第17話(副業シリーズ4)解なき問い - 思考シミュレーションの壁【創作大賞2025作品】
田栄人とのオンラインミーティングを終えた後も、池田浩二はしばらく書斎の椅子から動けなかった。
頭の中で田栄人の言葉が何度も反響していた。

「大切なのは、目の前の募集文を読み解き、相手が本当は何に困っているのかを考えること。そして、自分ならどうやってその未来を解決できるか、という解を提示する思考のシミュレーションを繰り返すことです」
「スキルは既にあるんです。重要なのは、それを棚卸しして並べることではなく、相手の課題に合わせて、どう組み合わせ、どう調理して提供できるか」
その言葉は、池田のこれまでの仕事観を根底から揺さぶるものだった。
自分は今まで、ただ与えられた仕事を決められた手順でこなしてきただけだ。
その仕事の先にいる相手が本当に何に困っているのかを、本気で考えたことがあっただろうか。
会社員になってから二十年近く、そんな視点で仕事に向き合ったことは一度もなかった。その事実に気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
悔しさと恐怖、そして同時に、ごくわずかな希望も感じていた。
(これを身につければ、俺は本当に変われるかもしれない…)
池田はノートを開き、田栄人の言葉を震えるペンで書き留めた。
そしてPCの画面を、これまでとは全く違う目で見つめた。
そこに映る副業マッチングプラットフォームの募集案件一覧は、もはや単なる仕事のリストではなく、自分の思考力を試すための問題集のように見えていた。
その日から、池田の孤独な挑戦が始まった。
「思考のシミュレーション」を自分の力で徹底的にやってみようと固く決意し、彼は毎晩書斎のPCに向かった。
プラットフォームから自分の経験と少しでも関連のありそうな募集文をいくつか選び出し、ノートに書き写す。
「社内イベントの企画運営サポート。参加者の満足度が低迷しており、活性化させたい」
池田はこの一文を睨みつけ唸った。
この会社の本当の困りごとは何なのか。
参加者が楽しめていない。それは分かる。
では、なぜ楽しめていないのか。
企画がマンネリ化しているのか。
社内のコミュニケーションに問題があるのか。
あるいは、もっと根本的なエンゲージメントの問題なのか。
情報が圧倒的に足りない。
仮説を立てようにも、その根拠となるものが何一つないのだ。
思考はすぐに空回りし、堂々巡りを始めた。
無理やり「解」をひねり出してみる。
「若手社員を巻き込んだ、新しい参加型企画を提案します」「イベントの目的を再定義し、経営層からのメッセージを発信する場としてはどうでしょう」
ノートに書き出してみるものの、その言葉のなんと薄っぺらいことか。
先日のオンラインミーティングで田栄人がAIに生成させてみせた、あのシャープな回答以下の、凡庸で具体性に欠けるアイデアしか出てこない。
連日の寝不足で日中の本業にも影響が出始めていた。
独力でのシミュレーションに行き詰まった池田は、もう一つのヒントであった「AI活用」に望みを託した。
(そうだ、田さんもAIを使っていたじゃないか)
藁にもすがる思いで、AIチャットの画面を開く。
先ほどの募集文をコピー&ペーストし、祈るような気持ちで問いかけた。
「この募集文の課題は何ですか?」
AIの回答は即座に返ってきた。
「この募集文の課題は、社内イベントの満足度が低いことです。考えられる原因としては、企画内容の陳腐化、従業員の関心の低下などが挙げられます」
「知ってるよ、そんなことは!」思わず声が出た。
質問を変えてみる。
「この会社に良い提案をしてください」
「従業員の意見を取り入れるためのアンケート実施や、魅力的なインセンティブの導入が効果的でしょう」
一般論だ。
どこかのビジネス書の受け売りのような、当たり障りのない言葉の羅列。
画面の向こうで田栄人が簡単な言葉を打ち込んだだけで、AIが「業務プロセスの非効率性」「退職による業務停滞リスク」といった本質的な課題を弾き出した、あの光景はどこにもない。
AIはまるで、こちらの意図を全く理解せず、ただ沈黙しているかのようだった。思考の増幅器どころか、自分の質問能力のなさをまざまざと突きつけられているようだ。
(田さんは、どうやってあの答えを引き出したんだ...?)
ツールが悪いのではない。
使いこなせていない自分自身に問題がある。
池田は、その事実を認めざるを得なかった。PCの前で完全に項垂れた。
思考シミュレーションも、AI活用も、自分の力だけではどうにもならない。
KIオフィスサポートとしての船出は、港を出ることすらできずに座礁してしまったかのようだ。
深い静かな絶望が、再び彼を包み込もうとしていた。
だが、そのどん底で、池田の頭の中にふと一つの光が灯った。

(待てよ...俺が今、本当に解けないでいる問題は、何だ?)
募集文の「解」が見つからないことか? 違う。
AIがうまく使えないことか? それも本質ではない。
そうだ。俺が今、本当に困っているのは、「『解』を見つけるための方法が、分からないこと」そのものなんだ。
問題の本質に気づいた瞬間、視界がわずかに開けた気がした。次に田栄人に会う時、聞くべきことは「どうすればいいですか?」という漠然とした質問ではない。もっと具体的で、本質的な問いだ。
(田さんは、AIという道具を、いったい『どのように』使って、あの『解』を導き出しているのですか?)
「何を聞けばいいか」が分かった。
漠然とした不安が、具体的な「知りたいこと」へと変わった。
池田は震える手で、ノートの新しいページを開いた。
次の対話に向けて、自分の疑問点を一つ一つ整理し始めた。
その背中は、先ほどまでの絶望に打ちひしがれたものではなく、次なる一歩を踏み出そうとする者の、静かな闘志を宿していた。

今回は、Gemini image generation を使って絵も挿入してみました。
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