういうことなのか?
どれくらい休めばいいのか?
そんなことまで生真面目に考え始める。
でも今回やったことは、もっと雑でした。
「しんどい?じゃあちょっと寝とけ」
くらいです。
そして今は、このくらいでいい気がしています。
自分の状態を完璧に把握する必要もない。
休むことに立派な理由をつける必要もない。
しんどいなら少し休む。
楽になったら、また動く。
自分の扱い方が雑になったというと、あまり良い意味には聞こえないかもしれません。
でも自分の場合は、少し雑なくらいの方が、むしろ自分に優しいのかもしれないと思いました。
変化って、こういうところに出るのかもしれない
今回、昼寝をしながら
「自分は変わったなあ」
なんて考えていたわけではありません。
普通に疲れていたので寝ただけです。
むしろ後になって
「そういえば、昼寝することに何の罪悪感もなかったな」
と気づきました。
以前なら難しかったことが、いつの間にか普通になっていた。
最近、自分のことを振り返る機会が増えています。
考えて、掘って
「こういうところがあるのかもしれない」
と気づくこともあります。
でも実際の変化って、そうやって考えている最中よりも
何でもない日常の中で、以前とは違う選択を普通にしていたときに見つかるものなのかもしれません。
今回の場合、それがたまたま昼寝でした。
「こんだけやってんだから、昼寝くらいさせてくれ」
そう思って普通に横になった。
たったそれだけです。
でも今の自分には、
「こういうのでいいんだよ」
くらいの感覚があります。
次に疲れたときも同じように休めるのかは分かりません。
また余裕がなくなれば、昔みたいに、ごり押しすることもあると思います。
それでも、少なくとも今回は、休む自分を説得することも、許可することもなく、普通に昼寝できました。
大きな決意をした覚えはないのに、こういう小さなところはいつの間にか変わっている。
もしかすると、自分では気づいていないだけで、ほかにもそんな変化があるのかもしれません。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
このnoteでは、日々の出来事をきっかけに、自分なりの気づきや仮説を観察しています。
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