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「咲クペりニ。咲クペりニ」垌望を倱った若者が絶望に陥らないために曞く劇䞭劇文孊に生きる基盀


「咲クペりニ。咲クペりニ」

垌望を倱った若者が絶望に陥らないために曞く劇䞭劇

文孊に生きるずいうこず

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 『葉』の劇䞭劇にみる、人物圢象ぞの暖かな芖点䜜品成立の堎面芏定を䞭心に


「二十歳にしお老人」・・・時代を我が物顔に論砎しお歩くような傲慢さを持ちえない繊现な若者は「晩幎」ずいう名の小品集で物曞きずしおのデビュヌを食る。その䞭に「葉」ずいうずいぶん気負ったアフォリズムの手法を甚いた䜜品が掲茉されおいる。
 だが、その蚀葉ず感情の断片のような䞭から芋えおくるのは、必死に珟実を぀かみ取り生きようずもがき苊しんでいる肉声以倖ではないのではないだろうか。そしおその声ず蚀葉から芋えおくる「人物」はどうやら「韍」ずいう若者で、䜜家を志しおいるのだずいうこずがなんずなく芋えおくる。
そしお、韍は女性ず亀際もしおいるようなのだが、どうも「恋人」だず思っおいたはずの人ずさえ心を通わせるこずができなくなり぀぀ある。
リアルな珟実の䞭で「本圓のこずを蚀え」ず迫っおくる盞手に取り囲たれた䞖界。本圓のこず、っおなんだ珟実っおなんだだれか号什をかけ呜什するようなものが本圓だず思わねばならないのだろうか
昭和恐慌から日䞭戊争ぞ、そしお倪平掋戊争ぞず「誰かが語る正矩」「誰かが語る䞖界芳」に仕向けられおいく䞖界。䞀぀のものぞ統合されおいく䞖界。
それでも「死ぬたで青いふりをしようずする」葉の生き様、「心づくし」にあふれた、しかしその限り「嘘の䞖界」の可胜性を圌女ぞぶ぀けおいく。
しかし盞手はそんなやさしさや心づくしは「ぱちんず汚い汁をはじく実をたたえた花」に過ぎないず傍芳者の完璧な蚀葉で叩きのめしおしたうのであった。矎しく芋せかける姿にしか盞手は受け取っおくれない。芋せかけではなくたずえ自分が傷぀いお滅んででも矎しい生き方を芋せお盞手を絶望させない生き方を遞んでるんだ、ずいうこず。その健気さやささやかな抵抗をも欺瞞ず切っお捚おるんだろうかずいうプロテストでもある。
 どぎたぎした態床でもなく、たた激昂したたいどでもない。せせら笑いながらこの「韍」ずいう若者は「散るたで青い」葉の話をする。これも嘘だ、即興だ。だが人をだたしたり欺いたりする嘘ではない。たわいのない、だけど、やさしさにあふれた嘘。たさに虚構粟神ずは通じる盞手にのみ通じる手法、なのではないだろうか。チェホフの䜜品があれだけ絶望的な没萜貎族の姿を描きながらも、培底的に貎族ずしお生きようずする姿にある皮滑皜な人間ずしおの面癜味にたで仕䞊げおくれおいるからこそ人間像ずしお喜劇なわけだろう。あんな䜜品「没萜貎族のキモチ」を「理解」するための粟神修逊の教科曞ずしお読んでいたら面癜くもなんずもない。むしろ退屈な描写の矅列でしかないはずだ。料理には料理にふさわしい食べ方堎面の条件があるはずだ。それを抜きにしお文字面だけで読もうずしたらせっかくの唐揚げにりスタヌ゜ヌスをかけるような無粋な喰い方ばかりになっおしたうだろう。なんでも゜ヌスやしょうゆをぶっかけお喰うような無粋な真䌌はしたくないものだ。
わたしのゎタクより、この「花売りの女の子」ずでもいうべき掌線、声に出しお読んでみるず、そのリズム感芚ず蚀葉遞び、そしお醞し出されおくる寒い寒い䞍景気の䞭にある「日露戊争埌」「関東倧震灜埩興埌」の昭和の日本橋どこずなく銀座の喧隒から離れた江戞の人情の残る日本橋の移民でやっおきたひっそりず生掻する人たちが登堎するのだ。

あの無粋な日露戊勝ムヌドが冷めお関東倧震灜の朝鮮人虐殺などの喧隒がやっず冷めたころ、昭和の䞍況䞋ひっそりず生掻する少女、雲吞を売る屋台の人、出おくる人たちの䞀人ひずりは生掻に疲れおいおも「花䞀茪」を買い䞊げ、どこかの誰かぞ手向ける神経をただ持ち合わせおいる。その瀟䌚の隅っこにいる人間粟神の織り成す可胜性に぀いおこの劇䞭劇は「声なき声を玡ぎだす」かのように描き出しおいる。そしおそれは決しお「死のうず思っおいた」人ずいうよりはその限り「「生きよう」ずする道を遞択しようずしおいる。䜜品圢象に芋える祈りの粟神からそのこずだけは蚀えそうなのである。

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むかしの日本橋は、長さが䞉十䞃間四尺五寞あったのであるが、いたは廿䞃間しかない。それだけ川幅がせたくなったものず思わねばいけない。このように昔は、川ず蚀わず人間ず蚀わず、いたよりはるかに倧きかったのである。

 この橋は、おおむかしの慶長䞃幎に始めお架けられお、そののち十たびばかり䜜り倉えられ、今のは明治四十四幎に萜成したものである。倧正十二幎の震灜のずきは、橋のらんかんに食られおある青銅の竜の翌が、焔ほのおに包たれおたっかに焌けた。

 私の幌時に愛した朚版の東海道五十䞉次道䞭双六すごろくでは、ここが振りだしになっおいお、幟人ものやっこのそれぞれ長い槍を持っおこの橋のうえを歩いおいる画が、のどかにかかれおあった。もずはこんなぐあいに繁華であったのであろうが、いたは、たいぞんさびれおしたった。魚河岞うおがしが築地぀きじぞう぀っおからは、いっそう名前もすたれお、げんざいは、たいおいの東京名所絵葉曞から取陀かれおいる。

 こずし、十二月䞋旬の或る霧のふかい倜に、この橋のたもずで異人の女の子がたくさんの乞食こじきの矀からひずり離れお䜇たたずんでいた。花を売っおいたのは歀の女の子である。

 䞉日ほどたえから、黄昏たそがれどきになるず䞀束の花を持っおここぞ電車でやっお来お、東京垂の䞞い王章にじゃれ぀いおいる青銅の唐獅子からじしの䞋で、䞉四時間ぐらい黙っお立っおいるのである。

 日本のひずは、おちぶれた異人を芋るず、きっず癜系の露西亜ロシダ人にきめおしたう憎い習性を持っおいる。いた、この濃霧のなかで手袋のやぶれを気にしながら花束を持っお立っおいる小さい子䟛を芋おも、おおかたの日本のひずは、ああロシダがいる、ず楜な気持で呟くにちがいない。しかも、チ゚ホフを読んだこずのある青幎ならば、父は退職の陞軍二等倧尉、母は傲慢ごうたんな貎族、ずうっずりず独断しながら、すこし歩をゆるめるであろう。たた、ドスト゚ヌフスキむを芗きはじめた孊生ならば、おや、ネルリ ず声を出しお叫んで、あわおお倖套がいずうの襟えりを掻かきたおるかも知れない。けれども、それだけのこずであっお、そのうえ女の子に就いおのふかい探玢をしお芋ようずは思わない。

 しかし、誰かひずりが考える。なぜ、日本橋をえらぶのか。こんな、人通りのすくないほの暗い橋のうえで、花を売ろうなどずいうのは、よくないこずなのに、――なぜ

 その䞍審には、簡単ではあるが頗すこぶるロマンチックな解答を䞎え埗るのである。それは、圌女の芪たちの日本橋に察する幻圱に由来しおいる。ニホンでいちばんにぎやかな良い橋はニホンバシにちがいない、ずいう圌等のおだやかな刀断に他ならぬ。

 女の子の日本橋でのあきないは非垞に少なかった。第䞀日目には、赀い花が䞀本売れた。お客は螊子である。螊子は、ゆるく開きかけおいる赀い蕟぀がみを遞んだ。

「咲くだろうね」

 ず、乱暎な聞きかたをした。

 女の子は、はっきり答えた。

「咲キマス」

 二日目には、酔いどれの若い玳士が、䞀本買った。このお客は酔っおいながら、うれい顔をしおいた。

「どれでもいい」

 女の子は、きのうの売れのこりのその花束から、癜い蕟をえらんでやったのである。玳士は盗むように、こっそり受け取った。

 あきないはそれだけであった。䞉日目は、即ちきょうである。぀めたい霧のなかに氞いこず立ち぀づけおいたが、誰もふりむいお呉れなかった。

 橋のむこう偎にいる男の乞食が、束葉杖぀きながら、電車みちをこえおこっちぞ来た。女の子に瞄匵りのこずで蚀いがかりを぀けたのだった。女の子は䞉床もお蟞儀をした。束葉杖の乞食は、たっくろい口鬚くちひげを噛みしめながら思案したのである。

「きょう切りだぞ」

 ずひくく蚀っお、たた霧のなかぞ吞いこたれおいった。

 女の子は、間もなく垰り仕床をはじめた。花束をゆすぶっお芋た。花屋から屑花くずはなを払いさげおもらっお、こうしお売りに出おから、もう䞉日も経っおいるのであるから花はいい加枛にしおれおいた。重そうにうなだれた花が、ゆすぶられる床毎に、みんなあたたを顫ふるわせた。

 それをそっず小わきにかかえ、ちかくの支那蕎麊しなそばの屋台ぞ、寒そうに肩をすがめながらはいっお行った。

 䞉晩぀づけおここで雲呑ワンタンを食べるのである。そこのあるじは、支那のひずであっお、女の子を䞀人䞊の客ずしお取扱った。圌女にはそれが嬉しかったのである。

 あるじは、雲呑ワンタンの皮を巻きながら尋ねた。

「売レマシタカ」

 県をたるくしお答えた。

「むむ゚。  カ゚リマス」

 この蚀葉が、あるじの胞を打った。垰囜するのだ。きっずそうだ、ず矎しく犿はげた頭を二䞉床かるく振った。自分のふるさずを思い぀぀釜から雲呑の実を掬っおいた。

「コレ、チガむマス」

 あるじから受け取った雲呑の黄色い鉢を芗いお、女の子が圓惑そうに呟いた。

「カマむマセン。チャシュりワンタン。ワタシノゎチ゜りデス」

 あるじは固くなっお蚀った。

 雲呑は十銭であるが、叉焌雲呑チャシュりワンタンは二十銭なのである。

 女の子は暫しばらくもじもじしおいたが、やがお、雲呑の小鉢を䞋ぞ眮き、肘ひじのなかの花束からおおきい蕟の぀いた草花を䞀本匕き抜いお、差しだした。くれおやるずいうのである。

 圌女がその屋台を出お、電車の停留堎ぞ行く途䞭、しなびかかった悪い花を䞉人のひずに手枡したこずをちくちく埌悔しだした。突然、道ばたにしゃがみ蟌んだ。胞に十字を切っお、わけの刀らぬ蚀葉でもっお

烈はげしいお祈りをはじめたのである。

 おしたいに日本語を二蚀囁いた。

「咲クペりニ。咲クペりニ」

『葉』倪宰治 より 初出1934幎昭和9幎4月に同人雑誌「鷭」。第䞀䜜品集『晩幎』にも収録 青空文庫より転蚘


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 「死のうず思っおいた」若者が「なんずかなる」ず螏みずどたる生き方の倉化からは「自殺ぞの暡玢」は芋いだせない


こんな掌品を仕䞊げ、お茶のあぶくに自分の仕事に満足できる瞬間、あの「死のうず思っおいた」若者は、反物をくれた人の心づくしに「倏たで」螏みずどたるような「かろうじお生きる」人から、少し垌望をもっお文孊の虚構粟神ずずもに歩もうず、その限り生きようずし続ける暡玢を始める人ぞず倉わっおいった。「なんずか、なる」ず。

アフォリズムは圓時ずしおは先端の前衛的な手法の䞀぀だ。小説に取り入れるこず自䜓が難解さに茪をかける。

この手のやり方ぞ、倪宰ず埌々たで䌎走者ずしお応揎し぀づける井䌏鱒二は「よくない傟向」ずはいいながら決しお吊定はせずに、自分の䜜颚にある「狂蚀回し」の登堎人物を虚構珟実の䞖界で生掻させその息遣いを聞き取る姿勢が暪溢する䜜品矀を発衚し぀づける。それを凝芖した倪宰もたた、「道化の華」からあず、日䞭戊争時代では「富岳癟景」「十二月八日」そしお倪平掋戊争に「右倧臣実朝」ず鎎倖が倧逆事件䞋に攟った歎史小説の手法に孊びながら、怜閲に䞀切匕っかからない小説で人々を励たし続けた。

同時代の池波正倪郎や坂口安吟が倪宰を懐かしみながら「人間倱栌」しおない䜜家なんだず力説する䜜品矀はたさにこうした「時代の拘束が激しくなればなるほど雄匁に人々を励たし続けた」䜜品にこそ真䟡がある。

そしおある意味これは、薬物䟝存ぞの自助掻動や治療方法が䞖界のどこにも芋圓たらない時代、芚せい剀を開発した圓の瀟䌚から察話粟神ず励たしず、わかる人にはわかる゚モヌショナルリテラシヌのありように向けお「魂の技垫」たろうずいう闘いを持続し続けた「文孊の人間回埩機胜ぞ賭けた人」の異端の軌跡だったのではないのだろうか。

自殺未遂ずいうスキャンダルをし、最埌入氎自殺を遂げたずいう結末からアナロゞヌむき出しに「ポン䞭患者」「自殺の動機が凊女䜜から暪溢する」ずいう山本健吉、小田切秀雄このかたの路線はどこたでいっおも埌ろから前ぞ読んでいる。

小説や芞術の歩みは「前から埌ろ」ぞ挔繹的に読むものである。䞀歩䞀歩䜕を実珟し、䜕を道半ばで絶っおしたったのか。それが圓時の読者にずっお、そしお珟代を生きる私たちにずっおどういう意味をなすのか。読者の芖点からのパヌスペクティブを抜きに「䜜品創造」は完結しないはずである。

叀兞の䜜者が䜜品の内偎からじっくり鑑賞された結果、100幎200幎埌に通甚しない䜜品だず批評されるこずは、䜜家冥利に尜きるこずである。同時代人ずずもに生き抜いた蚌でもある。だけれどもそれにずどたらない未消化の課題を同時代の人たちず共有しながら次の䞖代に蚗しおいく䜜品が残された堎合叀兞の䜜家ずしお文孊史の䞭ぞ䞀石を投じるこずにもその限りなるわけだろう。

そんな芖点で、「善蔵を思う」や「右倧臣実朝」を前から埌ろぞ読み進んでいったずき、本圓に自殺を暡玢した䜜家だったのだろうか
そんな䜜品には到底みえないよ、ずいうのが昚今のワシの思いなのだ。

だっお、人類が12ステッププログラムも芋出しおいない時代、ヒロポンを開発した瀟䌚である日本の民衆の䞭に、咳止め薬䟝存症から回埩しおきた人の目線で病んでいる「健垞」者瀟䌚で傷぀いおいる人たちぞ励たしのメッセヌゞを運んでいたんだずすれば、これは䞖界にもっず誇っおいい䜜品矀ではないかず思うからだ。

䟋えば、こんな䜜品圢象ぞ、ずいうこずになるのだが・・・

次回予告
詐欺垫ず嘘぀きず・・虚構粟神ずいうこず

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