第15話(副業シリーズ3)可視化の価値、無音の市場 - 自己PRの落とし穴【創作大賞2025作品】
佐々木の会社での最初の仕事は、池田浩二(いけだこうじ)にとって、予想以上の手応えをもたらしていた。
契約締結の際に垣間見えたバックオフィスの混乱は、実際に業務に入ってみると、想像を上回るものだった。
特定の担当者に業務が集中し、その人が休めば仕事が止まる。
手順書はおろか、誰が何を担当しているのかすら曖昧な部分が多い。
池田はまず、佐々木や主要な担当者へのヒアリングから始めた。
そして、持ち前の整理・構造化能力を発揮し、主要な業務――例えば、請求書の発行から入金確認、未入金の督促に至るまでの一連の流れや、煩雑を極めていた経費精算のプロセス――を、一つ一つ丁寧にフロー図として描き出していった。
「これが…うちの会社の請求業務の全体像、ですか…」
佐々木は、池田が作成したフロー図を食い入るように見つめ、驚きの声を上げた。
これまで漠然と「大変だ」「時間がかかる」としか認識していなかった業務が、具体的なステップと担当者、そして潜在的な問題点と共に、明確に目の前に示されている。
「はい。現状の現業務の流れをヒアリングに基づいて図にしてみました。いくつか非効率な点や、リスクが高いと思われる箇所も見受けられますね」
池田は、専門用語を避け、分かりやすい言葉で説明を続ける。
「例えばこの部分ですが、承認フローが複雑で時間がかかりすぎているようです。簡略化することで、請求書発行までのリードタイムを大幅に短縮できる可能性があります」
「なるほど…!」
佐々木だけでなく、同席していた経理担当の若い女性社員も、目から鱗が落ちたような表情で頷いている。
「業務が見える化されると、誰でも同じように作業できるようになりますし、ミスも減ります。それに、どこに問題があるのか、どうすれば改善できるのか、という点も見つけやすくなるんですよ」
池田のその言葉に、佐々木は深く頷いた。
「すごいな池田、うちは今まで何やってたんだろう…。本当に助かるよ。これなら、新しく人が入ってもすぐに引き継げそうだ」
心からの感謝の言葉。
それは、本業の会社ではなかなか味わうことのできない、直接的な「お役立ち」の実感だった。
KIオフィスサポートとしての確かな手応えが、池田の心を温かく満たしていった。
その確信は、彼を新たな挑戦へと駆り立てた。
「一人で生き抜く力」――。
かつて社長への建前として口にしたその言葉が、今や池田自身の心の奥底から湧き上がる、切実な欲望となっていた。
佐々木の会社での成功は、その「力」が決して絵空事ではないこと、自分にも手が届くかもしれないという淡い希望を、確かな手応えへと変えつつあった。
(この調子なら、本当に「一人で生き抜く力」を、俺は手に入れられるかもしれない…!)
そんな楽観的な期待が、彼の背中を強く押した。
もっと多くの、困っている会社の役に立ちたい。
KIオフィスサポートの価値を、もっと広く試してみたい。
そのための次なる一手として、池田は以前から存在を知っていた副業マッチングプラットフォームに、ついに足を踏み入れる決意をした。
週末、池田は自宅の書斎で、ノートパソコンに向かっていた。
いくつかのプラットフォームを比較検討し、評判の良さそうな一つを選んでアカウントを作成する。
問題は、自己PR文だ。
佐々木の会社で「業務フロー作成」という具体的なスキルが非常に喜ばれた経験から、「自分の整理・見える化スキルは大きな強みだ!」という自信はある。
KIオフィスサポートとしての理念、「誠実なサポート」も伝えたい。
池田は、キーボードを叩き始めた。
『KIオフィスサポート:長年の管理部門経験を活かし、中小企業・スタートアップのバックオフィス業務効率化を誠実にサポートします。
業務フロー改善、書類作成、各種規定整備など、お気軽にご相談ください。
貴社の課題解決に、誠心誠意取り組みます』
書き終えた文章を読み返し、池田は満足げに頷いた。
(よし、こんな感じだろう。
佐々木のところでこれだけ喜ばれたんだ。
この熱意とスキルがあれば、きっと多くの企業が興味を持ってくれるはずだ。
「一人で生き抜く力」の獲得も、そう遠くないかもしれない)
自分のユニークな価値をどうアピールすれば良いのか、という視点は、まだ彼の中には明確にはなかった。
佐々木の会社では、彼の人間性やこれまでの関係性という「土壌」があったからこそ、スキルがスムーズに受け入れられた。
だが、不特定多数の企業が相手となる市場では、それだけでは通用しないかもしれない、という可能性には、まだ思い至っていなかった。
高揚感と共に、プロフィール公開ボタンをクリックした。
プラットフォームへの登録を終え、池田は早速、自分のスキルに合致しそうな案件を探し始めた。
「バックオフィス業務改善コンサルティング」「社内規定整備サポート」「業務フロー作成代行」…。
いくつか目に留まった案件に、作成したばかりの自己PR文を添えて、意気揚々と応募する。
佐々木の会社での経験を思い出しながら、「この課題なら、こう解決できる」という具体的なイメージも頭の中にあった。
応募直後は、「早く返信が来ないかな」と、スマートフォンを片手にそわそわとプラットフォームの通知を何度も確認した。
しかし、待てど暮らせど、企業からのメッセージは届かない。
一日経ち、二日経ち…。
ようやく通知ランプが点灯し、期待して開いてみると、それは応募先企業からではなく、システムからの自動メッセージだった。
『先日ご応募いただきました案件につきまして、募集企業様からのご連絡がないまま回答期限を過ぎましたので、誠に残念ながら、本応募はキャンセルとさせていただきました』
無機質な定型文が、池田の楽観的な期待をあっさりと打ち砕く。
「え、返事もなしか…」
思わず声が漏れた。
佐々木の時には、こちらの提案に対してすぐに具体的な反応があり、感謝の言葉さえもらえた。
その手応えとのあまりの落差に、池田は戸惑いを隠せない。
その後も、応募した案件の多くが、同様の自動キャンセル通知で次々とクローズされていく。
まるで、市場という広大な海に投げ入れた小石が、何の波紋も立てずに沈んでいくようだ。
「一人で生き抜く力」への道は、そう簡単ではないのかもしれない。
自信が、少しずつ揺らぎ始めていた。
(なぜだ…? 佐々木のところではあんなに喜ばれたのに…)
自分の自己PR文を改めて見返してみる。
(もしかして、この書き方じゃダメなのか…?)
客観的に見つめ直そうとするが、何が問題なのか、具体的な改善点は思い浮かばない。
一人で悩んでいても、埒が明かない。
このままでは、せっかく芽生えた副業への意欲も萎んでしまいそうだ。
友人・佐々木との副業で得た確かな手応え。
それは、KIオフィスサポートとしての価値を証明し、プロとしての道を照らしてくれた、温かい光だった。
しかし今、目の前に広がっているのは、誰の顔も見えない、冷たく広大な市場の静寂。
ここで通用しなければ、本当の意味での「一人で生き抜く力」など手に入らない。
池田は、これがこれまでとは全く質の違う、新たな試練の始まりであることを、肌で感じ取っていた。
(やっぱり、田さんに相談してみよう。
このままじゃ、前に進めない)
池田は、スマートフォンの連絡先から田栄人の名前を探し出し、意を決して発信ボタンを押した。
プルルル…プルルル…
呼び出し音が、やけに長く感じられた。
それは、シリーズ3の幕が静かに下り、次なる試練の舞台、シリーズ4の幕が上がろうとしていることを告げる、予感に満ちた音だったのかもしれない。
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