【連載・第7回】日本人の魂を揺さぶる「まほろば」〜ヤマトタケルの絶唱と「大和」の原風景〜
初代・神武天皇によって強力な「中央集権システム」がインストールされ、真の国家の首都として産声を上げた大和。 その後、時代は第10代・崇神(すじん)天皇、そして第12代・景行(けいこう)天皇へと下り、ヤマト王権はその勢力を日本全国へと急激に拡大していきます。
その激動の国家拡大期に散った一人の英雄の物語を通じて、なぜ現代を生きる私たち日本人が、今もなお「大和(ヤマト)」という言葉に強烈に心惹かれるのか、その必然的な理由に迫ってみたいと思います。
孤独な英雄・ヤマトタケルの果てなき遠征
ヤマト王権の勢力拡大。それは決して平和裏に進んだわけではありません。中央の支配に従わない地方の勢力を平定するため、血みどろの戦いが繰り広げられました。
その過酷な「現場」の最前線に立たされたのが、景行天皇の皇子であるヤマトタケル(日本武尊)です。

彼は父の命を受け、休む間もなく西の熊襲(くまそ)を討ち、息をつく暇もなく今度は東の蝦夷(えみし)討伐へと向かわされます。
故郷である大和の地から遠く離れ、見知らぬ荒野で戦い続ける日々。 圧倒的な武力を持ちながらも、彼の心の中には常に「なぜ自分ばかりがこんな辛い目に遭うのか」という孤独と、愛する故郷への強烈な望郷の念が渦巻いていました。そして東国での激闘を終え、いよいよ大和へ帰還するというその途上。 満身創痍となったヤマトタケルは、ついに力尽き、伊勢の能褒野(のぼの)の地でその短い生涯を閉じようとします。
薄れゆく意識の中で、彼が最期に絞り出した辞世の句。それが、日本史に燦然と輝くあの名歌です。最古の道「山の辺の道」から見た青垣の絶景「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣(あおがき) 山ごもれる やまとしうるわし」 (大和は、国の中で最も素晴らしい場所だ。幾重にも重なる青い山々が垣根のように囲んでいる。その山々に抱かれた大和は、なんと美しいことか)

「まほろば」とは、素晴らしい場所、住みやすい理想郷を意味する古代の言葉です。 日本最強の武将であったヤマトタケルが死の淵で思い描いたのは、自らの武勲でも、敵への憎しみでもありませんでした。
ただひたすらに、故郷・大和の美しい自然の風景だったのです。
彼の脳裏に鮮明に浮かんでいたのは、奈良盆地の東の山裾を縫うように走る日本最古の古道「山の辺の道(やまのべのみち)」から見下ろした、あの原風景だったに違いありません。
第1回でお話しした通り、大和は四方を山に囲まれた盆地です。 外からやってくる敵を防ぐ「天然の要塞」であったその山々は、大和の内側に住む人々にとっては、自分たちを優しく包み込み、激しい風から守ってくれる「青い垣根(青垣)」でした。 過酷で血生臭い辺境の現場を渡り歩いてきたヤマトタケルにとって、その青垣に守られた穏やかな盆地こそが、心から安らげる唯一の「まほろば」だったのです。

なぜ私たちは「大和」に惹かれるのか「大和魂」「大和撫子」など、私たちは今でも特別な場面で「大和(ヤマト)」という言葉を使います。
なぜ、この言葉はこれほどまでに日本人の魂を揺さぶるのでしょうか。それは、「大和」という言葉の響きの底に、単なる国家の威信や武力ではなく、「青垣に守られた穏やかな自然」と、そこで人々が助け合って生きる「和の精神」への強烈な憧れがセットで刻み込まれているからです。
ヤマトタケルの絶唱は、大和の「地形の美しさ」を詠んだだけの歌ではありません。 外の厳しい世界(争い)を知り尽くした者が、内の平和な世界(まほろば)の尊さを痛感し、魂の底から故郷を愛おしんだ叫びです。
最強の武力を持った英雄が、最期に武力ではなく「自然の美しさと平和」を讃えて死んでいく。この美意識と哀愁のコントラストこそが、日本人の心性の原点と言えるでしょう。
地形が育んだ「和の精神」は、やがて人々の心の中に「大和=帰るべき心の故郷(まほろば)」という永遠のイメージを定着させました。私たちが「大和」というワードに惹かれるのは、DNAに刻まれたこの平和と自然への望郷の念が、無意識に呼び覚まされるからだと思うのです。
